ある一座
昔、人気のサーカス団があった。『あった』と言うからには今はない。これはその一座が何故なくなったのかというお話。
その一座は渡り鳥のように町から町へ巡業していた。人気の演目は主に男たちが務めていたが、女たちも負けちゃいない。舞台の上では魅力が何割か増すのか行く先々で男も女も持て囃された。
時々、町の資産家が誰々を嫁に貰いたいと申し出るので、その度に一座からまた一人と抜けていった。座長は座長で退団金として、その資産家からいくらかせしめていたのだからたくましいものだ。
それだけに留まらず町の腫物、主に孤児を貰い受けるからと町長に交渉し、いくらか金を毟り取るのだ。
こうして一座は循環、継ぎ足しつつ巡業を続けるのだ。その変化が刺激となるのか団員たちもマンネリはせず、いつもどこか輝いて見えた。
そしてある町で座長は掘り出し物と呼ぶべき少女と出会った。
親を亡くした孤児であり、町人から煙たがられているが整った顔立ちで、頭もまともそうであった。
座長はいつも通り公演後、町長と交渉し金とその少女を貰い受けた。
少女はまともではあったがまともじゃなかった。これは矛盾しない。その少女には不思議な能力があったのだ。と、仰々しく言っても動物に好かれる。ただそれだけのこと。しかし、サーカスでは有用な能力と言えた。
そのサーカスには多種多様の動物がいた。演目と共に紹介するならば、まずオープニング。
テント内にセッティングされた舞台を駆けまわるシマウマの群れ。
玉乗りする象。
自転車を漕ぐ熊。
火の輪くぐりのライオン。
お手玉するチンパンジー。
そのチンパンジーを乗せる豚。
座長お気に入りの看板犬。
客の輪投げ用のキリン。
あとは一座を運ぶ馬車の馬と、このように動物を多数、飼育していると大変なのはその面倒を見ること。よって少女は動物たちのお世話を任された。雑用は新人の仕事。その過程であの少女は妙に動物に好かれると一座内で話題になり発覚したわけだ。
少女が微笑みかけ、囁くと動物たちが素直に言うことを聞く。公演中ならともかく、基本的には気まぐれでましてや新人の言うことなど聞くはずがない。本来ならその準備だけで汗水たらす檻の掃除も少女にとって容易いことだった。
それに目を付けた座長は何かに利用できないかと考えた。顔も良いしちょっと飾ってやれば華が出る。チンパンジーとお手玉したり、キリンのそばに風船持たせて立たせておけばそれなりの画になるだろう。
と、少女はぼちぼちと舞台の上に立ち始めた。
『そのうちライオンだの何だの他とも組ませてみるか』
『はははっ、猛獣使いよりも扱いが上手いんじゃないか』
『実はそうかもしれん。あいつは女の扱いが下手だからなぁ』
『メスライオン共もうんざりしているよあいつには』
『ははは、交代か?』
と、酒の席。一座の連中の間でこんな話が出れば、良い顔しない奴もいる。そのあからさまな冗談も酒に酔っていては流せない。
猛獣使いはのしのしと歩き、少女のいる小さくボロボロなテントの中に入ると鞭を振るい、執拗にしつけてやったのだ。動物たちと同じように。
尤も、酒が入ってた。数日も経てば猛獣使いはその怒りも自分がしたこともケロリと忘れた。
が、思い出させることが起きた。ライオンの死体が見つかったのだ。口から泡拭いて死んでいたので誰かが餌に毒を混ぜたという話になった。
猛獣使いは怒りに震え、自分の愚行を思い出した上に棚に上げ、これは少女の仕返しだと、座長に直談判したが、動物を見世物にするなんて可哀想などとのたまう奴はどの町にも一定数いるものだ。以前、野営中に侵入し檻から逃がそうとした奴までいたくらいだ。
それにしたって殺すことで解放と考えたのなら相当、頭がキテいる奴に違いないが何にせよ、死んだのは数頭ばかし、全員メスだ。オスのライオンはまだ二頭残っている。
