長い首 :約1500文字
【塚野家】
朝。道を歩く、一人の少女。
ふと顔をしかめ、込み上げる吐き気をこらえて息を呑んだ。視界に入ったのはあの家と表札。通るたびに体が拒絶反応を示してしまうのだ。
しかし、ここを避けると、中学校まで大きく遠回りすることになる。今日だけならともかく、毎日それを続けるのは骨が折れるし、何より癪に障る。だから仕方なく、彼女は毎朝この道を通っているのだが……。
――うわっ、今日もいる……。
コンクリートブロックの塀の上に、ちょこんと顎を乗せた男の子がいた。
中学生か、小学生か。年齢はわからないが、そのニヤついた顔は妙に幼く、それでいて純粋無垢とは程遠い。前髪はくせ毛で、黒目が小さく、肌は青白い。いやらしい顔。
この家の男の子は、少女が通りかかるたびに、必ずこうして塀の上からじっと見てくるのだ。通り過ぎても、ずっと。
気持ち悪い。一種のストーカーのように思うが、相手は自宅の敷地内にいて、ただそこから外を眺めているだけ。文句を言いようがない。
それに、下手に刺激して逆上されたら面倒だ。だから少女は、いつも無視を決め込んでいた。
だが、この日は違った。朝から母親と些細なことで口論し、機嫌が最悪だったのだ。
そもそも、あのネットリとした視線に、いつまでも耐えられるはずがなかった。込み上げた怒りが吐き気を押しのけ、ついに口から飛び出した。
「キモイんだよ! 死ね!」
少女は通り過ぎたあと、振り返ってそう怒鳴った。
そして前を向き、走り出す。爽快感が胸を満たし、次にほんの少し自己嫌悪を覚えた。怒鳴るほどでもなかったかな、と。
けれど翌日、あの家の前を通り過ぎようとした瞬間、その気持ちはさっぱりと消え去った。
――今日はいない。やった!
あの男の子がいなかったのだ。
きっと、ビビって家の中に引っ込んだんだ。なーんだ、もっと早くこうしておけばよかった。
少女は鼻歌交じりに通り過ぎた。
……が、ふと足を止めた。
――二階のカーテン……。いつも閉まってるけど、今、開いてた?
不本意ながらも見慣れた家だ。ほんの些細な違和感にもすぐ気づく。
少女は振り返り、二階を見上げた。
――人……?
陽射しに反射してよくは見えないが、確かに何かがそこにあった。
――あの子かな……。なんだ、場所を変えただけか……。
少女はため息をつき、再び歩き出した。だが……。
――今の人影……首、長くなかった……?
足を止め、思い返す。確かに異様なほど長かった。まるで亀のように。
もしかして、もともと長かった? 思えば、あの子の顔しか見たことがない。台や何かに乗って顔を出しているんだと思っていたけど……。いや、そんなことあり得ないでしょ。じゃあ……伸びた? たとえば、そう、首を吊って……。
胸がざわつき、確かめずにはいられなかった。少女は家の前へ戻り、再び二階を見上げた。
しかし、よく見えない。
少女はうろうろと視界の開ける場所を探しながら、背伸びする。
見えない。
ここも見えない。
もし死んでいたら、私のせい?
まだ見えない。
見えない。
ううん、関係ない。私は悪くない。
ああ、見えない。
見えない。
証拠もないし。
見えない。
見えそう。
死んでたらいいな……なんて。
見えない。
見えない……見えそう……見えない……。
……見えた。
死んでる! 首を吊ってる! ははははは! 首がすごい伸びてる!
ふふふ、よく見える。変な顔。
やだ、目が合っちゃいそう。
……あれ、伸びてる?
伸びてる。
伸びてる。
屋根を越えた。
伸びてる……まだ伸びてる……伸びてる……。




