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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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俺たちのサバンナ

 人生で後悔したことは何度もある。打ちのめされたことも数えきれないほどに。でも、俺はその度に立ち上がり、乗り越え強くなってきた。

 エリート。今の俺を表す言葉として他に相応しいかつ、わかりやすいものはないだろう。実際にそう呼ばれてもいる。

 ……だが、その俺も今回は無理だ。立ち上がれそうにない。

 乗っていたセスナの墜落。雄大なサバンナを空から見下ろそうなんて、はははっ思い上がりすぎたかな。なあ、イカロスよ……。あと、お前ってさ結構いい筋肉してるよな。

 はは、なんて考えているうちに終わりの時が来たようだ。生き延びたのは我ながらさすがの幸運力とでも言うか。だが俺を囲むライオンの群が、じりじりと迫る。そのうちの一頭が、のしのしとこちらに近づき、ああなるほど、あれがボスか。飯はボス優先というわけね。学び学び。それも終わり。ああ、それにしても……。


「ふむ、骨は無事のようだな」


 ……え? 今の、ライオンが、は?


「ほら大丈夫。立ちたまえ。肩を貸そうじゃないか」


 え? あ? へ? ライオンが二足歩行? は? いや、その前に喋って……。


「そこだ、そこの茂みだ。見てごらん、隠し扉だ。さあ、行こうじゃないか。招待するよ。我々のエデンに」


「エデン……?」


 俺は彼、ライオンの肩を借りながら地下へと降りた。そこには……これは驚いた。


「ウェルカム・トゥ・ザ・アンダーグラウンド。ここは筋肉を愛する者の楽園さ!」


 地下に造られたその広々とした空間にあったのは数々の筋トレ器具。キリンにシマウマ、象やカバといったサバンナの動物たちがトレーニングしていたのだった。


「気に入ったかい? ここはそう、我々のように筋肉を愛する者たちが集う場なのさ。ああ、我々というのはもちろん、君もね」


「え、あ、なんで俺が――」


「筋肉が好きなのかわかったのかって? はははっ! その鍛えた体。一目瞭然さ! それにハニーたちから聞いたよ? 彼女たちに囲まれた君はこう呟いたそうじゃないか。美しい筋肉だ……とね」


「あ、はい……」


 確かに俺は最初に俺のことを見つけ、近づいてきたメスライオンを見て、そう呟いた気がする。足に肩。獲物を狩るための無駄のない力強い筋肉。でも……。


「あの、鍛えてるって? あの筋肉は天然で、あなた方は鍛える必要なんて……」


「おいおいおい、何を言っているんだい? あるに決まってるだろ? 確かに我々、動物の筋肉は天性のものだが磨かなくてどうする! あっはぁ! 人間の誰かが言ったそうだね? ライオンが鍛えるか? ってはっーはっはっは! こりゃ傑作だ! 鍛えるとも! ウェイトするよ! なぁみんな!」


「ウエーイ!」「ウエーイ!」「ウエーイ!」


「ほらね、見たまえあの美しい筋肉。君たちはテレビのドキュメンタリー映像でしか見たことがないだろう?

あれはね、特に鍛えられたエリートなのさ! その証拠にほら、考えてもみてごらんよ。動物園の連中はどいつもこいつもだらけていて筋肉に輝きがないだろう? やれやれ、動物園にもトレーニングマシンを置くべきだね。

それに……ほら、こっちだ。そろそろ自分ひとりで歩けるだろう? ゆっくりでいい。さあ」


「あ、はい……ここはまるでバーカウンターみたいですが……」


「いい勘してるね。マスター! プロテインを頼む!」


「あいよ」


「くぅー! これこれ!」


 この空間同様、岩でできたバーカウンター。そこにいたマスターらしき象が鼻でカウンターの下の大きなバケツに入った液体を鼻で吸い上げ、ライオンの席の前の窪みの中に放射した。ライオンはそれを美味しそうに飲む。


「あの、プロテイン? そんなのどこから……」


「ふっ、マスターを見てみな。あるべきものがないとは思わないかい?」


「え……あ、象牙?」


「やはりいい勘してるね! そう、密猟者と取引してるのさ! プロテインと象牙を引き換えにね。あとあのトレーニングマシンもね。

人間の言葉もその交渉のために覚えたっていうわけさ」


 笑うライオンを尻目に俺の頭にある考えが浮かび、そして絶望した。

 

 これは夢だ。クソッ! 夢オチだ!

 いつからだ? サバンナに旅行し、セスナに乗ったのは現実? じゃあ、墜落したのも? これは気絶してみている夢か? 

 あ、じゃあ、俺はまだ生きている?


「どうしたんだい? 暗い顔をして。それじゃせっかくの筋肉が可哀想だよ」


「え、あ、どうも……」


 筋肉を褒められるのは正直、嬉しい。俺は昔、虐められ、心を病んだ。そんな俺を救ってくれたのは筋トレであり、筋肉だ。


「わかるよ、人は裏切る。だが筋肉は裏切らない!」


 と、どうやら声に出ていたようだ。俺を慰めたライオンは立ち上がり、ポーズを決めた。

 しかしまあ、実に見事なものだ。ライオンが触れてみろというので触れると温かく、気づけば俺はなぜか涙を流していた。これは……安堵だ。ようやく、ようやく本当の仲間に、同志に出会えた気がしたのだ。 そう温かな筋肉、命の脈動……え、いやまさか、本当にこれ、現実?


「さあ、みんな! 歌おう! 新たな仲間のために! マーッスル!」


「マーッスル! イッツアマーッスルゥ! マ・ア・ス・ル・マーッスゥールゥー……マスゥ!」



 俺は動物たちと大合唱をした。プロテインを飲み交わし、また鍛えた。

 そして、時が経った今、密猟者のフリをしながら町とサバンナを行き来し、彼らにプロテインと最新鋭の筋トレ器具を卸している。


「んー、このブルブル震えるやつ、効果がイマイチだねぇ……」


「ははは、仕方ないっすよライオンさん。試行錯誤。ハズレもあります。でも、より良いのがそのうち出ますよ。まだまだ筋肉は未知の領域。でも追い求める者が後を止まないんですから」


 僕らのようにかい? そう言い、俺たちは筋肉を見せあい笑いあった。

 俺はこれからも彼らの希望通り、裏側を知られないように誠心誠意サポートしていくつもりだ。そう、これから先もずっと。彼らがそうしているように、いつか衰え死ぬ手前、この筋肉が食べられるとしても。それこそが自然と共に、筋肉と共に生きるということなんだ。



 …………なのか?

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