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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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公共放送の使者

 インターホンが鳴ったので、ドアを開けてみると見知らぬ奴がいた。

 恐らく全員に向けるであろう一律の笑顔を浮かべ、なんとも薄気味が悪い。このアパートに引っ越してきて初めての訪問者なわけだが、それゆえにおれは名乗る前からコイツが誰だかわかった。


「受信料を頂きにまいりました」


 かの公共放送局からの刺客である。おれは奴に身構えていることを悟られないよう、あー、はいはいと自分には関係がないといった雰囲気を醸し出しつつ、言ってやった。


「あー、うちテレビなんてないからさぁ」


「しかし、アンテナがございます」


「あー、備え付けのやつね。でもテレビがないから見れないよ」


「カーナビや携帯電話などはお持ちですか?」


「車は持ってないよ。携帯からも見れないと思うなぁ。手順を知らないし」


「ではお教えいたしましょう。その後でお支払いください。ささ、まずは契約書にサインを」


「いいや、結構だ。それに古い型だから多分見れないんじゃないかなぁ」


「本当にテレビを持っていませんか?」


「ないよ、こらこら覗き込むな」


「わ! 暴力反対!」


「振るってないだろうが。さあ、もうわかっただろ。帰ってくれ。何ならこっちが警察を呼んだっていいんだぞ」


 と、おれはすごんでみたが、奴はヘラヘラと笑った。

 できないことがわかっているのだ。おれもつい、弾みでそう言ってしまったが、警察官も受信料を支払っている以上、ここに来たところで奴の味方をするだろう。払わないでいる者たちをズルい、同じ沼に引っ張ってやろうと考えるのが人間というものだ。


「ねえ、払ってくださいよぉ。皆さんそうしてますよ? いい大人はみんなね。さあさあ、契約してください。銀行引き落としでいいですね」


「いや、見られないものに金を払うというのはないな。ああ、有り得ない」


「そのうちテレビを買うでしょう。そうだ。この後、買いに行けばよろしい。楽しい番組がいっぱいですよ? 大河に朝ドラにバラエティに、あとあのアンテナのタイプですと衛星放送もご視聴いただくことができますね。では、そっちの契約で」


