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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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わが社はジャングル

 我が社がジャングルになった。

 そう聞くと意味がわからないと思うだろうが、おれにもわからない。なったのだからなったのだ。

 理由をつけるなら、社員の誰かが持ち込んだ謎の植物が異常成長を遂げたのか、放置していた南米の謎の果物の種が芽を出したのか、これまた謎の栄養ドリンクの飲み残しを観葉植物の鉢に捨てたのか、何にせよ、謎謎謎。結局のところわからない。

 まあ、おれはただの一社員の身だ。原因を探り、頭を悩ませるのはお偉いさんに任せておけばいい。普段からこき使われているのだからいい気味だ……などという風にはならないのが現実のつらいところだ。結局、不利益は下の立場の者が被ることになるのだ。最近、社長の姿を見かけない。問題の解決をおれたちに押し付けて、休暇を取っているのだろう。

 おれは休めもしなければ、この会社を辞めることもできない。学歴社会の中の弱者だ。他に行く宛てがなく、探す気力もない。だから今日も出社するのだ。あのジャングルに……。


 四階建てビルの会社。正面入り口のガラス扉を押す前に、ちらりと後ろを振り返ると、ちらほらこちらに目を向けてくる通行人を視認できる。おれは連中に対し、『いや、違うんですよ』と、苦笑いを浮かべた。何が『違う』と言うのか、自分でもよくわからない。『自分はこの会社の人間じゃないんですよ』か、それとも社長のお触れ通り『ちょっと観葉植物を入れすぎちゃっただけなんですよ』なのか。

 会社の中が大密林であることは秘匿事項。もはや、隠蔽と言ってもいい。しかし、取引先の企業にこの現状を知られたらどう思われるかなんてこと、おれにもわかる。

 しかし、木を隠すなら森と言うが、森を隠すにはどうすればいいんだ。窓をカーテンで覆うも子供が外を覗き込むように葉やツタが顔を覗かせているし、中にはむぎゅっと押し付けられているものもある。ガラスが割れるのも時間の問題に思える。

 そして入り口、ガラス扉の向こうの受付は、大胆に緑を取り入れたインテリアというより、緑に飲み込まれてしまっていると言っても過言じゃない。


「おはよう、木田くん」


「あ、おはよう……」


 会社の中に入ると、受付嬢の早瀬さんから声を掛けられた。おれは、よく見えるもんだと少し感心した。茂みの中からガサガサ音がしている。彼女はそこにいるようだ。

 前髪が長い人みたいなものだろうか。こちらからは目が見えないが向こうからはちゃんと見えている……っと茂みの中を覗き込んだら、目が二つ、キラリと光った。葉の奥に潜む肉食動物と相対した気分になった。


「どうしたの? あ、ふふふ。シてく?」


「いや、いいよ、またな……」


 両腕で顔をガードして、バッサバサと葉っぱだらけの通路を突き進む。獣道みたく、真ん中は先に出社した社員が踏んだおかげで、植物が寝ているがそれも気休め程度だ。油断すると根上がりや落ち葉に足を滑らせそうになるだけじゃなく、天井まで伸び、折れたり曲がったりした枝をかわさなきゃならない。そして左右は生い茂っている。ガードしてても顔に当たる葉が鬱陶しい。

 生えているのは主にシダ系の植物。他にはヤシの木みたいなものや、つる植物。まあ、やはりジャングルを想像してもらう方が早い。

 おれが属する事業部。その扉は、いやどの部署の扉も開けたままだ。閉めれば翌日にはツタで覆われ開けづらくなるのだ。トイレの個室も開けっ放し。どうせ見えやしない。解放感はあるが自慢にはならない。


「うーすっ、木田」


「おう、川野。今日はお前の顔が見えるな」


「ああ、前にネットで買ったこの枝切バサミセットが役に立ったな。まあ、どうせすぐ生えてくるんだろうけど」

 

 そう言い、川野はハサミを動かしシャキシャキと音を立てた。そう、このジャングルの再生力といったら並じゃない。何日か前に社員全員で撤去作業を行ったのだが、汗水垂らしたのにもかかわらず、ふっーと息を吐き、後ろを振り返ったら、変わらずジャングルが広がっていた。一瞬、今自分はどこにいるのかと混乱した。


