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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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鰻屋で見る格差社会

 繁華街の一角に構える鰻屋『源海』

 その道五十年の店主が備長炭で焼き上げた鰻は外サクサク中フワフワ。言わずもがな、こだわりのタレはまさに秘伝。舌に溶けだした旨味が体内に行き渡っていくのを実感すること間違いなし。


 と、いう触れ込みをネットサイトで見た四人の男。彼らは高校の同級生。社会人になった今、会おう会おうとちょくちょく連絡を取り合っていたものの中々、機会に恵まれずにいた。だが、ようやく予定が合い、こうして言わばプチ同窓会を執り行う運びとなったのだ。

 駅前で待ち合わせした四人は、積もる話は食事の席までとっておこうと道中、遠慮がちに喋りつつ店の前に到着。中に入る。

 運よく座敷席が一つ空いていたのでガヤガヤとそこに上がった。

 メニュー表を眺める一同。そう悩むほど品数は多くない。見るべき箇所は値段。


 田中は目を走らせる。


 ――松、竹とあって……梅がないじゃないか! くぅ、高い! うちではそのレベルは置きませんってことか?


 と、ここで早くも佐藤が手を上げたので店員がささっと駆け付け膝をつき、注文票を構える。

 俺はまだ決まってないのに、こいつ昔からそういうとこあるんだよな。と、田中が口を曲げる。しかし佐藤が何を頼むか気にはなる。


「特上ね特上。鰻二段重ねの。みんなは?」


 サッとあたかも当然のように店で一番高い物を頼み、こちらに向けたその目は値踏みするかのよう。

 佐藤。彼はIT企業の若手社長。むしろ、この鰻屋でも物足りない。『お前らに合わせてやったんだぜ?』と道中もそんな雰囲気を漂わせていたのだ。


「俺は特にしようかな」


 若干『まあ被るのもあれだしな』という雰囲気を出しつつ鈴木はそう注文した。

 鈴木。彼は今、勢いのある証券会社に勤めている。佐藤と張り合い、特上を頼まなかったのはそれも余裕の表れのうちか。


「じゃあー、俺は松で」


 特に続くランクの松を注文した高橋。

 高橋。彼はごく普通の会社勤め。この値段でも少々懐厳しいところだが『まあ、久々に会ったんだし! 滅多にない機会だし!』と、心の中で自分に言い訳しつつ早々と無料の水を飲み干した。また、無意識に一番下のランクの竹を避けたのはプライドの表れである。


「……俺も、特上で」


 そう注文したのは田中。

 田中。彼はフリーター。正気の沙汰ではない。事実、冷静さを欠いていた。 しかし、ここで竹を注文すれば、おのずと経済事情がわかるというもの。近況報告はまだだ。フリーターだとは知られていない。むしろ、これを足掛かりにマウントを取る。そう考えた。

 しかし、注文して数秒後。その目はメニュー表の桜の文字に釘付けになった。


 ――これ、一番安い。ああ! 梅ではなく桜だったのか! くっ、だが、まあいい。メニュー表に載った写真を見るに桜は鰻半身。これを注文してたらこいつらに滅茶苦茶馬鹿にされただろうからな……。


 田中は頭の中で金の計算をしつつ、そう自分を納得させた。それからしばしご歓談。そして、そう待たずして時は来た。

 拭漆で仕上げた黒いケヤキのお盆に乗せられた重箱。それが各人の前に置かれ、その箱の色からもランクの違いが分かる。

 この時、田中が佐藤のことをちらっと見たのは『お前ごときが俺と同じランク? はっ笑える』と思われていないかという卑屈な考え。一方で佐藤は箱に対し何も思いを巡らせることなく、あっさり開けた。


 ――ふつくしい。


 追って蓋を開けた田中はそう呟きそうになるのを堪えた。輝く見事なまでのべっこう色の身は店の照明に関係なく、それ自体が光を放っているようだった。

 そして僅かについた焦げ目は不規則のはずだが何故かそれが正しい、完璧とも思えるような配置。たった今目にした、表面の僅かな凹凸から流れ出た脂とタレが絡み合った雫は鰻の下に隠れる白米に染みこみ、豊かに色づいていることが見ずともわかる。


 そして特上に至っては二段重ね。田中は先程も今もその意味がわかっていなかったが鰻の下の白米にはまた鰻が眠っているのだ。

 田中は箸を取り、震えながらその身に触れた。


 ――やはらかなり。


 初めて女に触れた時、その肌が男とは違うことを知った。

 それを思い出した田中。と、ここで自嘲気味に笑った。何を馬鹿な。雰囲気に呑まれ過ぎている。たかが鰻だ。なあ、そうだろう?


 ――ちがふ。


 田中が食べて来たスーパーの中国産のウナギとは全く違った。そう、これは鰻。ウナギとは違う。鰻である。勿論、ウナギは鰻であるが鰻。鰻鰻鰻。

 田中は器というものもそれに見合う相応しいものでなければならないのだと知った。スーパーのウナギは白いトレー。鰻屋の鰻は重箱。

 口に入れた瞬間、溶けていくその身の温かさと鰻の旨味。田中は人体の中で一番美味しい部位は舌なのだと確信を持った。


「田中、田中? おい田中、大丈夫か?」


「え、あ、うん」


 田中は佐藤の呼びかけに我に返った。と、同時に怒りが湧いた。セックスにも似た鰻との絡みを邪魔されたことだけでなく佐藤の雑な食い方。口に入れてすぐビールを流し込むその浅はかさと無神経さ。

