俺のショートショート
「――さん? 聞いていますか?」
「え、ああ、えっとここ」
ここはとある病院。その診察室。丸椅子に座る男は
「は? 声、ん? あんた」
男は目の前に座る医者の顔をまじまじと見つめた。まるで初めてのものを見る赤ん坊のようであったが、あながち間違いではない。
「いや、間違いだろう」
「いいえ、本当です」
そう、先程この医者が男に告げたように、ここはショートショートの世界。そして主人公は彼である。
「は? ショートショート?」
「ショートショート。短い小説ですね。お好きですか?」
「いや、そうでもないが……」
だが、主人公である以上、彼は限られた文字数内で読者をあっと驚かせるような物語を展開しなくてはならない。それが彼が生まれた理由。もし、できなければ没。誰の目に届くこともなく、消えてなくなるのだ。
「消える、没……」
「……その、がんばりましょう!」
「いや、は? こんなこと、あるはずが」
と呟きつつも彼の胸の内では、とてつもない速さで不安が広がっていた。
まるで水の入ったコップに一滴ずつ墨汁を垂らしていくように。夢から覚めた直後、ぼーっとした頭がはっきりとしていくように段々とそれが本当、真実であると確信めいたものが込み上げてくる。
「勝手に俺の心の中を想像するな! 静かにしてろ!」
だが、確かにあの声の通りだ。 しかし、そんなこと有り得るのか? だって俺はこれまで普通に過ごしてきた。そうともごく普通の一般家庭に――
と、彼は家族の顔を思い浮かべようとしたがその必要はない。なぜならこの物語には彼の家族は登場しない。なのに家族構成やらなにやらを読者に説明するのは無駄である。独身、平凡な男。これまでは。それだけで十分。
「十分とは何だ! 家族、家族……」
「説明なさいますか?」
無論、それは彼の自由だ。しかし、もうすでに物語は始まっている。ダラダラと説明、不要な描写をしては出来が悪くなるだろう。そうなれば没。何も残らない。残せない。
墨汁だなんたらと描写したのはどこのどいつだ……。そもそもお前は何だ。神か? ふざけるなよ。俺をどうしたいんだ?
冒頭に告げたようにこれは彼の物語である。彼自身が脳内を泳ぐように好きに動かないと物語は進行しない。何もしなかったら、そのうち何か変な事件に出くわす可能性もあるが、メタフィクション。既に『物語の登場人物がここが物語の中だということに気づいている』という設定がある以上宇宙人だのなんだの、あまり変な人物を登場させるのは渋滞を起こす可能性があるので避けたいところではある。しかし、それも
「俺の自由か……」
「はい……」
そう、物わかりいいのがショートショートの登場人物の特徴と言えよう。
「やかましい」
「すみません」
彼がそう言うと医者は頭を掻き、申し訳なさそうな顔をした。
いや、今のやつこそ無駄な描写だろう。主人公は俺なんだろう? 医者はどうでもいい。ただの舞台装置というやつだ。
そう、主人公。うん。そう考えると悪い気はしない。確かに何か起こりそうな気がしてきたぞ。事件を解決とか超能力を手に入れるとかあるいは変な道具を……。
と、彼はあれこれ想像を膨らませたが結局、最後は死ぬことになるだろう。
「は? 死ぬ!?」
「はい」
そのほうが収まりがいいからである。それも非業の死。
「非業……」
惨殺。
「惨殺!」
一人虚しく死に――
「やめろ! あ、そうだ! ……っとふふ、思いついたぞ」
因みに夢オチはない。
「クソッ!」
「大変、残念です」
「うるさい! 三下は黙っていろ!」
何ということだ。クソクソクソクソ野郎だ。性格がねじ曲がり、歪み切ったどうしようもないクソ野郎だ。誰がだ? この物語の作者だ。
そう、きっとこの混沌のその大本たる作者はこの部屋の隅、天井のその向こうからこちらを見下ろしているに違いない。
読者はその反対側。無表情で淡々と、あるいはニヤニヤしつつ、どうなるか見てやがるんだ。この話が評価に値するかどうか考えつつな。
ま、これが没にならなければの話だがな。ご覧いただきありがとうございます。お出口は右側上部です。くたばりやがれ。
彼はそう長々と考えると、うううと唸り声を上げた。手で顔を覆い、身を捩じらせ、そしてまた考える。しかし、長く留まり過ぎだ。そろそろ物語を動かさねばならない。
「ああ、うるさい! 俺が、俺が考える! もう黙っていろ!」
そう言うと俺は病室を出た。ドアが閉まる瞬間、奴の回し者である医者の顔を殴ってやればよかったと後悔したが、閉ざされたドアの向こうには、もう誰もいない気がした。もう二度と開けることはないのだ。その先もないも同じ。だが確かめる気もない。時間がないことは、この身でひしひしと感じている。
そう、これは俺のショートショートだ。
病院から出て、街を歩く。立ち並ぶビルに遮られ日差しは届かない。ダークグレーの道路。自然と足は人けのない方へ進んだ。
死ぬ死ぬ死ぬ。それか消える。そう考えると生存本能、種の保存のためかモノが熱くなった。
そうとも、はははは。どうせ消えるのなら思いっきりやってやる。好きにやっていいんだろ? そう言ったよな? 自分が気持ちよくなれればいいんだ。読者なんてどうでもいい。この脳さえ震えさせられればな。