「あー、木田くん」


「あ、課長。おはようございます」


「ああ、早速で悪いが、この書類を営業部まで届けてくれ」


「あ、はい」


 おれは葉の間から突き出た手にある書類を受け取ると、川野と目を合わせ、二人でやれやれといった顔をした後、廊下に出た。

 課長は本当はこんな書類などどうでもいいんだ。わざわざ届けに行かなくてもメールで事足りる。これは文化祭の準備中、他のクラスの様子を見に行くようなものだ。社内は例外なく、どこもジャングルであるが、部屋ごとに成長速度は違う上に独自の生態系を築き上げている。

 そしていつからか自然と他の部署をライバル視するようになった。


『うちのところは食虫植物が出たぞ』

『うちは猿を見た』

『こっちは鳥だ。美しかったなぁ』

『うちなんて大きな蛇だぜ。まあ、軽く捻ってやったがな』


 因みに我が事業部は、まだ昆虫しか出ていない。なので、マウントを取られっぱなしで課長の機嫌が悪いのだ。


「お、木田か。どうした」


「その声は森山か。じゃあここが営業部で合っているんだな」


「ああ、すごいもんだろ。自分のデスクを見つけるのに大分捌いたんだが、もうこんなに生い茂っているよ。ああ、それにほら、あの大きな花! あれは食虫植物かな? 昨日はなかったんだよ。どうだ、すごいだろう?」


「ああ、本当に……今の声、なんだ?」


「もう出たか! 上だ! 上を見ろ!」


「上?」


「ナマケモノを探せ! 早く! どこかの木にいるはずだ!」


「ナマケモノ……あ、あれか?」


「揺らせ! 木を揺らして落とすんだ! ほら手伝え!」


「あ、ああ、いいけど可哀想だな」


「言ってる場合か! よし、うおっ、来た!」


「え、あれ、ジャガーか!?」


「早く! そいつを投げろ! 早く!」


 おれがナマケモノをジャガーの前に放り投げると、ジャガーはそれを咥え、また茂みの中へ消えていった。


「ふぅー……普段は午後から現れるんだがな。危ないところだったぜ」


「ここにはあんなものまでいるのか……」


「いや、正直言うとあいつはよその部署から来たみたいだ。うちの主力はほら、あの木にとまっているデカイコウモリだ。常に警戒していないと食いつかれるぞ」


「ああ……もう行くよ……」


 ナマケモノはジャガーに咥えられた瞬間、両手と両足を広げ降伏しているような体勢を取った。それを思い出すと、胸が締けられるような思いがした。おれはあの茂みの奥で聞こえた肉を食いちぎるような音を一刻も早く記憶から消し去りたかった。

 森山に別れを告げ、廊下に出たところで川野と出会い、おれは言った。


「よう、聞いてくれよ川野。いまジャガーがさ、いや、お前、その耳」


「そ、そんなことより、た、大変だ! 課長が!」


 普段、のんびり屋の川野の様子にただ事じゃないと感じたおれは、急いでオフィスに戻った。


「ヴォヴォヴォヴォヴァ! キィー! キー! キイイイイ!」


 課長の席にいたのはチンパンジーであった。


「き、急に変わっちまったんだ!」


 だが、そう言う川野も耳がゾウのように大きく垂れていた。と、言うことは、もしやさっきのジャガー、そしてナマケモノも……。

 思えば最近、見かける社員が少なくなった気がする。こんな会社辞めて当然だと思っていたので、特に気にしていなかったが、もしや社長も……。

 と、思ったところで廊下の方から悲鳴が上がった。


「か、かいちょう!」


 会長?


「巨大、怪鳥が出た! あ、あああああああ!」


 見えたのは一瞬。黒い嘴とピンク色の肌。そしてその嘴は一瞬で森山を捕らえ、茂みの奥へと引き込んだのだ。もしや恐竜のいた時代、あるいはその後の時代に生息していたものなのかもしれない。

 森山の手から落ちたものを拾う。恐らく、逃げるつもりだったのだろう、それは社用車の鍵だった。

 目の前を巨大なトンボが通過し、足元を大きなムカデが通過する。変化は、この会社は悪路の一途を突き進んでいるような気がし、背筋がゾッとした。


「お、おまえ、背中が……」


 どうやら背筋が凍ったわけではなかったらしい。川野にそう言われ、おれが背中に手を伸ばすと、スーツが破れており、そこからひし形の突起が生えていた。どうりでスゥースゥーするわけだ。


