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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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てるるくん         :約3000文字 :ホラー

 ―――朝日が見える丘に縄を吊るす。先端の輪から覗けば、景色がもっと綺麗に見える気がする―――




 とある町の松の木が立ち並ぶ小さな丘。

 その中の一本の木に縄が吊るされていた。縄の先端には輪。首吊り自殺用だろう。

 幸いなことに、ここで誰かが命を絶ったという話は聞かない。きっと直前で思い直したのだろう。だが、それを片付けずに放置するとは、なんとも迷惑な話だ。

 当然そのままにはしておけない。不気味な上に、子供が遊んで誤って首を引っかけでもしたら事だ。

 そう考えた町内会の大人たちは、縄を撤去しようとした。

 ところが結び目は固く、まったくほどけない。ならばと、近くに住む一人の男が意気揚々と自宅にノコギリを取りに向かった。

 しかし、いくら待っても彼は戻らなかった。

 死んだのだ。

 心臓発作だった。もちろん、最初は誰もが偶然だと考えた。何しろ、亡くなったのは年配の男だったから。

 だが、そうしたことが三度続いた。

 もはや偶然などとは言っていられない。町内会の大人たちは震え上がり、縄を取り外すのを諦めた。しかし、だからといって、このまま放置しておくわけにもいかない。

 そこで、大人たちは一つの策を思いついた。

 それが、『てるるくん』だった。

 シーツの中に藁を詰めて頭を作り、てるてる坊主のように吊るしたのだ。

 誰も首を吊らないように、あらかじめ首を吊るしておけばいい。いい発想じゃないか、と町内会の大人たちは満足げに頷いた。


 ――いい発想? 馬鹿じゃないの!


 だが、その少女は認めなかった。絶対に。なぜなら二階の自室の窓から、てるるくんが見えるのだ。

 最初は、顔にペンで簡単な表情を描いただけだった。だが、味気なく思ったのか、それとも悪ふざけか。いつの間にか誰かが目の部分に黒いボタンを縫い付けていた。それだけではない。帽子をかぶり、マントのような布まで羽織っていた。


 少女は不気味に思い、忌み嫌った。全長は中学生ほど。ただ、風に吹かれて揺れるさまは、ずっしりとした、確かな質量があるように見えた。そして、その風が時々てるるくんを部屋のほうへ向けるのだった。

 今では完全に拒絶し、昼間でもカーテンを開けることができなかった。

 だが時折、掃除のために母親が勝手に部屋へ入り、カーテンを開けてしまう。そのたびに少女は怒り、母親とよく口論になった。

 今日もそうだっだ。学校から帰ると、カーテンが開けられていた。


「もう!」


 少女は憤慨し、勢いよくカーテンを引いた。まだ日は明るく、カーテンの隙間から光が漏れているが部屋の中は薄暗い。

 少女は電気のスイッチへ手を伸ばしかけ――やめた。

 代わりに水色のカーテンの布地を握りしめ、そっと額を押し当てて目を閉じた。

 日差しの温もりをわずかに感じる。だが、それは慰めにはならない。心臓が妙に速く鳴っている。まるで服に染み込んだ生温かい液体が、じわじわと肌を伝っているような不快な感じがする。


 ――開けたくない。でも……。


『もーう、いつまでもそんなのに怖がっていないの』

『作り話でしょ。町内会の人たちの』

『あっ、いたずらしちゃダメよ。変な人もいるから、揉めたくないし』


 脳裏にこびりつく母の言葉に、反抗心が燃えていた。

 怖くなんかない。そう思うも、手が震える。目を背け続けたせいで、恐怖が頭の中で肥大化し続けていたのだ。

 夏休み明け、クラスの男子が給食の残りを机の中に入れっぱなしにしていたことがあった。確かにパンはカビていた。でも、思ったほどではなく、誰も怯えなかった。みんな、ただ笑っていた。