座長は猛獣使いの抗議も犯人探しも取り合わなかった。理由の一つは確かに痛手ではあるがちょうど、剥製にでもして売るあてがあったことそして、あの少女だ。
実は思ったよりも人気が出てきており、新たにどの演目に少女を出すか頭をひねらせていたところ。ゆえに問い詰めようとも追い出そうとも考えなかった。
そして、これは座長自身、強く意識していなかったが少女に対して好意を抱いていた。無論、綺麗なものじゃない。邪な下心ではあるが。
納得がいかない猛獣使いだったが仕事はキッチリ行う。鞭をブンブン振り回し観客にハッハッァ! とおれを見ろとばかりに笑った。
ライオンは台の上にちょこんと乗り、目の前に設置された火の輪をくぐるその合図を待っている。
酒瓶を傾け、口に含んだ酒を火の輪に吹きかければボワッと上がる火と共にオオッ! という歓声が飛ぶ。今夜は特に気合が入っている。
復讐か? ライオンを皆殺しにすれば、おれは役立たずとなりこの一座から追い出せると思ったか? 馬鹿が。単純なガキだ。おまけにオスだけ殺し損ねたな。懐いていたようだが、お前を見たら吠えたてるようこいつらをしつけてやる。それからお前もしつけてやる。そう言えば最近、女らしさが出て来たな。ああそうとも、しつけてやる。おれは女の扱いもうまいんだ。
鞭を回し、腰を突き出し猛獣使いは大笑いした。
そしてさあ、いよいよだ。ライオンを火の輪にくぐらせる。「そら、いけ!」
……というところで猛獣使いは妙な音を聞いた。
有り得ないことだ。演目中は陽気な音楽が流れているし、観客の笑い声もある。おまけに燃える炎の音もする。
なのにだ。聞こえたのだ。リップ音みたいな、テュかチュッという音が。
猛獣使いは薄氷の上に立ち、足元の氷が割れる音を聞いたような気分だっただろう。自分のほうへ振り返るライオン。迫る牙、息遣い。一瞬のうちに青ざめ、恐怖に満ちた猛獣使いの顔にライオンがキスをした。
「ああっ! ああ! ああぁぁいああいああうあああああぁぁ!」
熟れたトマトを握りつぶすようにボタボタと血が舞台の上に零れ落ちた。猛獣使いは鞭を手放し、ライオンの顔を掴んだが、その痛みで両腕を天井に伸ばした。そのタイミングで膝を折ったものだから、まるで神へ何かを懇願しているようだった。押し倒され、顔を毟られ続けたことからして、祈りは届かなかったのだろう。
突然の悲劇に騒然としたテント内。観客は喚き、泣き、逃げ出した。ただ全員ではない。その多くが衝撃のあまり席を立てずにいたのだ。
だが、後悔はしなかっただろう。ライオンにズタズタに引き裂かれ、猛獣使いの顔は前よりハンサムになった。
一命をとりとめたのは少女のお陰。引き剥がそうと団員たちが駆け寄るも、爪でひっかかれそうになり、赤く汚したその口から威嚇されば立ち止まるしかない。その間を少女はスタスタと歩き、そして堂々とライオンの傍に立ち、手をそっと添えるだけで子猫同然。いともたやすくライオンを従えた。
その瞬間を目の当たりにした観客はまるで陽光降り注ぐ空に現れた雲の聖母を見たようにおぉと息を呑み、少女に拍手を送ったのだった。
その後、猛獣使いは町の病院で療養。「達者でな」と団長がベッドのそばのテーブルに無造作に置いた小袋は治療費兼退職金。何か言いたげな猛獣使いだったが、表情に出せず、声にも出せず、ただ顔を震わせた。それは団長の傍に少女がいたからか、それとも怪我の後遺症か。いずれにせよ、団長は彼に興味を持たなかった。
一座は次の町へ移動した。空きができたので、少女が猛獣使いのその席に収まるのは当然と言えた。何せ団員たちもあの場面を目撃したのだ。反対意見なんか出るはずもない。