「衛星放送!? 冗談じゃない。高いやつだろう」


「でも、見れちゃいますからねぇ。仕方ないですよねぇ」


「大体、どの番組だろうが仕事が忙しくて見る暇ないよ。朝なんて特にな」


「録画すればいいでしょうとも。帰ってから見るのです。国民ならね」


「いやぁ、仕事から帰ったら疲れてるだろうし、静かに過ごしたい。さあ、もういい加減帰ってくれ」


 まるで見ない者は非国民だと言わんばかりの奴の態度にカチンと来たおれはこれ以上ないくらいに冷たくそう言うと奴は目に涙を溜め、ついには泣き出した。

 おれは昨今はそこまでするのかと驚き、「まあ、おたくも仕事なのはわかるけどさ」とついつい慰めるようなことを言った。

 すると奴は、契約を、契約を……と、えずきながら言う。


「なあ、それでも契約をする気はないよ。いい加減、諦めて帰ってくれ」


「……愛犬が、私の愛犬が人質に取られているんです。あなたが契約してくれないとひどい目に遭わされる……」


「誰に? 上司にか? いやいやいや、それはさすがに嘘だろう」


「いいえ、本当ですとも。残虐非道な連中です。あの公共放送局の連中は」


「おいおい、君もそこの一員だろう? そんなこと言っていいのか?」


「我々訪問員は所詮、下っ端。トカゲのしっぽどころか糞。給料はスズメの涙。正社員のサンドバック。最低最悪の待遇でございます」


「ほう、相当不満が溜まっているようだ。それに他にも何か知ってそうな口振りだな」


「ええ、ええ。大河や朝ドラの期間中は俳優は全員軟禁状態です」


「へえ、道理で他のチャンネルであまり見ないわけだ」


「あ、やっぱりテレビ持ってます?」


「寄るな寄るな。昔の話だよ。で、それから?」


「ええ、ええ。視聴率が悪かった場合、そのドラマの主演はしばらくの間、放送局の地下で強制労働となります」


「ただ干されただけかと思ってた。そんなことが……」


「目玉である年末の歌合戦。特に実績のない歌手やグループが出られるのは局長の靴を舐めているからです。靴以外にもね」


「本当かよ……。でも、そんな秘密を漏らしていいのか? そうは言ってもやはり君の職場だろうに」


「ええ、ええ。どの道、契約を取ってこないとひどい目に遭わされるので、せめてもの反撃です。ああ、怖い怖い」


 奴は身をぶるぶる震わせ、情けない顔をした。成程、泣き落としの次は同情を引き、さらに不満をぶちまけ相手にすり寄り、仲間意識を芽生えさせるわけか。

 しかし、おれがやはり契約しないと言うと奴は突然、怒り出した。


「あんたは鬼だ! 悪魔だ! 人でなしのろくでなし! 法が払えと言っているんだ! 受信料を払うのは義務! 払わない奴は泥棒だ泥棒! 犯罪者! 政府が我々の味方だ! あんたは孤軍! 奮闘できず! 四面楚歌! 契約しなきゃ社会から取り残され孤独死まっしぐら!」


「おいおい、ははは、落ち着いてくれよ……」


 怒号に早口、そのあまりの気迫におれは一歩退いた。すると奴はズンと前に進みさらに捲し立ててきた。


「お前の悪行を報道してやろうか! ああ、実際したかどうかなんて関係ないぞ! 倫理は手のひらの上だ! ヤラセも捏造もするぞ! お前の罪を作ってやろうか!? 夜七時のニュースでクローズアップしてやるぞ! 局員は勝ち組だ! 収入が多いほうが勝者! すなわち正義だ! 負け組は従え従え従え!」


 おれはグイグイ押され、奥へと追いやられた。奴は土足のまま上がりこみ、さらに詰めてきた。


「捏造がばれても冒頭で数秒謝罪すればそれで済むんだ! 大抵の視聴者は気づいちゃいない! お前は犯罪者のままだ! まあそもそも謝らないがな! それも我々の自由だ! 身内の不祥事は放送しない! それもまた自由! それが報道の自由というものだ!」


 洗面所の前、トイレのドアを通り過ぎ、とうとう部屋の中まで押しやられた。


「目を惹けばいいんだ! 真実だの真相だのはどうでもいい! 何を報道するかは我々の自由だ! 詐欺師や犯罪者だって面白そうだったら特集を組んでやるぞ! お前はつまらなそうだがな! ……ほーら、ちゃちな詐欺師だお前は。テレビ、やっぱりありましたね?」


 と言うと奴はニッコリ笑い、おれに書類を差し出した。

 どうやらここまでのようだ。おれは観念し、ペンを手に取った。

 

 ……やれやれまた契約をしてしまった。引っ越しの度に抵抗してみるものの毎回負けている。と、言うか勝てる気がしない。居留守も無駄。


『いるんでしょう? 息を殺しても無駄です。肺が、心臓が、胃が音を立ててます。かくれんぼを楽しむのは勝手ですが諦めませんよ。何度でも来ます。いつまでもドアを叩き続けます……』

 

 と、こちらにノックの音を聞かせながらドアの向こうから囁くあれは、ある種のホラーだった。


 莫大な費用をかけ要塞のような社屋を建てただけじゃなく、あんなロボットを作る資金があるのだから本当に世の中のみんな、受信料を払っているのだろう。

 こちらとしてはせめてもと抵抗の真似事をし、あのロボットの引き出しを楽しむくらいはしたいものだ。

 ……しかし、なんだな。奴が帰り、こうして一人で考えてみると、もしかしたらあのロボットのやつ、催眠電波でも流していたのかもしれない。途中から契約をしたくて仕方がなく、むしろそっちに抵抗するのが大変だった。

 あの目、いやあの口、それとも頭から……と、さっきのやり取りを思い出し、無性にテレビを見たくなったおれが電源を入れ、チャンネルを合わせると国家最高指導者が壇上で右手を上げ熱弁を振るっていた。仕草も身だしなみも、カメラワークも何もかもすべて公共放送局の指示通りだろう。

 その壇上のさらに上、壁に掲げられた肖像画は公共放送局の会長を描いたものである。

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