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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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しっちゃかめっちゃかはっちゃけた

 おれは激怒していた。悪に、大衆に、制度に、世界に、とにかく全てにだ。


「待て! 止まれ!」


 奴らも激怒していた。国家の犬ども。敵を見誤り、善人たるおれを追いかける馬鹿ども。

 夜の繁華街。その追いかけっこを見る通行人は目を丸くし、怪訝な顔をし、悲鳴を上げ、嘲笑った。

 能天気な連中だ。明日はお前らがこうなるかもしれないのに。


「変態野郎!」「露出狂!」 


 野次が飛ぶ。ああ、確かにおれは全裸だ。しかし、おれは断じて露出狂ではない。

 事の発端は道で美しい女に声をかけられたことだった。


 ねえ、私のこと覚えてる?

 え? 覚えてないの?

 ほら、前に会ったじゃない。

 あなたに助けて貰っちゃったの。

 私、お礼がしたいなぁ。

 ねえ、ついてきて、ほら早くぅ。


 と、おれは全く身に覚えがなかったが、お礼がしたいと言われれば悪い気はしない。それが美人なら猶更だ。おれは連れられ、キャバクラのような店に入った。

 いい店だった。店の女の顔はそこそこ。おれをここに連れて来た女が相手をしてくれると思っていたのだが、どこかへ行った。

 だが過度なボディタッチもセクハラめいた要求も笑顔で受け入れてくれれば酒も美味くなるというもの。

 だから飲んだ。確かにたくさん飲んだ。しかし、だ。会計を見たおれは度肝を抜かれた。きっと何本か白髪になったに違いない。

 な、ば、な、な、と驚きの余り、おれが何も言えずにいると屈強な男たちがおれを取り囲み、ドスの利いた声で言う。

 

 お客さん、払えないなんてことありませんよね? と。


 更に連中はおれに服を脱ぎ、正座をするように要求した。

 ここで補足だがおれはエリートだ。賢さで言えばここにいる誰よりも上だろう。

 しかし、ここは暴力が支配する場。賢さは役に立たず、エリートの肩書はむしろ枷になる。連中はどうやら裸のおれを撮影したいらしい。となると、ぼったくり料金を払った後もきっと事あるごとに脅し、金を要求してくるだろう。こんな失態を会社の連中に知られれば、おれの経歴に傷、いや最悪、クビになるかもしれない。そうなれば行く末は野垂れ死に。

 それは言い過ぎかもしれないが、しかし、最悪な想像というものは暴走特急のようなもので止まることはないのである。

 だからおれは服を脱ぎ終えたその瞬間、連中に突進したのだ。

 大人しく言うことを聞いていたおれに連中はすっかり油断していたのだろう。おれが体当たりした男は仰け反り、何人か巻き込み後ろに倒れた。

 おれはその隙に服を抱え、店を飛び出した。丁寧に纏めていたのが幸いした。やはりおれはエリートだ。


 しかし、勝利の愉悦に浸る余裕はなかった。連中が後ろから追いかけてきたのである。

 おれは必死に逃げた。その最中ころころころりと抱えた衣服の中からまず靴が片方落ちた。嵩張るから仕方ない。そのうちもう片方も落ちた。次はネクタイ、その次は靴下。アンダーシャツ。パンツ。財布だけは守らなければならないとおれは思った。金はともかく免許証で素性がバレるのはマズい。

 しかし走りながらズボンのポケットを漁るのは難しい。やっとのことで取り出し、やったー! と上に掲げてみればズボンは手から離れ、後方に。残るシャツもいつの間にか落ちていた。


 そうこうしているうちに大通りに出た。連中はそこまで追ってはこなかった。元々、後ろめたいことをしている奴らだ。目立つのは嫌だったのだろう。

 おれは笑った。後ろを見て笑い、前を見て笑った。大衆はそんなおれを見て笑った。

 すぐそこにいた警官は笑ってはいなかった。


 こうして、おれはまたも追われることになったのだ。何としても警官を撒かねばならぬ。しかし、体力の限界は近い。

 公然わいせつ罪。もう何人にも手を振るように自分のモノを見せつけたので言い逃れはできない。

 事情を説明すれば罪には問われないかもしれないが、あの店の連中がそう簡単に認めるとも限らない。ひどく酔い、勝手に脱いで会計も済まさずに店から飛び出したと逆に追い詰められかねない。

