自殺豚 :約1500文字
――なに?
夜、帰宅途中。一服しようと公園にふらりと立ち寄った男は、思わずその場で硬直した。
そこには、小さな豚がいた。
ミニブタというやつだろうか。どこかで飼われていたのが逃げ出したのか、それとも捨てられたのか。いずれにせよ、ただの豚なら男もそこまで驚きはしない。
だが、その豚は二本の後ろ足で直立し、木の枝に結んだロープを首にかけようとしていたのだ。
なぜ立てる? このロープはこいつが用意したのか? どうして死のうとする?
疑問が次々と湧き上がる。が、ひとまず考えるのは後回しにし、男はゆっくりと豚に歩み寄った。
「お、おい、そんなことはやめたらどうだ……?」
声をかけると、豚は心なしか悲しげな声で鳴いた。
男は豚の次の言葉を待った。
「……」
「……」
……だが喋らない。当然か。豚なのだから。
現実感と非現実感がないまぜになり、男は苦笑した。
しかし、どうしたものか。一度止めた手前、このまま放って帰るのもばつが悪い。それに……。
男はとりあえず豚を自宅へ連れ帰ることにした。
アパートの部屋に入るなり、豚は壁に寄りかかり、低い呻き声を上げた。落ち込んでいるのは明らかだったが、言葉が通じない以上、どうすることもできない。
とりあえず、男は飲み物を用意し、豚の前に置いた。豚はちらと男を見たあと、仕方なさそうに飲み始めた。
「着替えるからちょっと待っててくれ」
男は別室へ行き、ワイシャツのボタンを一つ一つ外していった。時折、指が震え、ボタンに弾かれる。
――落ち着け。
自分にそう言い聞かせ、込み上げる笑みを押し殺した。
着替え終えた男は豚のいる部屋へ戻った。しかし、姿がない。
「逃げやがったのか……」
男は舌打ちした。素直についてきたので油断した。どうせ行き場などないだろうと思っていたのに……。
だが、部屋を見回していると風呂場のほうから微かな物音が聞こえた。
男はまさかと思いながら、急いで風呂場へ向かう。
「おい!」
すると、そのまさかだった。豚は水の張られた浴槽に顔を突っ込んでいた。
男は慌てて豚を抱え上げると、静かに言った。
「どうしても死にたいらしいな」
豚はまた力なく鳴いた。
「なら、仕方ないな……」
豚は鳴き続けた。その声は次第にか細くなっていった。
男は豚を丸焼きにして食った。
一目見たときから、そう考えていたのだ。実に美味であった。良い拾い物をしたものだ、と男は膨れた腹をさすりながら、満足げに息をついた。
なるべく楽に殺してやったつもりだったが……どうだったろうな。まあ、あいつも満足だろう。
男はうんうんと頷き、その場に横になった。やがて満腹感と幸福感に揺られ、自然にまぶたが閉じた。
夢を見た。
睡蓮の花が浮かぶプールで泳いでいる。花の香りに包まれ、心地よい。
満たされた気分で仰向けに浮かんでいると、男はふと、睡蓮の葉の上にカマキリがいることに気づいた。
体を起こし、ぼんやりと眺めていると、カマキリはピョイと水に飛び込んだ。小さな水しぶきを上げ、そのまま沈んでいく。
――自殺するとは、あの豚みたいだな。
ふと頭を掠めたが、すぐに興味をなくし、男は視線を外そうとした。
その瞬間だった。
「なんだ……? 黒い……」
カマキリの尻から、黒く細長いものがにょろにょろと這い出していた。
ハリガネムシだ。男は嫌悪感で顔を歪めた。
一方、カマキリはやり遂げたような顔で、ゆっくりと水底へ沈んでいく。
ぼんやりと見つめていると、カマキリと目が合った。
口を動かしている。
食・い・す・ぎ・た・な。
そう言っているように見えた。そして、カマキリは男の膨れた腹へと視線を移した。男は無意識に視線を下げた。
その瞬間、男は自分の皮膚の下で何かが蠢くのを感じた。
男は飛び起きた。
そして、下腹部をさすった。皮膚の下で何かが蠢くような、あの感覚。あまりにリアルだった。
だが、ありえない。この下に寄生虫などいるはずがない。カマキリが喋るはずなどない。ただの夢だ。
「……豚が自殺するなど」
どこまでが夢の中のことだったか……。
男にはわからなかった。深く考えようともせずに、ただぼんやりと下腹部をさすり続けた。




