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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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腐卵の森

【○月×日。私はその森の中へ足を踏み入れた。

 禁足地。それは国の各地に伝承と共に今も存在しているが、そのどれも神や聖地、超常的な力があるとは言い難い。

 しかし、この森は違う。その異様さは探索が始まったばかりの今でも文字通り、身に染みてわかるほどだ。

 腐卵の森と名付けられたこの森の中は終始、耐え難いほどの腐臭が漂っている。

 これまで巡って来た禁足地はどれも空振りに終わったが、ようやく出会うことができた。ここに拠点を張り、研究していこうと思う】



【○月×日。禍々しい悪魔の仕業と言うよりは幼子のような自由奔放な神の悪戯とでも言うのだろうか。

 腐卵の森のその名と腐臭の理由。それは卵にある。

 この森では蛙が鳥を産み、鳥はトカゲを産む。狸が魚を産み、地で腐った魚に産み付けた蠅の卵からは蛆虫ではなく、小さな兎が孵る。

 この話を聞いた者は何を言っている、滅茶苦茶だ、とまともに取り合わないだろう。

 そう、何もかも滅茶苦茶なのだ。この森に生息する生き物、その生命サイクルは狂い乱れているのだ。

 目に見えるような腐臭が立ち昇るその池の底には蛙が産んだ卵が沈んでいた。

 しかし、その中にあるのはオタマジャクシではなく小さな小さな鳥であったのだ。

 そして池の底に散らばる骨と腐り解れた雛を見るに孵化した瞬間、溺れ死んだ。

 産まれると言っても適応できるわけではないらしい。この鳥の雛や陸で生まれた魚のように、その多くがただ腐り、死んでいくのだ】



【○月×日。調査を進めるにつれ、ある疑問が生じた。

 生命サイクルこそ滅茶苦茶だがこの森は長年、ずっと存在し続けてきた。つまり、蛙も鳥も魚も蠅もこの森で生き続けてきたことになる。孵化失敗、ただ腐るだけならどうやって種を存続させることができたのか。

 その理由を教えてくれたのはまた蛙だった。以前見たものと同種であるにもかかわらず、その卵の中にいるのは鳥の雛ではなく魚だったのだ。

 つまり完全なランダム。運任せ。蜂の卵から蛆が産まれることもあれば、そのまま蜂の幼虫が産まれることもあり、また別種が誕生することもある。

 この森にいる生き物の種類は膨大だ。と、言っても一般的な森もそうだが前述したもの以外にも蟻やバッタといった虫にイタチや猪、梟、ヌマエビ、ザリガニ、ドジョウ……挙げたらきりがない。

 その生き物たちによって絶妙なバランスでこの森は保たれているのだ。終始、腐臭を撒き散らしながら。ああ、酷い臭いだ】



【○月×日。ではなぜこのような現象が起きているのか、原因は果たしてなんなのか。

 まず考えられるのは水と土だ。

 土を掘り返し、池の水を採取し分析。映画などでは放射性廃棄物を捨てたことで突然変異した生き物が人を襲うなんてことがあるが、この森の土と水からは特にそういったものは含まれていないようだ。

