表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/705

楽しげな歌         :約1500文字

 とある家の庭。老人はスコップを土に突き刺し、小さく蠢くものを指で摘み上げた。ミミズだ。皺だらけの口元に微笑を浮かべ、それを遠くへ放り投げる。ミミズは怒ったように地面でばたついたあと、這って落ち葉の影へと消えた。


 ……定年退職して六年。土いじりが心や脳にいいと医者に勧められたときは、こいつは何を言っているのかと思ったものだが、いやはや、すっかりハマってしまったな。


 老人はふっと息を漏らし、ラジオを止めた。そろそろ休憩にしよう。続きは妻を誘うのもいいかもしれない。

 立ち上がり、腰を伸ばす。骨がパキポキと鳴り、痛みと心地よさがせめぎ合いながら背を駆け上がった。


「くふぅ……」


 満足げに息をつき、目を閉じる。風が頬を撫で、穏やかな午後の匂いを運んできた。


 ――タン……トン……せー


 風が止んだ瞬間だった。微かな囁き声が耳に届き、老人は目を開けた。

 ……妙だな。ラジオは止めたはず。どこからだ?


 ――タタン……トン……ろせー


 こっちのほうからだ……。

 耳を澄ませて辿ってみると、その声はどうやら庭の奥、古い木のうろから聞こえてくるようだ。

 老人は静かに近づき、おそるおそる、うろの中に頭を入れた。


 ――タタン、トトン、たのしーなー

 ――タタン、トトン、まつりのじゅんびー

 ――タタン、トトン、あーまいなー


 ほほう、どうやら妖精が歌っているらしいな……。

 うろの中は真っ暗で何も見えなかったが、可愛らしい歌声に自然と顔が綻んだ。一緒に歌いたいところだが、人間に気づかれたら隠れるのがお話に出てくる妖精の定番。ここはおとなしく聞くだけにしよう。それだけでも十分だ。

 そう考えた老人は目を細め、体をリズムに合わせて小さく揺らす。しかし――


 ――タタン、トトン、たのしみだー

 ――タタン、トトン、ジジイをころせー

 ――タタン、トトン、ちをしぼれー


「ひっ!」


 短い悲鳴を漏らし、老人は猫のように飛び退いた。

 鼓動が早鐘のように鳴り響き、思わず手を当てる。まだあの声は聞こえてくる。楽しげな音の中に、どうしようもないおぞましさが滲んでいた。無邪気な声なのが、なおさら気味が悪い。


「こ、こうしちゃいられない……」


 老人は足をもつれさせながら物置へ駆け込んだ。

 そして、抱えて戻ってきたのは――チェーンソー。エンジンをかけると、その音と振動が恐怖を掻き消し、心強さを与えてくれた。


 ――タタン、トトン……をころせー


 声はエンジン音に塗りつぶされたが、まだ少し聞こえる。

 だが、それもここまでだ。

 刃を木の腹に叩きつける。削られた木屑が、血飛沫のように舞い散った。

 やがて、音を立て、木は倒れた。歌声は消えた。まるで初めから何もなかったように、あたりは静寂に包まれている。老人はチェーンソーを置き、ほっと一息ついた。


「いやはや、思わぬ重労働になってしまったな……だが……」


 老人は空を見上げた。

 茜色の空に、うろこ雲が広がっている。一羽のカラスが一鳴きし、頭上を通過していった。まるで決着を告げるかのように。

 長く伸びた老人の影は、機嫌良さそうに揺れ動くのだった。



「おーい、ただいまあ。まあ、庭にいたんだがな。水をくれるか? おーい?」


 家の中へ入った老人は、妻を呼んだ。しかし、返事がない。

 はて、出かけたのか? いや、靴はたぶん揃っているな……。

 老人は首を傾げ、廊下を進んだ。


「ああ、いたじゃないか、どう……」


 居間に足を踏み入れた瞬間、老人は言葉を失った。

 妻はいた。

 ただ、真っ暗なテレビに向かって、じっと座っていた。異様な気配に思わずたじろいだ。そして、何をしているのかと老人が訊ねようとした、そのとき。

 妻がゆっくりと老人のほうを向いた。

 そして、パカッと口を開けた。


 ――タタン、トトン、ジジイをころせー


 老人の体にチェーンソーのエンジン音と感触が蘇った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