 ――だから、大したことない。実際は。


 少女は深く息を吐いた。肺の奥に張りついていた緊張が、わずかに和らいでいくのを感じる。

 握った指に力を込め、カーテンを開けた。


 ――ほら、別に怖くなんか……。


 用意していた言葉が、一瞬にして喉の奥へと引っ込んだ。

 見た瞬間、頭が真っ白になり、そこに黒い油のような恐怖がじわじわと染み込んできた。

 てるるくんは、また姿を変えていた。

 長い黒髪のカツラをかぶせられ、雨と土埃にさらされたせいで、白いシーツはすっかりくすんでいる。ボロボロのマントには穴が開き、顔の部分からは藁がちらほら飛び出ていた。


 ――あっ。


 気づいたときには、すでに体が硬直していた。まるで金縛りにあったように、指先一つ動かせない。

 風が吹いたのか、てるるくんがゆっくりとこちらを見上げたのだ。

 ゆらり揺れる。まるでブランコのようにゆっくりと。やがて、大きく揺れた。

 あまりにも不自然な動きだった。少女の背筋に冷たい針のような悪寒が走る。


 ――おかしい、変、変だよ。


 頭の中で警鐘が鳴り響く。目を逸らさなきゃ。

 そう思い、わずかに顔が動いた瞬間だった。

 てるるくんが、ぴたりと止まった。

 顔は少女のほうを向いたまま。少女も息を呑み、動きを止めた。

 互いに見つめ合う。その時間は二秒にも満たなかっただろう。

 突然、てるるくんの顔が破裂した。

 中の藁がクラッカーのように勢いよく飛び散り、縄が切れて、胴体部分が地面にどさりと落ちた。内部に溜まっていた土埃が舞い上がり、その埃が一瞬だけ人の形に見えた。


 ――これって夢……かも……。


 少女はそう思った。だが、重たくなる頭の感覚が、これは現実なのだと確かに知らせていた。

 車酔いしたときのように気分が悪い。膝が震え、彼女はそのまま崩れ落ちた。

 首振り人形のように揺れる頭を止めることができず、次の瞬間、床に嘔吐した。


 ――落ちる。


 視界がぐるりと回った。わずかな浮遊感と、首を何かに絞められるような圧迫感を抱く。不快。けれど、どこか心地よくもあった。そして、その感覚は、身を委ねることでさらに強く感じた。

 意識が遠のいていく。ただ、少女はどこかすでに夢を見ているような気分だった。やがて、視界は完全に暗転した。




 ――暗い……。


 気づいたとき、日はすっかり落ちていた。

 窓に目を向けると、わずかにカーテンが開いていた。竹のように縦一線に、月の光が部屋に差し込んでいる。

 少女はゆっくりと体を起こした。

 喉の奥が焼けるように痛む。鼻をすするとすっぱい臭いが鼻腔を満たした。


 ――最悪。吐いたんだっけ……。今、何時だろう。お父さん、もう帰ってきてる頃かな。


 少女は吐瀉物を避け、壁に手をつきながら、ふらつく足を支えて部屋を出た。

 壁にもたれかかるようにして、階段を下りる。

 まだ足に力が入らない。胃がむかむかしていた。


 ――静かだ……お母さん、出かけているのかな。


 家の中はひどく静かで暗かった。少女は電気をつけようかと思ったが、億劫に感じた。起きたばかりの目には光がきつい。それに、徐々に暗闇に目が慣れてきた。ぼんやりと暗闇の中に、銀色の取っ手が浮かび上がっている。

 少女は手を伸ばし、リビングのドアノブを掴んだ。

 そして、ゆっくりと開けた。

 その瞬間、生ぬるくムワっとした嫌な臭いが鼻を突き刺し、少女は思わず口元を押さえた。


 ――あ。


 そこには見慣れた、だが見違えた姿があった。

 二つの吊られたてるるくんが、風もないのにゆっくりと揺れ動いていた。

 縄が軋む音を立てながら。誰かをまた誘うように……。

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