心の痛み測定器
「――大体、君ってやつは新人のくせに……うっ! ミ、ミカミ君! おお落ち着きたまえ!」
ざわつくオフィス内。数名が先程から行われていた説教をちらちらと見ていたが今、全員の視線がミカミの顔に注がれる。
「僕は別に何も……」
「い、いや君の数値! 上がっているぞ! 400……500……まだ上がっている! バカな!」
「……バカって僕に対してですか?」
「い、いや違う! ふぅー、深呼吸だ! そうそう落ち着いてふぅー! さあ、はやくやれ!」
「やれって言い方はねぇ……もっと他にないですかぁ?」
「くっ……600……800、し、信じられん! は、速い! も、もういいから仕事に戻りたまえ、あ、戻ってください!」
「はーい」
と、窮地を脱し、ミカミを除く社員一同安堵の息を漏らす。
当初は良いと思っていたが、今では俺含め全員が煩わしく思っている。
人の心の痛みを数値化できる機械など。
しかし、法律で着用が義務付けられては仕方がない。上には逆らえないのだ。最近では大学、高校と順に着用が義務付けられる年齢が下がっているらしい。
開発会社と政治家の間に何か利権があるのかもしれないが、一社会人程度の地位じゃ知る権利はなし。
この『心の痛み測定器』はまるで孫悟空の頭の輪のような少々間の抜けた見た目だが、ひとたび頭に装着すると脳波をキャッチし、額にあるモニターに数値が映し出される。
それは正確かつ無慈悲。必死になって心の痛みを押し隠そうとしても決して逃さないのだ。
そして、ある一定の数値を計測すると管理局に自動で通報。
後々、その会社の代表を呼び出して理由を詰問。何度も計測するようだと管理局の者が直々にやってくる。それも抜き打ちで。それがパワハラの真っ最中なら事だ。業務停止はもちろん、パワハラ上司は即刻逮捕。
パワハラやイジメによる自殺者の積み上がった屍の山が、この制度を実現させたのだ。
自分がその山の一員にならなくて済むのは大歓迎だが、そもそもミスをしない、目をつけられることもない世渡り上手を自負する俺のような人間からすればこの装置はただただ煩わしいだけだ。
しかし、あの新人のミカミという男はどうも傷つきやすい性質のようで、こっちばかりが気を使い……ああ、あの開き直った顔。まったく、ストレスになってしまう……。
「ふうぃー、せんぱーい。はは、課長の小言にはもう参っちゃいましたよぉ」
「お、おお、そ、そうか」
「なのでこの仕事任せてもオーケィー? ほらぁ、まだ僕の数値、平常値まで戻ってないでしょう?
課長が言っていたように深呼吸しないといけないので、ふぁーあぁ」
「それは欠伸……いや、なんでもない。やるよ」
「すみませんねぇ、僕も先輩みたいに神経が図太いとイイんですけどねぇ。
僕ってほら、昔から繊細じゃないですかぁ。じゃ、よろしくどーも」
知らねーよクソが。あいつ、ゆーっくり席に戻っていきやがって……。
入社したてはしおらしかったのにどんどん増長しやがって。今に……っと、ん? なんだ、荷物の配達員? じゃあ、まさか、よし! やっとあれが届いたのか!
「課長! ついにですか!」
「やった!」
「これで一安心ね」
「よかったよかった」
「取り寄せに時間がかかりましたね!」
「ああ、まったくさっきはヒヤヒヤしたよ。だがこれで安心だ。おーい、ミカミくん」
「あ、はいーい……」とミカミが課長のもとへ。みんなのその拍手に戸惑っているようだが、すぐにまたあのふてぶてしい顔になり言った。
「なんですかぁ? また説教ですかぁ? ははっ、よーく見ててくださいよ。僕の数値をね……はぁぁぁっ」
「いや、君の装置にこれを付けさせてもらうよ」
「え、ちょ、何ですそれ」
「これはな、測定器の数値を抑えるものだよ」
「え! そんなの違法――」
「それが社会人なんだよ!」
「そうよ! みんな付けてるわよ!」
「輪を乱すな!」
「お前に気を使って仕事が捗らないんだよ!」
「どこの会社もそれ付けてるよ!」
「チクッたら殺すからな!」
「そもそも無駄だよ! 管理局で働く奴らも付けてるって噂だからな!」
「外したらてめえ、社用車で轢き殺すからな!」
ミカミの測定器の数値が見る見るうちに上がっていく。しかし、それもここまでだ。これこそがあるべき社会の形。人の心の痛み、傷なんてものは見えないままの方がいいのさ。
みんながミカミを取り押さえ、罵声を浴びせるその中、俺はなぜだか零れた涙を誰にも気づかれないように袖で拭った。




