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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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ご飯粒ついてるよ

「あ、ご飯粒ついてるよ」


 おれはうんざりした。そう指摘され『ああ、おれとしたことがこんなミスを』と自分を恥じたわけではないし、指摘するやつその全員にニヤついた顔されるのにも、もう慣れた。ただわかってもらえないことを説明するのにうんざりしたのだ。


 おれは朝からずっと付き纏われているのだ。この、ご飯粒というやつに……。


 初めにその存在に気づいたのは指摘する連中ではなく、このおれ自身であり、朝、起きたばかりの時であった。

 まだ昨夜の酒が抜けきっていないのか体も瞼も重く、ベッドからのっそりと起き上がったおれはゾンビのように洗面所に向かう。

 顔にばしゃばしゃ水をかけ、ようやく目が開くようになった。すると右手親指の付け根辺りに白いご飯粒がついているのを発見したのだ。

 顔を洗ったというにはおこがましいほど雑であったが、手を濡らしたのは事実。よくもまあ、流れずに残っていたものだな。根性がある。ド根性大根ならぬド根性ご飯粒だな。などと、くだらないことを考えつつ手を壁に擦り付けた。

 そして朝食を食べ終え、出社するために着替えている最中、またご飯粒を見つけたのだ。

 今度は左手小指の付け根辺りだ。因みにおれは昨夜、無論、今朝も米を食っていないのだが、だからといって体にご飯粒がついていることに驚きはしない。

 昨夜は居酒屋で夕食をとった。同僚と四人。そのうちの一人が米を頼んでいた気がする。それの名残。スーツの中にでもついていたのだろう。

 何なら、その同僚がわざとつけたのかもしれない。悪戯好きで子供染みたやつだ。肩を叩き、振り返った頬に人差し指を当てるといった遊びを未だに恥ずかしげもなくやる男。正直嫌い。

 だからそのご飯粒を見つめているうちに、だんだんそいつの顔に見えてきてイライラしたおれはまた壁に擦り付けたのだ。


 そうして準備を整え、家を出たおれだったが電車に乗っている最中、何やら周りの視線を感じる。おれの顔、左頬のあたりを見ているようだ。

 髭の剃り残し? 鼻毛? おれはまあ、見えないかもと思いつつ、つり革を掴む手に力を入れ体を安定させ、目の前の窓に映る自分を凝視した。


 ……ついている。


 おれは片手でそっと頬に触れた。

 クソが! 思わず悪態をつきそうになったが堪えた。上司や取引先の社員など、どこで誰が見ているかもわからない。極めて冷静であろうとし、鼻から息を吐くに留める。

 手で顔を拭い、その手の中に確かにご飯粒があること、そして周りを確認し、つり革のさらに上の支柱部分にご飯粒を擦り付けた。

 小学生。授業中、こっそり鼻クソを机の裏に擦り付けた時のような感覚に陥り、何とも言えない気分になった。クソッタレめ。だがこれでおさらばだ。


 そう思ったのだが、電車を降りたおれはふと思い立ち、駅のホームから改札ではなくトイレに向かった。

 立ち小便器も個室も埋まっていたが問題ない。目当ては鏡だ。まさかとは思うが……あった。


 ご飯粒が、おれの額その中心についていたのだ。インド人が額に赤い点をつけるようなそんな印象を受け、おれはよろめいた。白米を額につけ、おれはなんと模範的な日本人なのだろう! と、なるはずがない。

 おれは額に手をやった。それは勿論、ご飯粒を取るための行動だが鏡に映るその姿は悩んでいる人のそれであった。

 尤も、悩まされてはいる。一寸の虫にも五分の魂。米粒一つにも神様は宿る。小さきものを見くびってはならないという、ことわざ。

 はっ、そんなことを教えてくれるのは鬱陶しい蚊のやつだけで十分だ。

 

 死ね。死ぬのだ。

 おれは確かな殺意を持って蛇口の水で手のひらに乗せたご飯粒を洗い流した。

 安堵の息を一つ吐き、その流れで息を深く吸い込み、ここがアンモニア臭香るトイレであることを忘れていた自分に腹立たしさを覚えつつ、外に出た。


 そして馴染みのコンビニでちょっと買い物。


「あの、ご飯粒ついてますよ」


 おれは衝撃を受けた。顔なじみの店員。

若く可愛い上に愛され育ってきたのだろう、人懐っこい。恐らく可愛いと自覚あり。故にご飯粒。それを指摘する自分もまた可愛いと思っているのかもしれない。ああ、可愛いとも。おれはこの子の笑顔を目当てにこのコンビニに通っている節もある。認めよう。

