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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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活き造り

「きゃー」と彼女が悲鳴を上げたので、おれはマジか、と思った。次にあの口からひねり出される言葉は屁に似た音じゃなければ『かわいそぉー』だ。


「かわいそぉー」


 ほらな。くだらなすぎて反吐が出そうだ。カウンターの向こうの大将も『ま、そう言われるお客さんもたまにいますね』なんて少し困ったような笑顔をした。


「まだ生きてるぅー」


 いいや、そいつは死んだんだ。漁師に取っ捕まって、運ばれて、そこの水槽に入れられ大将に生殺与奪の権利を握られた時点で、そいつは死んだも同然なんだ。


「ねーえ、食べるのやめよぅ?」


 馬鹿が。食わずしてどうする。もうそいつのはらわたが抜かれたのはお前も見ただろう。『すごーい』なんて大将の包丁捌きに感激してただろうが。

 食うのがかわいそうと思うなら大将が水槽に手を突っ込む前に、いや、おれが大将に注文する前にそう言えば良かったんだ。いや、そもそもイカを食いたいって言ったのはお前だろうが。ほら、見事なまでに線が入っているだろう。


「足はまだ切っておりませんのでこの鋏で切っていただいて、それから――」


 女。大将の説明に『いやー!』なんていちいち声を上げやがる。恥をかかせやがって。大将もしまいにゃ怒って……と思いきや若い女の悲鳴が聞けて嬉しいのか、それとも本当に純粋無垢な女だと思ってやがるのか頬が緩んでやがる。

 だがな大将。もしこの女とどこかで再会することがあっても、それは運命なんかじゃなく、あんたがおれと同じサイトを使っていただけの話だ。

 こいつはパパ活、つまりは娼婦だ。こいつのツインテールの根元の脳みそにはブランド品とホストと金とセックスしか入っていないんだ。博愛主義者でもなければ慈悲深い修道女でもない。ただの気まぐれ。それか自分を可愛く見せるための鳴き声さ。自分が今言ったことも店を出て十数分後には忘れているだろうよ。


「ははははっ、そんなに言うんでしたら持って帰りますか?」


 大将……。持って帰るってその切り株みたいな奴をか? イカの生命力のすごさは確かに今、目の当たりにしているが、せいぜいもって三十分くらいだろう?

 馬鹿女が真に受けて『そうしようよぉ』ってほら乗り気だよ。馬鹿、本当に馬鹿。お前はそう言ってペットショップの血統書の意味もわからないくせに馬鹿高い子犬だか子猫だかを彼氏にねだって買ってもらうんだ。んで飽きて捨てるか返品。そっちはもって一週間。レンタルなら儲かるかもな。

 っと、まあおれもこいつをレンタルしているようなもんか。わがまま聞いてやるつもりはない。おれはコイツのツインテールをバイクみたく握ってガンガン喘がせたいそれだけなんだ。


「ありがとうございましたー」


「じゃ、その子お願いね! 今夜はご馳走様! え? ホテル? ダメダメ! その子をお家に連れて帰らないと駄目でしょ! じゃ、またねー!」


 あぁ、女がスカートを靡かせて去っていく。おれのおれのおれの白い太ももが去っていく……。

 よせよせ、白さも本数も負けちゃいないのは認めるが、おれが絡み合いたいのはお前じゃない。肩に乗った切り株のようなイカを指でつまみ放り捨てようとすると、わかっているのか本能なのか指に絡みついてきやがった。

 あああ、イカの活き造りなんざ頼むんじゃなかった。腕をブンブン振っていると酔っ払いがダンスか何かしているのかと思ったのか、周りの奴らがニヤニヤした面でおれを見てきやがった。

 声を掛けられないうちに退散。変な行動をする奴を放っておいてはくれない現代社会。ネットに晒されるのは御免だ。


 アパートの部屋に帰ったおれは床に散乱するゴミを蹴り上げながら奥に進んだ。

 うるさいことへの抗議か隣の部屋のやつが壁をドンと叩いたが叫び出したいくらい怒っているのはおれの方さ。結局、このイカは元気なまま、ここまでついてきやがった。まったく、弱る気配がない。大将の話じゃイカっていうのは頭の上に胃だの心臓だのがあるんだと。つまり、今コイツにあるのは足と脳と目とそれから口だ。首を切られた鶏がしばらく生きていたなんて話を聞くが、あれは心臓と胃が無事だったから生かして見世物にできたわけでコイツはもう詰んでいる。あるのはやっぱり死だ。

 それでも走る元気があるから驚きだ。クソッ、どこへ行きやがった。スイッチ、スイッチ……部屋の明かりをつけて……うおっ。

 なんてこった! こいつ、ゴキブリを捕まえやがった! 足で絡めとり、うへえなんてこった気持ちわりぃ蜘蛛かお前。

 ……ん? おいおいおいまさか食ってやがるのか? キスしてんじゃないよな? おいおいおい、脳が残ったっていっても考えることはできないのか? お前の食道は途切れているんだ。結局ミンチになってクソみたいに頭に空いた穴から押し出すだけだろ?

 うへぇ、気持ちわりい、吐き気がするぜ。何か入れ物は……と、ああ、使ってないマグカップがあった。ほら、塩水だ。彼女に写真を送るから、そうそう、捕まえた獲物を掲げてほら、映えだな映え。ははっ、いいぞ。帽子みたいじゃないか。


 ……おい『え、何それきもー』だとさ。ははは、ほら、お前のことなんてもう忘れてやがる。

 おいおい、ブロックされたぞ。これなら自分のいきり立ったモノの写真を送った方がまだマシだった。クソッ、醤油垂らして食っちま……えねえな。ゴキブリも食うことになる。それ、くっつけたのか? きもいな。あーあ、クソ……とっとと死んじまえ。はぁ……なんだよ? 手を振るな、こら絡みつくな。ああクソ、なんなんだよ……。




 おーい、帰ったぞ。今日はほら、活きのいいのが取れたってほら、慌てるなよ。

 ああ、そうだ。例の彼女とまた連絡が取れたんだ。はははは、相変わらずホスト狂いさ。自分を見失ってやがるよ。金が必要だってさ。だから今度うちにつれてくるよ。

 ふふふ、ああ、こらそういう意味じゃないよ。お前のためさ、嫉妬なんかするなよ。ほら、あ、ああ……お前は最高さ。あの日も今みたく慰めてくれたもんな。ふふふ、そんなに絡みつくなって。まだ服脱いでないんだからさ。

 あ! 猫の野郎が逃げ……っとさすがだな。いいぞ。着け心地はどうだ? ん、良さそうだな。


 ははは、彼女が来るのが楽しみだなぁ。

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