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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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春香る公園の乱       :約3000文字 :コメディー

「きゃっきゃっ」「あはは」と子供たちの遊ぶ声が、よく伸びる。透き通った青空。小鳥の囀り。暖かな春の日差しの下、長閑な公園の中を歩いていると、世界が自分に微笑んでいるような気になってくる。

 何か、いいことが起こりそう。そんな予感が――その瞬間、私は足を止め、目を見開いた。

 それは太陽の光を反射、いや、それ自体が光を放っているかのようであった。

 さらに数秒の思案ののち、それが何か理解すると、私の視界はまるでダイヤモンドダストのような光子に満たされた。


 ――ビューティフォウ……


 私は心の中で称賛した。

 あれは、女性用の下着。いわゆるパンティだ。

 あの光沢はシルクか、それともサテンか。何にせよ、降って湧いた幸運とはこのこと。

 高鳴る胸に押され、よろめきながら、私はゆっくりと歩を進めた。


 ――いただきま


 だが、屈みかけたその瞬間だった。


 ――ザザザッ……!


 地面を擦る音がして、私はパッと顔を上げた。

 軽く舞い上がった土煙。そこにいたのは、小太りの男だった。

 神妙な顔つきのその男は、私と目が合うと、気まずそうに目を逸らした。


 ――この男、まさか……。


 私も目を逸らし、腰に手を当てた。そして、後方にグググッと身を逸らし、あたかも体操をしていたかのように取り繕う。見上げた眩しい太陽に目を細める。


 ――狙っているのか?


 私はそっと視線を下げた。男の目は、私とパンティの間を行ったり来たりしている。間違いない。

 まずいな……いや、だとしたらなんだ? 見られていようと関係ない。ただ拾えばいいだけの話だ。そうとも、落とし物を交番に届けるつもりだという顔をしながら拾う。それだけだ。

 もちろん、相手はそうは思わないだろう。欲にまみれた性獣。なぜなら自分自身が、そうだから。ああ、よくわかるとも。

 それでも気にしなければいい。赤の他人だ。どんな目で見られようが、レッテルを貼られようが関係ない。そうとも、拾うぞ。私は拾う。これは私のものだ!


 私は意を決し、指を広げた。しかし、それ以上は動けなかった。

 奴がズボンのポケットから、スマートフォンを取り出したのだ。それも、なぜかこちらに見せつけるように。


 ――そうか! やられた!


 意味を理解するまで数瞬。私もスマホを取り出す。

 これは『スマホに夢中ですよ』という、この場に留まる理由付けであると同時に、『先に拾えば撮影するぞ』という無言の警告、すなわち攻撃! この時代、ネットに顔付きで晒されるのは致命傷! 私もポケットから取り出したものの、充電切れ! 不覚! 後手に回った! 心理的に奴が優勢!

 落ち着け……。パンティとの距離は、私のほうが近い。私がここに陣取る限り、奴は理由もなく距離を詰めることはできないはずだ。

 だが、スマホの電源が入っていないことを知られれば、すぐさま奴は獰猛な野獣へと変貌し、牙を剥くに違いない。そうなれば止める手立てはない! 膠着状態……これが続くか? 否!

 今日はやや風が強い。パンティが風に吹かれれば、幸運の女神には後髪がないのと同じく、掴む手段はなし! 奴のほうに転がれば状況は悪路へと進む! 舵を取るのは自分しかない。神頼みは愚! やはり取るんだ、今! ここで! カメラに捉えられないよう、顔を左右に振りながら拾い、すぐに退散する! これしかない!


 ――パキッ……。


 な、なんだと……。

 決心したそばから、まさか! なんという運命の悪戯! 神の遊び! 現れたというのか……! ここで! 三人目が!

 指を鳴らしながら、ゆっくりと迫るその男……。

 視線は我々二人を捉えつつも、チラチラとしきりに君臨するパンティへ注がれている。

 間違いない。その狙いは我々と同じ! そのタンクトップから生えた、血管が浮き出た筋肉! 力では敵わないことをわからせるための指鳴らし! すなわち威嚇!

 ここは平和的に提案すべきか? もはやこの三人が求めているものは同じだと、わかっているだろう。

 金か? ジャンケンか? 実力行使に至る前に交渉を!