 しかし、その笑顔は駄目だ。わずかながらに嘲笑が混じっている。なんて思うのは、おれの心に余裕がないからか。

 おれは戦慄していた。これはひょっとしてご飯粒の幽霊、いや呪いなのかもしれない。

 おれの胸中を知らない可愛い店員は『朝はお米派ですか?』なんておれに訊いている。

 おれはわずかにもおれの生活に興味を抱いてくれた店員に喜ぶ余裕もなく『まあね』なんて余裕なく、それでもカッコつけた風に言う。


 どこだ、どこにある。おれは彼女から商品を受け取ると背を向け、両手で顔を覆った。端から見ればその姿は恥ずかしがってるのか絶望した人間のそれだが言わずもがな、ご飯粒を取るためである。

 

 あった。今度は右目の下についていたようである。それは涙の暗示か。ご飯粒が恨みがましく泣いているのか。

 一体どうしろと言うんだ。どうなっているんだ。駅のトイレで確認したときはなかった。スーツの袖の中までチェックした。ここに来るまでに顔を触った覚えはない。なのにこれだ。またどこかに擦り付けても同じことか? 

 米の恨み。ろくに食べずに捨てたとかそんな覚えはない。お茶碗に残った米粒だってすべてとは言わないが綺麗に食べる方だ。尤も向こうの勘違い、逆恨みということもある。……あるか? まあ、あるのかもしれない。


 いずれにせよ、恨む理由は残さず食べなかったことにあるだろう。

 よって解決方法は食べることだ。そう導き出した思ったおれはご飯粒を指に乗せ、口の中に運んだ。

 ……瞬間、おれが頭に思い描いたのは、これまた小さきもの。虫の可能性である。

 ご飯粒に見えたそれは実は幼虫……。が、時すでに遅し。生唾もろともゴクリと飲み込んでしまった。

 おれはバリバリと頭を掻いた。その姿は苛立った者か狂人のそれだが、頭についた虫を取り払うためである。ハエの幼虫かそれとも知らない虫か。隠れられそうな茂みはここしかない。額や目の下にあったことといい、きっと上から落ちたのだろう。

 しかし、降るのはフケぐらいなもので手にはその爪の間に挟まった僅かな皮膚と血だけだ。


 あれが最後の一つだったのか? それともやはりご飯粒の化身?

 いずれにせよ、これでもうお終いだ。なむなむ。成仏してくれ。

 おれは軽く手を合わせると、会社に向かって歩き出した。


 その後は今に至るまで指摘の嵐。


「ご飯粒ついてるよ」

「あ、ご飯粒が」

「朝は米派かー、俺もそうしようかな」

「俺も米派なんだ! パンと違ってパワーが出るだろパワーが!」

「せんぱーい、ご・は・ん・つ・ぶ、ついてますよっ」

「お、君ぃ。ははは、ご飯粒なんてつけて……社会人たるもの身だしなみをだねぇ」

「ご飯粒ついてますよ」

「あ、こーこ、ご飯粒!」

「あ、ふふふっご飯粒ー!」


 ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。

 ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。

 ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。ご飯粒。

 粒。粒。粒。粒。粒。粒。粒。粒。粒。

 粒。。。。。。。。。


 指摘されるたびに取って『ははは』と笑うのだが、おれはうんざりしていた。指摘されたことでも、理解されないことを説明するのが億劫なことでもなければ悪戦苦闘、苦労が徒労だったことでもない。

 おれは茶碗に残されたご飯粒さながら孤独と冷めていく熱に体が固まる、そんな感覚がしていたのだ。

 

 どうして、どうして誰も――

 



「あ、ご飯粒、ほーいっと」


「え」


「なーに? あ、食べちった。つい癖でさへへへ」


 ……おれは名も知らぬその女性社員の手を握った。

 片膝つき、見上げるその姿はプロポーズをする者のそれであるが、それはそう、さほど間違っていないのである。

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