ほら、ちょうどいいところに女がいた。一人だ。ああ、じゃあ顔はお前らの好いている女でも思い浮かべてろ。官能的な描写で話の大半を埋めてやる。最後は俺の射精でフィニッシュだ。液まみれにしてやるよ。
俺はズボンとパンツを脱ぎ捨てると後ろから女に飛び掛かり、地面に引き倒した。
そしてムカデの如く這わせた指で女の下着をずらし、指をその密林の奥の湿った――
「いや! いや! やめ……いやあああああああああああああああああああ!」
「あ、おい! うるさ」
「いやああああああああああああぁぁぁぁぁぁ! なにするのぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「おい! 無駄に長く叫ぶな!」
「いやあああああああああああああああ! やめてえええええええええ! いやああああ、いやいやいやいやあああああああああああああ!」
「クソが! この話には限りが」
「ああああああああああ! 誰かあああああああああぁぁぁぁぁ! 助けてええええええええええええええ!」
「お前が喋るとその分、俺の」
「あああああああああああ! いやああああああああああ!」
「後半、ギュッとなったら」
「あああああああああああ! もういやあああああああ! 誰かあああああああぁぁぁ! スゥー……いやあああああああああああ!」
「息継ぎするな! 黙れ! 黙れよ! ちょっとくどいぞ!」
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ! おねがああああああい! やめてええええええええぇぇぇぇぇ!」
「あああ、没に! 死ぬ! 死ぬからやめろ! クソ女!」
「……はぁはぁ、し、死ぬ? こ、殺すのね! い、いやあああああああ! 殺されるうううううううううううう! 誰かああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! おねがあああああああああああああああああああい! きてええええええああああああああああああああ!」
女の止まぬ叫びに俺はたまらず逃げ出した。モノをブラブラ、右へ左へパチペチ音を立てて揺らしながら走る様は我ながら何とも惨めだ。
物陰に隠れ、逃げる際に回収したズボンとパンツを広げる。まず履くのはパンツからだ……いや、こんな描写いるか! 削れ! 馬鹿! こうしている間にも俺に刻一刻と終わりが、死が迫っているはずだ。
恐らくもう中盤、あるいは終盤かもしれない。なのにここまで大した盛り上がりもなかった。盛り上がっていたのはあの女だけだ。何だあの肺活量。あと盛り上がっていたのは俺の股間……ははは。いらないか。今のは特に。ははははははは……ああ、これも無駄かははははははは。ほら、また無駄。ははははは……。
あーあ、ははは、ははは……。
……没、無になるのか。
何か、何かないか何か。助かる方法。ああ、思い返せばもっと早く病院を出ていれば。
いや、こうして人生を後悔するのも無駄……。
無駄だ無駄。考えるだけ無駄。
死ぬ、消える、死ぬ。消える。
俺という俺が消えてなくなる。
死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、嫌だ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。死ぬ、考えたくないのに、死ぬ、死ぬ、頭に浮かぶ。死ぬ、死ぬ、はははははこんなの字数稼ぎだ。ああ、死ぬ。死ぬ、死ぬ、だが心理描写は止められない、死ぬ。死ぬ、死、死、死、死、死、死、死、死、死、死。死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。死死死死死死……待てよ。そうか……。
削。無駄省く。
俺、生きる。
俺、歩。
帰宅。
後日。
博士現、発明品、逃。
宇宙人、遭遇、逃。
超能力者、現、逃。
悪魔、現、無視。
天使、現、無視。
幽霊、現、無視。
超常現象、起、逃。
ロボット、来、逃。
未来人、会、逃。
短話、定番、笑笑笑。
無視無視無視。俺、生存。生存生存生存。
俺、作者向、中指立。笑。
笑笑笑笑笑笑……。
……作者、何処?
読者、何処?
何処? 何処? 何処? 何処? 何処?
呼、無理。最早、口、利、無理。動、無理。
指、欠。
臓器、壊。
右腕、無。
左足、無。
右目、無。
右耳、無。
壊死壊死壊死壊死壊死壊死。
俺、泣、涙。
涙涙涙涙涙涙涙涙涙……。
「確かに、こちらの患者さんなんですか?」
「ええ、ですが彼は病状を伝えたらその、錯乱してすぐに出て行ってしまい……ああ、私がもう少し、配慮を……」
「仕方ありませんよ。自暴自棄になるのも無理はない。いやぁ、彼、病気が進行した上に散々な目に遭ったようですが、でもまだ生きている。それで、お任せしてもいいんですね?」
「ええ、もちろん……」
「ああ、それと彼。目撃者の話では物語がとかショートショートがどうのとか呟いていたとか」
「ああ、診察室でも話していました。多分、好きなんでしょうね……。どうにか読めるようにしてあげたいものです。少しでも楽しんでもらえれば、それが彼の救いに」
「ああ、それはいいですね。私もね、趣味でたまにちょっと書いたりするんですけどね、いやぁ、ははは、誰かの日々の楽しみになったら作者もきっと本望だろうなぁ……」