 ……いや、どうしたことか。タンクトップの男が突然、歩みを止めた。何かに気づいた顔だ。

 何が……いや、私もすぐに理解した。油断、不覚! 己の楽観的な人生観を恥じる!


 ――カラカラカラ……。


 背後から迫る車輪の音と、赤子の無邪気な声。

 これは戦車! いや、ベビーカーだ! いいや、やっぱり戦車! アンストッパアアアブル!

 親子がこちらへ向かってくる! なぜ、よりによってこのタイミング! いや、ここは昼下がりの公園。いて当然! むしろ、あちらが正義! 私、無職!

 しかし、進路にはパンティが! 

 母親の視界に入っているのか? どうなんだ? 気づかなければ、このまま轢かれてしまう。気づけば別の意味で引くだろう。やはり、取るしかないのだ。今ここで!


 が! しかし! 

 私の覚悟を、その野性的嗅覚で察知したかのように、タンクトップの男が先に動いた!

 前に進み出る。その手にはウォレットチェーン。

 財布から取り外したと思われるチェーンを、クルクルと回している!

 先手を取られた! だが、あれにはいったいどういう意図が? まさか、ここにきてまた威嚇か?

 ……いや、違う! 引っ掛けるのだ! チェーンの先端でそれを捕らえるつもりだ!

 可能なのか、そんなことが!? 

 いや、やる。この男はやる。そう思わせる何かが今この場にはあるのだ!

 チャンスは一回きりだが、それゆえに男の集中力、幸運力は引き上げられている!

 回る鎖は空気を裂く円形刃と化し! 今、この地に落ちたパンティ、いや美しき蝶、いや麗しきダイヤモンドに迫る!


 そして……


 跳ね上がった!


 さすがに引っ掛けるのは無理だったか! だが行く先は広げた男の手の中! 終わり、敗北……いや、まだだ!


 突如伸びた謎の物体が、可憐な妖精を弾き飛ばした!


 あれは……ウォレットチェーン! ゴムタイプのウォレットチェーンだ! ゴムの反動で戻る先にいるのは、小太りの男! 奴が動いたのだ!


 そしてわずかに吹いた風に舞う、穢れなき天使の羽根。

 今しかない!

 掴め!

 掴むのだ!

 やる!


 ――えっ。


 私が手を伸ばした瞬間、ある記憶が脳内に流れた。

 まるで走馬灯。これは私の過去――幸運を逃した場面、成就されなかった青春時代。

 ……だが、それは私の体を強張らせるための枷ではない。奮い立たせるための鞭だ。掴み損ねない! 今度こそは!


 ――パサッ。


 な、なに……? 

 あ、網……? 網だ! 

 どこからともなく現れた虫取り網が、眼前で純粋無垢な天使を捕らえたのだ!


 ――四人目!?

 ――誰だ!

 ――まさかの少年!

 ――その歳で!?


 私の心の中の慟哭をよそに、少年はうきうきとした顔でしゃがみ込む。三人動けず、ただ見守る中、網の中に手を入れる。

 負けた。ここは素直に賛辞を贈ろう。……いや、なんだ?

 どうしたのか、少年は網の中から完全無欠な美の女神を取り出すと、明らかに落胆の表情を浮かべた。


「きたねえっ!」


 少年は聖杯を地面に叩きつけた。さらに無造作に踏みつけ、そして駆け出していった。

 一匹の蝶が頭上を舞い、我々三人の前をベビーカーが通り過ぎた。赤子が蝶に手を伸ばし、きゃっきゃと笑っている。


 ……嗚呼、少年よ。走れ、そうだ、走れ。大きくなれ。そしていつか自分が見下し、踏みにじったものの価値を知るがいい。


 私、小太りの男、タンクトップの男、少年、親子――我々は公園を去った。

 もうこの先、道が交わることは決してないだろう。

 澄み渡る青空と降り注ぐ陽光。額の前に手をかざし、目を細める。


 これは、春香る公園で起きた、ものの一分の騒動である。

 しかし、私にとって季節に刻まれた出来事であることは、来年の春を待たずともわかり切っていた。

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