 おまけに滅茶苦茶に走ったせいで店の場所を忘れてしまった。『竜宮城』と看板に書かれていた気がするが、それも定かではない。


 路地に入り、外に出て、また路地に入りを繰り返し、おれは人けと灯りがない方へと向かった。そして後ろに警官の姿がないことを確認すると物陰に隠れ、足を休めた。


 一先ず安心だ。息を整えると、徐々に震えてきた。アドレナリンが切れ、疲れと恐怖が込み上げてきたのもあるが汗で冷え、寒さを感じ始めたのだ。今は九月。もはや七月八月に限らず九月、十月も暑いのは常識。しかし、夜の上に今日は少し気温が低めである。

 おれはちくしょう、ちくしょうと呟き、鼻をすすった。汚らしい路地裏だ。恐らく、空の弁当の容器か何かで水溜まりがあるだろう。蚊が寄ってきて、おれの体を刺した。チクチクチクと一寸に足らない虫の分際でこうも人を不快にさせることができるのか。憎しみを込めながらパチパチパチと叩く。


「あれ? おじさん、全裸の人?」


 おれはその声にパッと顔を上げた。そこにいたのは四人の少年。自転車にまたがり、ニヤついている。


「なんか騒ぎになってたよ」


 こんな時間になぜ子供が、と思ったが塾帰りだろう。ご苦労なことだ。彼らも将来はおれのようなエリートになるのかもしれない。

 だから、エリートの先輩たるおれはあっちに行くように優しく促そうと笑顔を見せたのだが、子供らの一人、他の三人よりも一歩前にいる恐らくリーダー格の少年が言った。


「警察呼んじゃうよ?」


 少年の視線はおれの手の中の財布に向いていた。


「どれくらい入っているの?」


「まあ、そこそこ……」とおれは何とも控えめな態度で応えた。


「いいから広げて見せろよ」


 その言葉におれは素直に従った。と、言うのも先程のバーでおれは横についた女に「足を広げて見せてよ」など似たようなセリフを言ったその映像とその後、あの屈強な男たちに取り囲まれた恐怖が脳内に蘇ったのである。


「一枚くれたら黙っててあげるよ」


 今、財布の中にあるのはおよそ三万円ほど。これで服を買うなりタクシーに乗るなりするつもりだったが交渉の余地なく、伸びてきた手にすっかり取られてしまった。敗残兵は奪われるばかりである。

 せめて、服をくれないかとおれは懇願したが少年たちは「変態!」と罵った挙句、自転車にまたがり去って行った。

 悪童。あれでは約束を守るとは限らない。今ごろ鬼の首を取ったようにはしゃいでいるだろう。必ず誰かに自慢するはずだ。何よりこのままこうしてても仕方がない。朝になればますます出にくくなるだろう。暗く、人けが無い今がチャンス。

 おれは路地裏から顔を出し、辺りを見回した。

 ……よし、人はいなさそうだ。まずは服だ服。どこへ行こうにもこの恰好じゃすぐに騒ぎになる。夜中に洗濯物を外干ししている家もあるだろう。盗みは犯罪だが今は緊急事態だ。

 おれは周辺の家の物干し竿を確認しながら歩いた。

 と、不味い。前から人が来る。視線は今、その手に持つスマホに釘付けのようだが、いつまでもそうして歩いているはずがない。


 おれは咄嗟に近くの木に登った。前は見ても上は見まい。

 それで何とか難を逃れたが、今度は犬が吠えた。この庭木の家の番犬らしい。ワンワンワンと腹立つ犬だ。もう金はないぞ。殴り殺してやりたくもなったが、枝についていたまだ青っぽい柿の実をその顔に投げつけてやった。

 犬はくぅんとしょげたように鳴いて駆けて行った。いい気味だ。

 木に登ったついでに辺りを見渡しておく。今は遠く、賑わう繁華街にどこか夢幻のような感傷に浸りつつも現実は寒い。

 夜空の月を見上げ、家に帰りたいとぼやくが肝心の洗濯物は見当たらない。くしゃみが一つ出ればまた一つ。そのうち止まらなくなり、これはマズい。肺炎になりそうだ。


「あれです! あそこに男が! 犬が吠えたんで様子を見たらいたんです!」


 もっとマズいことになった。飼い主らしき女が三人の警官を連れてこっちに来るではないか。恐ろしや、犬の敵討ちだ。おれは木から飛び降り、また走った。

 こうなればますます服が欲しくなる。いや、タオル。布なら何でもいい。と、目についた布に手を伸ばし、ひったくった。

 

