小学生の本気◆
事件は午後三時付近に起きた。場所は小学校の通学路となっている住宅街の道路。
一人の小学生が「じゃあね!」と大声で言った。そこは丁字路であり、彼らの別れ道なのだろう。もう一方の小学生も「じゃあね!」と大声で返事をした。
よく見られる光景だ。歩き出し、距離が開く二人。すると、一方の小学生がまた「じゃあね!」と言った。すると、もう一方もすぐさま「じゃあね!」と応える。
そのやり取りは数歩歩くたびに繰り返された。二人の声は応酬のたびに競い合うように大きくなっていき、そして、二人は完全に足を止めて向き合った。
ここまではよくある光景だ。しかし、この先はまったく違うものだった。
「じゃあああねえええ!」
「じゃああああねええええ!」
まず、二人の間にあった一軒家の窓ガラスが割れた。この事態に何事かと思ったその家の住人の主婦が窓を開けて、身を乗り出すようにして辺りを見回した。
「じゃあああああねえええええ!」
「じゃああああああねええええええ!」
主婦は左右から浴びせられた声により、鼓膜から血を流し、干したタオルのように窓の外に体を出して項垂れた。
「じゃああああああねええええええ!」
「じゃあああああああねえええええええ!」
さらに、二人の周辺の住宅の窓ガラスが割れ、そのうちの一つの家に住む浪人生が二階の部屋の窓を開けて、外に顔を出した。
「じゃああああああああねええええええええ!」
「じゃあああああああああねえええええええええ!」
ヘッドホンをしていたため彼の鼓膜は守られたが、耳当て外側部分のプラスチックにピシッと亀裂が走った。彼は視線の先にあった、主婦の顔の一部がパンと破裂した瞬間を目撃した。角度から彼にはわからなかったが、それは主婦の眼球だった。
「じゃああああああああああねええええええええええ!」
「じゃあああああああああああねえええええええええええ!」
ここでその浪人生がヘッドホンを外さなかったのは英断である。むしろ、彼はとっさに上から手で押さえた。
鼓膜は無事であったが、両手の爪がすべて割れた。眼球が震え、目から涙を流した。かと思えば、それはすぐに血に変わった。そして、彼はヘッドホンの向こうでやまびこのように「じゃあね」が返ってきた気がした。
この波で少年二人の周辺にある住宅の窓ガラスはすべて割れた。そしてもっとも近くにあった住宅の屋根瓦がガラガラと崩れ落ち、古びたブロック塀が爆破されたかのように砕けた。壁に亀裂が入り、木は雷に打たれたかのように縦に裂け始めた。前述の主婦は体を震わせた。しかし、それは己の生存を主張したのではなく、皮膚がバツンバツンと裂け始めたのだ。
「ジャネ!」
「ジャネ!」
と、ここで一方の小学生が趣向を変え、もう一方もそれに応じた。速さ重視である。声を張り上げるのに疲れたのか、飽きたのかいずれにせよ、小学生の行動というものは当人にすら予測不能である。
危険は去ったかと思いきや、広域破壊から鋭さを増した局所的な破壊に変わっただけであった。今回の応酬により、主婦の首がスッパリと胴体から離れ、血がどぼどぼと流れ落ちた。
「ジャ!」
「ジャ!」
電線がすべて切れ、女性が結んでいた髪を解いた時のようにバサッと垂れた。
「ジ!」
「ジ!」
電柱に斜めに切れ込みが入り、ゆっくりとずり落ちて倒壊した。木もずれて、その年輪が露わになった。
浪人生は窓から一歩引いていたが、なぜかまた前へ踏み出した。
彼にはこの状況がおおよそだが理解できていた。彼はこの戦いの結末を、勝敗がつく瞬間を見たかった。そう思ったのも、すでに自分の命がここまでだという確信があったためである。
そして、それは一歩前に進んだとき、自分の指がぼとぼとと床に落ちたことでより色濃くなった。浪人生の体にはすでにいくつもの切れ込みがあり、目は血が滲んで視界のほとんどが不良であったが、それでも浪人生は道路を見下ろし、そして崩壊と終わりを目の当たりにする。
一方の小学生が大きく息を吸い込んだ。
もう一方もそれに備え、大きく息を吸い込む。
鳥は死んだ。風さえも死んだ。
そこは、この世界で最も静寂な空間だった。
そして、終わりの瞬間が訪れた。
「じゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁねえええええええええぇぇぇぇぇぇ!」
「じゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁねえええええええええぇぇぇぇぇぇ!」
放たれた衝撃波は二人のちょうど中間地点で衝突し、空間まで歪ませた。そこから漏れ出た余波により周辺の住宅は倒壊。浪人生はふっと笑い、ゆっくりとヘッドホンを外した瞬間、その体がサイコロステーキのように崩れ落ちた。
そして、静寂が訪れた。しかし、それは破壊の終わりを意味するのではない。破壊は進行中である。ぶつかり合った衝撃波が拡散し、町は崩壊していった。なのにも、かかわらず静寂とは。
『誰もいない森で一本の木が倒れた。その木は音を立てたか?』
これはある哲学者の問いかけだ。それにどう答えるにせよ、崩壊した町にいた誰もが「音はしなかった」と言うだろう。それは、この事象に遭遇したすべての者の鼓膜を破ったためである。
衝撃波の終着点は町境の川であった。土手から川まで広がる緑の雑草が体を揺らし、川は波立った。魚が機敏に動き、垂らした釣り糸が揺れ、その先にいた釣り人が呟く。
「……小学生は元気だなぁ。ここまで声が届いたよ」