 ただ動物たちの死骸から、腐り流れ出た窒素が多いくらいで原因は不明。不可解。怪奇。禁足地というのは伊達ではないようだ。

 廃液の入ったドラム缶どころか空き缶の一つも落ちていやしない。

 では原因は何か。空気。この腐臭漂う空気の中には未知なるウイルスも漂っていて、それが感染した生き物に影響を及ぼしている。

 荒唐無稽。しかしこの森の中にいてはそんな常識はクソ食らえだ。この空気は人間にはどういった影響を及ぼすのか。

 男にも種はある。射精し、その精子を分析してみたが特に変化はない。女ならどうだ。妊婦なら? 興味は尽きない】



【○月×日。春にこの森に入り、今は夏。腐臭は恐らく今が最骨頂。

 マスクとゴーグルをつけていても目に染みる。ガスマスク、いや防護服を用意するべきだったかもしれない。

 時々、家に帰るのだが電車でなく車で来て良かったと思わずにはいられない。

 ただし、妻と犬は毎度のことながら吠えて来るわけだが。

 まあそれはいい。ただ、娘に会う前にはしっかりとシャワーを浴びること。それを忘れてはならない。

 それはさて置き、この仮設テントも大分、手狭になってきた。その理由は人間社会からこの森に戻るたびに物を持ち込んでいるからだが、その成果も一応あった。

 ケージの中のマウスにはこの森の土と水、虫を与えている。

 しかし、外から持ち込んだ他の虫など生き物もそうだが産む子に変化はない。なぜ影響がないのか。空気でもない。何か特別な理由があるのかもしれない。それを解明できさえすれば】



【○月×日。夏後半。時間は過ぎるが研究は停滞したままだ。

 臭いに慣れてきたことは好ましいが早く、早くこの謎を解明せねば。ここなら求めているものが見つかるかもしれない、いや見つかる。必ず。】



【○月×日。腐臭の中に甘みを感じた。道路を歩いている際、風呂に入っている家の前の排水溝が甘く香るような。きっと気のせいだ。そんな事よりも早く早く早く早く早く】



【○月×日。一度家に帰り、犬を連れてこの森に戻ってきた。

 犬が吠えたてるのはこの森を恐れているのか、あるいは単に腐臭が嫌いなのか、それともこれから身に起きることを予期しているのか。

 数日前、驚くべきものを発見した。

 マウスだ。森の中で白いマウスを見つけたのだ。

 しかし、それは私が持ち込んだものが脱走したわけではない。

 だから確かめる必要がある。私は金槌で犬を殴打した。焼く前の肉を叩いて柔らかくするように動かなくなっても何度も何度も。腐りやすくするために】



【○月×日。特に何が起きることもないまま秋がきた。

 冬になればこの森も他所と同じく、さすがに活動が鈍るだろう。

 もうあまり時間がない。奇跡を願うが未だ新しい発見はない。

 犬は元気? どうしたの? と訊ねる娘に犬は病気になり入院しているのだとただ嘘をつく。きっとすぐ元気になる、と。嘘は何度もついてきたがそろそろ限界だ私も何もかも】



【○月×日。


わかっていたことだ。


時間がないことは。


冬は間近。もういい。


研究も成果も何もかも。


この森で死のう】



【○月×日。求めていた奇跡が起きた。

 私がロープを脇に抱えながら森の中を歩いていると聞こえたのだ。

 声だ。声。馴染みあるその声が私をこの世に、森に引き留めたのだ】



【○月×日。居合わせた妻を突き飛ばし、この森まで娘を運んできた。

 気絶したのか妻はまったく動かなくなったようだが、まあそれはいいどうでも。

 娘はまだ間に合う。そのことだけで頭は、胸は一杯だ。

 テントの前で犬が待っていた。どうも懐かれたらしい。と、いうことはやはり別個体なのだろうか。記憶も何もかも引き継いでいたら

自分を殺した相手にこうも尻尾を振りはしないだろう。

 しかしあの時、私を引き留めてくれたこと、感謝してもしきれない。

 思った通り、飼い犬はあのマウス同様、この森で腐ったことで生命サイクルに組み込まれたのだ。

 鳥か狸か猪か、何がこの犬を産んだかは知らないが今はそのことはいい。

 肌がひりつくように寒い。冬はもうすぐそこだ。

 娘は少しだけ、深く埋めることにした。そうすればきっと少しは温かい、そんな気がした。

 難病の娘の治療薬の発見のために藁にも縋る思いで禁足地を渡り歩いてきたが結局、治療薬も治療法も見つけることはできなかった。

 だが、娘は必ずまた産まれてくる。この森で。それもたくさん。ああ、なんて素晴らしいんだろう……。

 

 私は腐卵の森で春を待つ。いつまでも、いつまでも】

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