 なにしてんのよ! と思わず声を上げそうになった。


「ぷはっ、んで、仕事だよ仕事。お前だけだぞ? まだ聞いてないの」


 田中が鰻に夢中になるうちに、卓はいつの間にかそんな話になっていたようだった。


「まあ、田中は特上頼むくらいだし、結構稼いでいるというか名のある企業に就職したんだろうな」


 突然、田中の口から鰻の風味が消え失せた。もう背中の汗と共に食したその成分も流れ出たのかもしれない。

 まずい。まずいぞ。ここで下手なこと言えばウソがばれるかもしれない。そう考えた田中は『まあ、そこそこな感じのところね』とさりげなく言ったつもりだったが、舌を噛んで『ひょこそこ』と言ってしまった。舌は多分それほど美味しくはない。田中はそう感じた。

 田中の動揺っぷりに気づかぬ三人ではなかったが、それと関係なく、田中の服装からして(一人だけスーツではなく、私服であった)稼いでいるとは最初から思っていなかった。

 しかし、言わぬが花。久々に会った高校時代の友人。かけがえのない友。この先もそう、子供ができ孫ができ、語り合える仲間。こんなところで亀裂なんて作りたいはずがない。他の三人はそう思い、箸を進めた。


 が、ビールも進軍すれば、その思いやりの心は脆く崩れ去る。何せ高校時代の友人。教室で下ネタを言い笑いあった仲。気兼ねなどするはずもない。


「おい、田中ぁ、それで何の仕事してんだよぉ」

「あれだろ? たかーいビルに勤めてるんだろ?」

「違うよな? キラキラのビルだよなー?」


 田中は震えた。突き刺した箸は二段目の鰻にまで到達し、田中と共に身を震わせた。

 口から出るのは言葉にならない声、「ふぐぅ」ぐうの音は出るが明確な勤め先は出ず。


「最近は逆に地下の階数が多いほうがすごいんだぞぉ」

「田中は地下五十階ー! シェルター建設ぅー!」

「強制労働じゃねーか!」


 止まらぬ大喜利大会。笑う三人。堪え、起死回生の一手を図る田中。しかし実は本当に大企業の……なんて展開もない。社長令嬢と付き合っているということもない。現実は嗚呼、無情なり。


『もー、うちにお財布忘れてったよ? あ、みなさんこんばんはぁ。私、モデルやってて今、彼とお付き合い――』

 

 ゆえにこれは田中の妄想。そもそも彼女なんていない。いない。いない。なのに哀れ田中。店の入り口に目を向け、救世主を期待してしまう。


 しかし、その時だった。


「あ、あれ? 伊藤?」


 店の扉を開けて入って来たのは高校の同級生、伊藤。まさかの偶然だった。しかし田中からすれば奇跡も奇跡。


「お、おい! 伊藤! 久しぶりだな! こっち座れよ!」


 明らかに戸惑いの色を見せた伊藤を強引に呼び込んだ田中は密かに安堵した。と、言うのも伊藤のその姿。自分以上にみすぼらしい。座敷に上がるために靴を脱ぎ、露わになった靴下から足の指が顔を出していた。


「それで伊藤。なに頼むんだ?」


「あー、俺は別にいいかな……」


「おいおいじゃあ、何しに来たんだよ! まさか匂いだけ嗅ぎに来たのか?」


 笑う一同。元々、伊藤とはそこまで親しくはない。故に田中が呼び込んだ時、他の三人は一瞬困惑したが酒の席だ。細かいことは気にしない。そう、田中は止まらない。


「桜だろ桜! 俺の特上をちょっと分けてやるよ! それで竹、いや竹の子レベルだな! お似合いだ! ははははは!」


「ははは……サンキュ」


「はぁーあ、たくっ相変わらずだなぁ。それで伊藤、お前仕事は? 俺たちはまぁいい感じの企業に勤めてるけど」


「ああ、俺はまぁ無職だな。何日か前にバイトクビになっちゃって」


「フォオオオオオオ! 無職!」

「透明! 君は何色にも染まれる!」

「むしろ色がつかない! 染まれない!」

「しかしお先は真っ暗闇!」


 伊藤を除き、笑い転げる一同。

 伊藤は静かに運ばれて来た鰻丼を食す。が、すぐに箸を止めた。


「おいおい伊藤。お前、鰻だけじゃなく白米も食えよ?」

「白米は貧乏人の味方!」

「ビバ! 炭水化物!」

「腹を満たせぇ!」


「あー、うん。ははは……でも俺、食って来ちゃって」


「え、何を?」


「牛丼」


「ぎゅぎゅぎゅぎゅうううう丼!? 牛丼屋で牛丼食ってから鰻屋に来たの!?」

「おまえ、それ、ぶはっ、回転寿司行く前に親にパン食わされる子供じゃないんだからっ!」

「涙ぐましい……上官殿! それでも僕、鰻が食べたいんですっ! よろしいでしょうか!?」

「きょーかーすーるー! さあ、伊藤! 俺らのも食え! 米はビニールにでも入れて持ち帰れ!」


 再び笑い転げる一同。箸がテーブルの下に落ち、グラスが倒れ中身が駆ける。伊藤はその中、倒れたグラスを元に戻し、言った。


「あー、うん。まあ別に鰻食いに来たんじゃないんだ」


「え? ははは! じゃあ、何しに?」


「実はさ……牛丼食った後、ついでにその店で強盗したんだけどさ。あまり金置いてなくてそれで鰻屋のほうが儲かってるんじゃないかと思ったから来たんだ。だからさ、お前らも金持ってるようだし、ほら、全部出せよ。殺すぞ」


 伊藤が出した包丁を前に、田中は静かに微笑んだ。

 脳内で金勘定した結果、手持ちの金が特上を払うのに足らないことがわかったからであった。

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