 それは地蔵の赤い前掛けだった。

 それでもないよりマシだとおれは自分のモノに結び付けた。

 が、走りながらやることではなかった。警官に追いつかれ肩を掴まれてしまった。なんのその。ここで捕まればこれまでの努力は全て水の泡だ。財布を口に咥えガッと警官に掴みかかる。相手は熊のような男だったが今のおれは滾っている。


「ふごおおおおお!」


 おれは警官をぶん投げてやった。おれとお前とじゃ背負っているものが違うんだ。

 そう鼻から息を吐いたが、遠くから残りの警官が迫ってくるのが見えたので勝利の余韻に浸る暇なく、おれはまた走りだした。

 追われているうちにまたも繁華街へ。しかし、先程とは違い一応だが衣服を身に着け、大事な部分は隠しているのでそう、不快に思われているわけではなさそうだ。

 笑い声や、いいぞー!など応援ともとれるような声をかけてもらえた。

 だからおれも声を上げようかと思った。いつの世も横暴な国家権力に対抗できるのは民衆の力だ。味方に付ければ頼もしいことこの上ない。面白い奴だと思われれば、捕まらぬように足止めもしてくれるかも。


 何と言おうか。狼が来たぞー! これは違うな。注目はもう集まっている。王様の耳は……ははは、これも違う。

 走りながらああでもないこうでもないと考えていたその時。

 おれは確かに後ろからカチカチという音を聞いた。

 背筋が凍る感覚。距離はあった。しかし確かに聞いたのだ。

 おれが後ろを振り返ると同時に警官の怒号が繁華街に響いた。


「止まらないと撃つぞ!」


 見ると警官は銃を構えていた。あのカチカチという音は撃鉄を起こした音だったのだろうか。

 まさか撃ちはしないだろう。丸腰なのは見ればわかるはずだ。

 しかし、おれはさっき警官を投げ飛ばした犯人。おまけに銃を構えているのはその警官、張本人。赤っ恥もいいところだろう。その証拠に怒っているのか顔が赤い。

 おれは背中に火を付けられたように走った。民衆は銃を前にしては味方になっちゃくれない。沈みゆく泥船。ただ息を呑んでいた。その頭の中では、こう考えたのかもしれない。


『警官がおかしいのではない。アイツは銃で撃たれるほどの凶悪犯だったんだ』


 それは心の防衛本能のようなものだ。理不尽で凄惨極まるニュースを目にした時『こんなひどい殺され方をするなんてきっと相当恨まれていたんだ』『被害者もそれだけのことをされるに値する悪い奴だったんだ』『原因はアイツにもあった』と考え、世界は公平であり、そうでなくてはいけない。悪人には罰を。罰を受けた者は悪人。自分は大丈夫。けっして理不尽な事など身に降りかかることはない。そう納得させ、心のバランスを保つ。昔話のように、正義が悪を成敗するそんな世の中だとどこかそう思いたいのだ。


 悪を成敗。そう、おれは撃たれた。地面に倒れ、広がる血と寒さで限界に達していた膀胱から解放された尿が入り混じる。しかし、それは温かくどこかおれの心を穏やかなものにさせた。倒れているのに、ゆらゆらと揺れる感覚。夢心地。突き上げた尻がどんぶらこどんぶらこ。月を見上げ、家に帰りたい。


「――お前だったのか」


 誰かが口にしたおれの名で、おれは現実に引き戻された。

 おれを取り囲む民衆の中の誰かに知り合いがいたのだろう。おれが露出魔でもなければ狂人でもないことを証言して欲しいがこの状況。無理な話だろう。せめてこの財布を持ち去り、おれが誰であるか心の中に仕舞っておいて欲しいが、それもまた無理な……と、財布をぎゅっと握ったら中から見慣れない物がスルッと落ちた。

 

 これは……マッチだ。紙マッチだ。そうだ、思い出した。あの連中め。ぼったくりバーのくせに一丁前に店の名前を記した紙マッチを置いていやがったんだ。誰かのこだわりか知らないが馬鹿め。


「これ……これ……」


 これを見てくれ。元はと言えばこいつらのせいなんだ。おれは無実なんだ……


「……この人、マッチで温まろうとしたのかな?」


 誰かの声。反論する力はとうになく、勝手な想像に任せる他なかった。

 これは、めでたしめでたしにはほど遠い、哀れな男の話……だ……。

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