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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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不敬である!        :約2000文字

「不敬である!」


 テレビを見ていたら、突然、土足の男たちが部屋に踏み込んできた。

 は? 鍵は? 何? 何で? どうして? 

 脳内に疑問があふれかえったが、驚きのあまり声にならない。口をパクパクさせるばかりで、さぞ間抜けな顔をしていることだろう。

 そんなおれの姿が瞳に映りそうな距離まで男の一人が近づき、指を突き立てた。


「不敬である!」


 男は床のほうを指さし、おれはその先を目で追った。そこには、仰向けになったゴキブリがいた。


「貴様! この御方を殺めたな! まことに不敬不遜である!」


「へ……?」


 屁みたいな音が口から漏れた瞬間、ふわっと泡が浮かぶように、数十秒前の記憶が蘇った。

 ああ、そうだ。確かに、おれは苦闘の末に、丸めた新聞紙であのゴキブリを叩き殺した。だが、不敬って――


「よって、裁判所に連行する!」


 問答無用。言い訳不能。せめてつけっぱなしのテレビを消したいとリモコンに手を伸ばしたが、その腕も容赦なく押さえつけられた。

 画面には、ここ数か月代わり映えのしないニュースが流れている。偶然にも、去り際にアナウンサーが手を振った。


 ……臭い。

 裁判所と聞いていたが、連れてこられたのは悪臭の漂う地下だった。ゴミが積み上がった、薄暗い下水道。その奥に、開けた空間があったのだ。

 どこからか拾ってきたのか、不揃いなランプがぼんやりと灯り、傍聴人たちの影が蠢いていた。

 マンホールの下を通って連れてこられたから予感はしていたが、それにしても……。


「――よって判決を言い渡す……死刑!」


 くどくどと長ったらしい前置きを述べていたネズミの裁判長が木槌を振り下ろした。垂れた頬肉がぶるぶると震える。傍聴席にいたネズミとコウモリたちがキーキー鳴き、ゴキブリとハエたちが羽をバタバタと震わせる。

 弁護人の太ったネズミはやる気なし。これは裁判ではない。処刑儀式。最初から結論ありきの茶番だ。


「ふ、不当だ! あまりにも一方的すぎる! こっちの言い分も聞いてくれ!」


「ふふーん。一方的にゴキブリを殺した貴様が、一方的に死刑を宣告されても仕方ないだろう」


 検察側のネズミがニヤつき、裁判長が船を漕ぐように頷いた。

 おれは「あ……」と声を漏らしたきり、何も言えなかった。まさに、ぐうの音も出ないというやつだ。

 だが、このままだと死刑だ。それもゴキブリごときを殺した罪で。

 情に訴えるしかない。おれは膝を折り、手を合わせた。


「もう二度とゴキブリを……ゴキブリ様を殺したりしません! 敬いますから、どうかどうか……」


 この場を切り抜けるためなら、どんなことでもする所存だ。……さすがに足を舐める気はないが。むしろ足を舐めたのは連中のほうだ。ムカデにヤスデ、ゴキブリにナメクジがおれの足から膝、腹へと這い上がり……あ、あ、あ、あ、あ、ああああ……


「まあ、まあ、まあ。彼も反省していることですし、どうでしょう。食べ物で賠償するということで手を打っては?」


 太ったネズミの弁護人が垂れた瞼を持ち上げ、裁判長に進言した。


「ちーず、はむ、よーぐると、むふふふふふ」


 涎がダラダラと滴ったが、下水道では他の水音と区別がつかない。いや、それ以前に周囲の歓声が掻き消していた。

 ひっひっひと笑う裁判長が木槌を滅茶苦茶に叩きつけ、「これにて閉廷!」


「はあ……」


 無事アパートに帰宅した。まだ鳥肌が立ち、胃と肺が不快に蠢いている。あの地下の臭いが、体にまとわりついて離れないのだ。

 着替えよう……おっと、うっかり持ち帰ってきてしまったらしい。

 ポケットから取り出したのは、たぶんチキンの骨で作られたペン。おれはゴミ箱に投げ捨てた。

 誓約書を書かされたのだ。今後、生涯彼らを敬うこと。三日以内に食べ物を献上すること。

 まったく、面倒なことになったものだ……。つけっぱなしのテレビからは、さっきとは違うニュース番組が流れている。だが、内容は相変わらず宇宙人特集だ。


 数か月前、突然、宇宙人との交流が始まった。

 だが、奇妙で不運なことに、ネズミやゴキブリなど薄汚い生き物が奴らの近縁種だというのだ。

 それでも奴らは人類を遥かに凌ぐ技術を持っている。無下に扱うことなどできない。政治家たちはグロテスクな外見の奴らに対し、その黒い内面を巧妙に隠して握手を交わした。

 そして、同盟の条件として宇宙人はもちろんのこと、害虫・害獣をも敬わなければならなくなった。

 政府の連中は、こういった生き物とはほぼ無縁だからいいのだろうが、おれのような一般市民はそうはいかない。


 しかし、まさかあんなにもすぐに来るとは……。バレないだろうと高を括っていたが、奴らと害虫・害獣の間にテレパシーでもあるのだろうか。奴らが害虫共に知性を増大させる光線を撃ったという噂もある。あるいは、もともとスパイだったのかもしれない。

 もしかすると、そのうち侵略されるんじゃないだろうか。もし、世界中のあの害虫と害獣が敵に回ったら……。

 まあ、おれのような一般市民が考えたところでどうにもならないか。それよりも体が痒い。下水道のせいか? 腕を掻くと、黒い塊が宙を舞った。


 ……蚊だ。

 旋回し、再び腕にとまり、針を突き立てた――それが意識的か無意識か。考えるのはすでに事が起きたあと。


 パチン! と音が鳴った直後、ドタドタと外の階段を駆け上がる足音がした。

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