「これは……ステゴサウルス? 肉食獣じゃないのか……ちょっと残念だな」


「言ってる場合か! 見ろ! うあ」


 そう指さした川野の胸に幾本もの槍が突き刺さった。川野は真後ろに倒れ、床に生い茂る雑草の中に沈んだ。そして、濃い体毛、猿とも人もつかぬ群れが声を上げて茂みの奥から現れた。


「プルルルルッルフォオオオウ!」

「アフォウ!」

「パルルウッルルルッルウ!」


 おれは踵を返し、闇雲に走った。木の幹の間をくぐり、葉で肌を切りながらも必死に逃げた。建物の中なのだから、どこかに壁があるはずなのだが、ぶつからない。

 しかし、『ジャングルの中に壁があること自体、不自然だな』なんて思ってしまったのだから、すでにおれも取り込まれているのかもしれない。

 それでも長年勤めた経験を活かし、入り口の近くまで来ることができた。しかし、あと少し、というところで受付の茂みから何かが飛び出し、おれの前に立ち塞がった。

 それは巨大なアナコンダであった。何かを呑み込んだらしく、その腹は大きく膨らんでいた。恐らくは人間だろう。それも二人分。と、それで気づいた。早瀬さんだ。彼女は慈悲深く自由奔放で愛には愛を持って返す性質だ。つまりは自分を褒めそやす者ならば誰とでも寝る女であった。ゆえに、変化したのがアナコンダというのも納得だ。喉が強く、丸のみが得意であった。

 彼女はその腹でもまだ満たされていないのか、おれの方ににじり寄ってきた。

 おれが右へ動くと彼女も右へ、左へ動くと彼女も左に動いた。逃げられそうにない。彼女の目はおれを正確に捉えていた。彼女はおれ頭上遥か高くまで伸び上がり、そして口を開け、一気に下降した。

 終わりを確信したおれは、未だ役に立たない背中の突起に触れ、嘆いた。

 その時だった。生い茂る植物の奥から伸びた触手が彼女の首を捉え、引き倒したのだ。それは灰色で、そう、ゾウの鼻であった。

 象の咆哮が轟いた。おれはそれが『行け、逃げろ』と言っているように思え、「ありがとう」と感謝の言葉を呟き、走った。

 出入り口の扉は葉っぱで覆われており、僅かな隙間から日が差し込んでいた。

 そして、その前にはゴリラが構えていた。おれは直感的にそのゴリラが社長だと思った。

 ゴリラは大口開けて涎を吐き散らし、吠えた。たぶん、こう言ったのだろう。「早退は許さん!」

 おれはスーツをシャツごと脱ぎ、こちらに迫るゴリラに向かって投げつけた。ゴリラは視界を覆われ、二回、三回と転がりながらおれの横を通過していった。

 おれはガラス扉をこじ開け、隙間から身をよじり外に出ると、その日差しの温かさに涙を流しそうになった。しかし、安心している場合じゃない。おれは、社用車に向かって走った。

 ドアを開け、運転席に座ったおれは、車を走らせガソリンスタンドに向かった。

 到着するとポリタンクにありったけのガソリンを詰めた。不審に思い、止めにきた店員を突き飛ばし、おれは車を走らせ会社に引き返した。そして、会社の出入り口、ガラス扉にアクセル全開のまま突っ込んだ。

 扉を突き破ると、こちらに気づいたゴリラが悲鳴か怒声かはわからないが目を見開き、口を大きく開けた。

 車と正面から衝突したゴリラは車体の前部にしがみついたが、すぐに車体の下に飲み込まれた。

 いい気味だ。と、おれはようやく笑えてきた。だが、まだだ。まだ終わりじゃない。

 車の外に出て、詰め込んだガソリンをありったけ社内にぶちまけると、おれはライターの火をつけた。




 燃え盛る炎は日が暮れ、夜になっても消し止められることはなかった。座りこみ、それを眺めていたおれの腕を警察官が引っ張り、立たせる。

 おれの背中にあった突起はいつの間にか消えていた。燃えてしまったのかもしれない。ああ、全部燃えた。証拠も何も残らない。世間にはきっと気が触れた奴が会社に火をつけたとしか思われないだろう。ケラケラと笑ってみると本当にそんなような気がして、ますます笑えた。

 バチバチと炎の先で爆ぜる火花。風に乗り流れゆく黒煙に紛れ、種子が飛ぶのが見えた。

 おれは新たな始まりの予感がしたが、ただただ疲れて、もうどうでもよかった。

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