まだ少女の域を出ないがそれゆえにライオンたちを堂々と操るその姿は、大人からしたら神秘的であり子供からしたら同年代のヒーローのようで、その人気ぶりは一座の宣伝用ポスターにでかでかと表れた。
だが急に人気が出るとその分、嫉妬も買うものだ。
座長とねんごろだった踊り子の一人がそうだ。権力者が隣にいると自分まで偉くなったつもりになるのか、器でないのにポスターの真ん中に置いてくれなんてお願いし、それが一笑に付されると不機嫌に頬を膨らませた。
膨らんだ不満はガス抜きしてやらないといけない。ストレスはお肌に悪いの、というのが口癖。その彼女が思いついたのは少女をいたぶること? いや、弱みを握ってやったほうが良いと考えた。
夜。みんながぽつぽつと眠り始める頃。女は少女のテントを見張った。……そう言えば、猛獣使いがライオンが毒殺された件はあの子の仕業とか言ってたっけ、と頭に思い浮かべながら少女が寝入るかテントから出るのを待った。
荷物を漁れば毒瓶の一つでも出るかもしれない。公演中こそ確実だが座長のテントでおねだりし、部分部分に出番を入れて貰っていたため、そう自由には動けなかった。
とは言え、夜更かしは肌が……なんて思ったとき、少女のテントの明かりが消えた。
眠ったようね、と女は身を乗り出したがテントが揺れ、少女が出てきたので女は再び物陰に身を隠した。
トイレだろうか。すぐ戻らないならチャンスだけど……。いや、もしかしたら男と会っているんじゃ? あたしがあれくらいの年は……と桃色に染まった脳がそんな解をはじき出し、女は静かに少女の後をつけることにした。
もしかして……座長のテントへ? と不安と怒りが湧き始めたがスンと途絶えた。
少女が入ったのは象の小屋。なんだ。世話係としてただ様子を見に来ただけかと女はガッカリしたが一応、中を覗くことにした。まだ男と会っている可能性は捨てきれない。
しかし、中に人人間は少女だけ。その少女は象の体を撫で、そして……
「え、あ、はぁ? あ、いや――」
女の悲鳴は遮られた。突然、口に突っ込まれた太い物によって。
翌朝、女の死体が象小屋の外で見つかった。四肢が折れ、顎が裂け、下腹部から血を流していた。
一座の女たちはその凄惨さに怯え、涙し、男たちはひそひそと声を潜め何かを話すとまた声を殺し笑った。
一番人気とされていた踊り子の死だったが、一座にさほど影響はなかった。
一位が消えたら二位が繰り上がるだけだ。夜中に一人、象小屋に入った理由は定かではないが詳しく探ろうとするのも礼儀に反する。
男が夜に一人、野営地から離れ、茂みの中でナニをしていたのかと聞くのと同様にだ。だから男たちは声を殺し笑った。時に女たちも。
『あの女、座長相手じゃ物足りないから象とファックを試みたんだ』と。
かくして一座は旅を続けたわけだが、ある寒い冬の夜のことだった。その日の夕食に座長は夜中、少女に自分のテントへ来るように言った。
座長はベッドの上で足を伸ばし、薪ストーブの火を見つめながら少女を待った。
最近、また一段と背を伸ばし、美しくなった少女。その股の間から流れる熱い蜜を想像し、ニヤついた。
そうは言ってもまだまだ少女には変わりない。しかし、座長は熟れる前に食すことを厭わないタイプであった。
一位が消えて繰り上がるのは二位でなく、その時の座長のお気に入りだ。
しかし、良い頃合いになっても少女は来なかった。でも座長は慌てなかった。きっと、ためらっているのだろう。ああ、緊張し恥じらいもしている。エスコートしてやらねばな。
そう考えた座長はテントから出て少女のテントへ大股歩きで向かった。
やあ、お嬢さん。待ちきれなくてテントのほうから来たよぉ。いい時間だぁさあ開けてごらん。中から飛び出すのはナニかなぁ?
