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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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エスカレーターはどこ

 ドアを開けた男はそのまま直進し、正面の受付で足を止めた。

 そこにいる女は男が目の前に来ても見向きもせず、ただ黙々と何かの作業をしている。

 男は大きく吸い込んだ息に似つかわしくない。囁くような声で女に言った。


「エスカレーターがどこにあるか教えて欲しいだが……」


 女が顔を上げた。無視をしようか自分で探せと言い放とうか迷っているような顔をしていると男は思った。

 が、どうでもいい。その予想が当たっていようが、女がその二つのうちのどちらを選ぼうか関係ない。

 男は懐に手を入れると、そこから握った拳をスッと抜き、そっと女の前に出し、そして開いた。

 コトッ、と机の上に置かれた音。

 男が手をどけると今度は女が手を伸ばし、それを手に取った。

 女は少し眺めたあと、指を差した。その先にはドア。

 そして女は手を下ろすと何事もなかったかのように、また何かの作業に戻った。ただ爪を磨いているだけでは、と男は思ったがそれもどうでもいいことだった。


 ドアを開けると、そこは地下道のような薄暗い長い廊下。

 天井に等間隔に弱々しい照明。壁は補修しているようだがデコボコし、色も若干合っていない。

 床には水溜まり。それも水を張ったタバコの灰皿の中身を煮込み、おまけに痰を混ぜたようなそんな黒々しく、粘り気もありそうな。天井や壁から滴り落ちる水がそこに落ちて音を立てる。漂う匂いに男は顔を歪め、足早にかつ水溜まりを避けながら進んだ。

 その長い長い廊下の先、ドアを見つけた男は恐る恐る手を伸ばし、開けた。


 するとドアの向こうへ顔を出すや否や、ガヤガヤと音が耳に流れ込んできた。

 出店だ。その先には縁日の屋台のような出店が並んでいた。

 男はいくらかホッとし、練り歩いた。どの店のどの商品にも興味を示さなかった男だが、ある店の前で立ち止まると、そっと顔を店主の耳元に寄せ、囁いた。


「エスカレーターがどこにあるか教えて欲しいだが……」


 店主の男は眉を顰め、口を開こうとしたが、それよりも先に男が先程、受け付けの女にしたように懐から取り出した物を一つ、店主の男の手に握らせた。

 店主の男は口をモニュモニュと動かし、何度か軽く頷いたあと、後ろの幕を捲り上げ、さっさと通れと男にジェスチャーをした。


 男は、ややぬかるんだ地面を歩く。ベチャベチャと音を立てて。泥。田んぼ、というよりは便器からあふれ出した糞の絨毯か。その先にはちらつく外灯の下、みすぼらしい小屋があった。

 男はドアを開け中に入る。弱々しい裸電球一つ。それに照らされた床はひび割れ、渇いた地面のようであるが、一箇所、鉄の扉のようなものがある。

 ささくれ立った木の椅子に座っていた男がジロリと男を見た。

 男は慣れたようにまた懐から出した物をその男に握らせる。

 椅子に座っていた男は気だるそうに立ち上がると部屋の隅、闇に紛れていた鎖を手に取った。

 どうやら天井に繋がっているようだ。

 男がそれを引っ張るとギギギギギと嫌な音を立て、床の鉄の扉が開いた。

 階段のようだ。男は少し躊躇ったあと、足を踏み入れた。

 下り始め、しばらくすると扉が閉まった音がした。振り返りはしなかった。今更どうしようもない。しかし、騙されているのではとの思いが胸の内から蝕むように湧いてきた。

 男は無意識に胸、そして腹を触る。湿った感触がし、男は手でグッと押した。

 またしばらく下りた先、そこで男は頭をぶつけた。

 壁。まさか行き止まり。閉じ込められた。

 永遠の闇を想像し、男は叫び出しそうになった。

 しかし、その壁を叩いているうちにボロボロと崩れ出し、外に出ることができた。


 似たような風景。蚊が頭上を飛ぶ。

 遠くで悲鳴、かと思えば足下からも。

 意に介さず、男が見つめる先は一つの建物。そこに向かって歩いた。

 ドアを開けると左右から男たちが寄ってきた。

 男はその男たちにも同じように懐の中の物をくれてやった。

 男たちは耳元で何かを囁いてから離れた。

 奥にあるドア。あの先を行けと。

 男は走り出したい衝動に駆られたが、一、二歩で堪えた。

 危ない。裂けた腹から大事なものが零れ落ちてしまう。そう考えた。

 男は手のひらを見つめる。


 ――地獄の沙汰も金次第とは本当だったな


 男は黒い血にまみれた小さな袋の中の金の粒を見てニヤついた。

 

 自分が地獄に堕ちたことは、そう驚くべきことではない。

 悪い事はさんざんやってきた。最後にしたのは金の密輸。その最中に殺された。

 小分けにした金の粒が入ったいくつかの袋。どこから情報が漏れたのか。恐らく依頼主の敵対組織の仕業だろう。

 腹を裂かれ、それを取り出そうとする連中を前に意識を失い、気が付いたら地獄にいた。そう、地獄。

 思っていた場所と違い、違法建築のようにツギハギだらけ。どこもジメジメ、ねっとりとした雰囲気。振り返ればそこに誰かがいるような感覚が常に纏わりついている。

 害獣除けの空砲のように時々悲鳴がするが、想像していた地獄。大地が割れ、炎が燃え盛り、狂乱、悲鳴が轟いているそれとはやはり大違い。地味。

 地獄の鬼どもも頭に生やした角は控えめ。服も着ており、見かけは人と変わらない。

 おまけに不真面目で賄賂に弱い。ただ、神か閻魔か、ここを創った者は堕ちた者を苦しめることには熱心なようだ。

 多種多様、不得意、嫌悪。あらゆる人間に対応した地獄が用意されている。

 ドアを開けた先。崩れる床。手をついた壁が崩れ、投げ出された先。穴。隣り合わせの様々な地獄。目まぐるしく味わわされた中、聞いた噂。


 天国へ繋がるエスカレーターがある。


 それが階段でも糸でもないことに違和感はない。戦車で轢かれたあとだ。地獄も近代化が進んでいるのかもしれない。

 さっきのドアの向こうの外では羽音と悲鳴。あの巨大な蚊に血を吸われているのだろう。

 もうどんな地獄も御免だ。俺は必ず天国へ辿り着いてやる。


 ――地獄の沙汰も金次第とは本当だったな


 そう思った男はニヤリと笑った。

 そしてついさっきも同じことを思ったなと、今度は声に出して笑った。

 笑い笑い笑い。裂けた腹、破れた袋から金の粒が躍り出た。

 箸が転んでもおかしい年頃というわけではないが、床の上で跳ね、その音がどこか愉快で男は更に笑う。

 笑う笑う笑う。その最中ふと、頭によぎる。


 ――地獄の沙汰も金次第とは本当だったな


 以前にも同じことを思った気がする。

 そう何度も……何度も……何度も……。

 また腹から落ちた金の粒がキラリと光り、男はそれに目が移る。

 結構渡した気がするがまだこんなにあったのか。これなら天国でも使えるかもしれないな、と思い、また笑った。

 

 笑った笑った笑った。

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