絞めたい首
「ねえ……ひとつ、お願いがあるんだけど……」
またか……と、彼はため息をついた。
「その……首、絞めてもいい……?」
「……ああ、いいよ」
彼はそう言うと、スッと自分の首を女に差し出した。
「……ぐっ」
「あ、ごめんっ、絞めすぎた?」
女はパッと手を放し、自分の行動に驚いたように手で口を覆った。しかし、その目は獲物を見つけた猫のように未だ爛々と輝いていた。
「大丈夫だよ……ゴホッ、気にしないで……」
彼は軽く咳き込み、笑顔を見せた。怒ってはいない。女が衝動に駆られる理由はわかっているのだ。
『殴りたくなる顔』
『突き飛ばしたくなる背中』
『蹴りたくなる腹』
そして……
「叩きたくなる尻!」
「あ、もう!」
「揉みたい胸!」
「ちょっと、あはははっ!」
夜。とあるホテルの一室。ベッドの上で彼らはまたいちゃつき始めた。
――楽にセックスさせてくれるのならお安い御用だ。首くらいな。
尤も、この現象に気づいた当初は不気味に思っていた。原因不明。ある日を境に、友人から知らない人まで男女問わず、その全員が彼の首を絞めたがったのだ。
フェロモンとでも言うのだろうか、彼の近くにいる人は徐々にとろんとした目になり、彼の首に視線が釘付けになる。隣の席に座った友人がさり気なく肩に腕を回してきて首に手を伸ばすことがあれば、喫茶店などで隣に座った見ず知らずの人が首を絞めたそうに指をワキワキ動かしていることがあった。
その後、「た、頼むどうしても……わからないけど、どうしてもお前の首を絞めたいんだ! 一度でいい!」と、しつこく拝んでくるので、「じゃあ軽くなら……」と、友人に首を絞めさせてやると、その友人は恍惚な笑みを浮かべた。そして、首から手を離した後もしばらくの間、感触を楽しむように自分の手を見つめたのだった。
まるで麻薬だ。それなら、と彼は鏡の前で自分の首を絞めてみたが、苦しいだけで特に何も思わなかった。どうやら自分には何の効果もないらしい。これでは何も得がない。
と、彼は思っていたが、ある夜。街中で声を掛けられた瞬間、その考えは一変した。
「あの、その……首、絞めてもいいですか? ……な、なんてダメに決まってますよね! ごめんなさい!」
好みのタイプの女であった。ゆえに迷いはなかった。彼は立ち去ろうとする女の腕を掴み、引き留めると、そのまま餌で釣るようにホテルへと移動した。
成功率は上がり続けた。ボディクリームなど首のケアを始めると、その魅力に増々磨きがかかったようで、日の光や夜の外灯の下でちょっと傾ければ、まるでモデルのスカウトのように声を掛けられることが多くなった。
たまに、痕がつくほど絞められたり、爪を立てる女や一度では満足せず、何度も首を絞めたがる女がいた。また、ホテルの前まで来て、突然、首を絞めて逃げていく女も。そういった女たちにあたると辟易し、『握りたいペニス』だったら楽なのにな、と彼は思うが、まさか街中でブラブラさらけ出すわけにもいかない。
しかし、大抵はうまく事が運んだ。今夜も彼は首を見せつけながら街を歩いていた。すると……。
「……ねえ、どうだいお兄さん」
「おいおい、婆さん。アンタもかい? 悪いが、ん? 占い?」
「そう、あんたならタダで見てあげるよ。ただし……」
「首だろ? ああ、いいぜ。でも三秒な」
このように、今では交渉に慣れたものである。こういった若い女以外には物や金と引き換えに首を絞めさせることがある。
大抵の相手は後ろめたいのか、おずおずと勇気を振り絞ったように彼に首を絞めさせてくれと言うので、見返りを多く要求したり、絞める秒数は彼が決めるなど、交渉は彼優位であった。売り手市場である。
「ふむ……あんたの先祖は武将だね」
「はいはい、出た出た。みんなにそう言うんだろ? どこどこの国の姫だとか王だとか。機嫌を損ねないようにさ。つまらないから二秒だな」
「ま、待ちなよ。私の占いは当たるんだ。それはもう、大将軍も大将軍! その首を欲しがる輩が多いこと多いこと」
「はいはい……ん、首を欲しがる……なるほどな」
彼は老婆の言葉を聞き、ストンと腑に落ちた気がした。
首級。その昔、戦国の世で、打ち取った敵の首を褒賞と引き換えにしていたという話は聞いたことがある。この現象はその残り香と思えばなるほど確かに。ろくろ首の子孫なんて言われるよりは納得できる。
「ふーん……なんか、スッキリした気分だよ。じゃあな婆さん。ありがとな」
「あ、待ちなよ。首を……」
「悪いな。若い女にしか触らせたくないんだ。ほら、汚れたら困るしな」
彼は老婆のしわしわの手を見ながらそう言った。すると老婆は憤慨し、彼の首に掴みかかった。
「ま、待ちなったら!」
「うるせえな! 触んな!」
「おい! 君、お年寄りに何するんだ!」
「うるせえな、急になんだよ。関係な……うわ、やめろ!」
「おいおい! 喧嘩はやめろ!」
「違う、こいつが……うわ! お前も何だよ! 勝手に俺の首に触るな!」
「そこ! 何の騒ぎだ!」
「あ、お巡りさん! この人たちが!」
「……その人、痴漢です!」
「は!? 誰だよお前! 急に横から何を――」
「お、俺はそいつに後ろから突き飛ばされた!」
「私は肩を殴られたわ!」
「足を踏まれた!」
「頭を叩かれた!」
「耳をひっぱられた!」
「尻を蹴られたぞ!」
「頬を引っぱたかれたわ!」
「えっと、金を盗まれた!」
「轢き逃げ犯よ!」
「強盗もしたわそいつ!」
「放火もだ!」
「な、しら、知らないぞ、俺は! そんなことやってない! するわけないだろ!」
「現行犯だな」
「な、ちが、違う! 俺は――」
餌に群がる池の鯉のように彼の周りには人だかりができ、彼の姿を呑み込んだ。
その後も彼の主張は一切通らなかった。弁護士もなぜか何も言わず、裁判長は一言。
死刑。
彼の絞首刑は史上初、生中継され、全国民がうっとりとそれを眺めたのだった。