と、優しい囁き下衆の囀り。捲り捲るテント。飛び出すのは時を告げる鳩ではなく踊り子が絡みつく醜悪な棒。
しかし少女のテントの中はもぬけの殻だった。
だが、座長は何ら動揺しなかった。少女の居場所くらいわかる。
ゆえに座長は一度自分のテントへ戻った。銃を取りに行ったのだ。少女がいるのは獣の小屋のどれかだろう。もしかしたら、あの畜生どもが邪魔をしてくるかもしれない。何ならあの子が嗾けて来る可能性……なくはない。ま、少なくとも壁にすることくらいはできる。それならそうだ。獣に銃を向けてやろう。素直に言うことを聞かないなら……といった具合にだ。見せしめに犬を撃つのもアリかもしれない。
座長はそう考えた。この時、座長の犬は座長より少女に懐いていた。だからたとえ自分の犬でもその腹に銃弾をお見舞いすることにためらいはなかった。
座長はまずライオン小屋を訪れた。
そして驚いた。無理もない。少女はおろかライオンがいないのだから。まさか脱走したのか? 少女の仕業か?
次に熊、そしてシマウマと順に訪れたがどこももぬけの殻であった。
そして一番大きな小屋。象小屋の前に来たとき。物音が聞こえた。そしてクスクスといった少女の笑い声も。
座長は銃を今一度強く握るとドアを開け、小屋の中に入った。床に置かれたカンテラが小屋の中を照らしており少女の影が大きく伸びあがっていた。
その周りには動物たちの影。重なり合い、奇怪なその影のもとに座長は目を凝らすと同時に見開いた。
そして悲鳴。だが、これは阻止された。あの女と同じように口の中に象の鼻を突っ込まれて。
構えた銃は撃鉄を上げる前に下を向いた。熊によってへし折られた座長の腕は萎えたペニスのようだった。
少女はクスクス笑い、自分の口周りをペロッと舐めた。
少女はまともだがまともじゃなかった。賢かったがイカれていた。これも矛盾しない。
少女は夜な夜な、しつけていたのだ。動物たちのモノにキスし、しごくことによって。どこでそうすることを学んだのか、町で一人、生き抜くためだったというのなら涙も誘いそうだが座長はそうは考えなかった。ただただおぞましく思った。確信があったのだ。少女は好き好んでそれをやっている。楽しんでいる。群がる動物たちに精液に塗れた手で触れ、こびりついたその顔で笑っている。
象の鼻を口から体の中にさらに押し入れられた座長はゴプゥゴポォとポンプのような音を立てた。少女がチュッと唇を鳴らすとライオンが座長の手足に噛みついた。どうにか手に残していた銃は床に落ち、服から滲み出た血がその上にかかった。
行き場をなくした悲鳴が鼻の穴をこじ開け出ようとするがそれが精一杯。あと体から漏らせたのは尿と糞だけだった。
解体ショー。その演目にチンパンジーが手を叩いて笑い、豚が鼻を鳴らした。キリンが小屋の小窓から首を入れ、ニイッと歯茎を見せた。犬は舌を出しながら尻尾を千切れんばかりに振り、シマウマは体全体で笑い、デカイモノを揺らした。
そして翌朝。一座を運ぶ馬は霧深い森の奥へそっと進路を変えた。
その後、見世物小屋を彷彿させる奇怪な仮装をしたサーカス団が町々を回った。
動物が半端に人に化けたようなその姿。一座が連れている動物の扮装をした彼らを座長である女は我が子のように可愛がる。そしてその常に膨らんでいる自分の腹を愛おしそうに撫でるのだ。
世にも珍しい、家族経営の一座である。
これは僕が寝付けない夜にママが聞かせてくれる話。
一緒に眠る、パパの鬣を撫でながら。とてもとても温かなお話……




