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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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予知夢

 機内の壁面に生じた亀裂を客室乗務員の女が必死になって両手で押さえている。

 彼女の名前は何だったか。みんな、似たような笑顔だから区別がつかない。

 通路を挟んで斜め前の席にいる太った男が、目の前にぶら下がった酸素マスクに手を伸ばすがタイミングが合わず、ブランコに揺られる子供のようにその手から逃れる。

 機内では風が吹き荒れている。シートベルトを外したか、あるいはつけていなかったであろう若者がその風に巻き上げられ天井に打ち付けられた。まるで解剖前の蛙だ。そのまま床にたたきつけられたあとは動かなくなった。

 中年の女が悲鳴を上げながら目を見開き、自分の右手を見つめている。その手から稲妻が迸り、髪が逆立ったかと思えば箒に火をつけたように燃え上がった。

 右隣に座る妻に目を向けると、正面からくる風と悪戦苦闘している。

 若い頃は手で前髪を押さえたものだが、額を出すようになってからは見たことがない。ふと、そんなことを思った。

 その向こう、通路を挟んで同列の男の頭が、どこからか現れた、あれはジープだろうか? 車のタイヤに潰された。


 壁面の亀裂が上へ横へと伸びる。

 私の隣まで来たところでクッキーを砕いたように壁が割れ、座席ごと外へ放り出された。

 外は青空が広がっていた。

 私は回転しながら落下していく。

 ふと、プールの飛び込みが頭をよぎると、審査員が見ている気がし始め、私はにこやかに手を上げた。

 上も青だが下も青だ。

 海。ばらばらばら、飛行機の破片と共に落ちた私に海水が絡みつく。

 包まれ、あっという間に底に沈む。



 ……これは私が見た夢だ。しかし今、目覚めたわけじゃない。すでに朝食は済ませ、シャワーを浴び、髪を櫛で整えた。

 着ているのはそこそこ気に入っている服。出かける前、ベッドに腰かけ夢を思い返していたのだ。

 妻は慌ただしくドアの向こうの廊下を行ったり来たり。部屋の前を横切るたびに姿を見せるわけだが、迷っているのかスカーフの巻き方が毎回変わっている。

 たまに私に声をかける。忘れ物ない? ああ、ないよ。じきに家を出なければならない。行き先は空港。飛行機の旅。かなり先延ばしになった新婚旅行。

 先程のは私が三日前から連続で見ている夢だ。

 そう、三日。三日だ。これが一週間。そう、一週間同じ夢を見たと言えば、何かしらの予知。不吉なことが起きる前兆と胸を張って言えたのだが、繰り返し言うが三日だ。微妙なところ。

 飛行機に乗る不安から見たただの悪夢止まり。

 実際に妻に話してみたところ、そう言われた。それも仕方がない。手から稲妻が迸る中年の女? 車のタイヤに頭を潰された中年の男? 天井に叩きつけられた男だって変だ。

 亀裂が広がり穴が開くまでは天井に叩きつけられるほど、まだそんなに風は強くないはずだ。それらせいで完全な予知夢とは言い難いのだ。


 外でクラクションの音がした。

 タクシーが来たのだろう。妻が私を名を読んでいる。

 はいはい。呼ばれたら犬のようにすぐ向かうのが賢明だ。ため息で腰を浮かせ、離陸。

 荷物を抱え、外に出るとカラカラと落ち葉が海辺の波のように、足元を駆けた。

 夏が終わり、秋の入り口。涼しく、快適だ。それでもタクシーのトランクに荷物を詰めると汗がにじんだ。

 トランクを閉める。ふと、棺桶の蓋が頭をよぎると、死神が息がかかりそうな距離で見ているような気がしたが、妻には言えない。

 いい加減にしてと、ただ機嫌を損ねるだけだ。

 タクシーに乗り込み、走り出す。

 窓から見上げると空は快晴、いい青空。

 しかし、先行きの不安は一向に拭えず。戦争も、先週に起きた銃乱射事件も青空の下で行われただろう。


「――でね、ねえ聞いてる? その子ったらね」


 旅行を楽しみにしていた妻は機嫌良さそうに話し続ける。私は相槌を打つ回数をさり気なく減らしていき、そして、気づかれぬよう慎重に息を吐く。

 ため息ではない。体をリラックスさせるためだ。空港まではまだ時間がかかる。幸運にも赤信号に捕まれば更に、だ。

 もう一度眠り、夢を見る。上書きするんだ。飛行機事故の夢を見たまま空の旅など冗談じゃない。

 そうとも、最後に勝てば勝ちなのさ。悪夢とはおさらば。楽しい夢がいい。何なら墜落する飛行機を私がスーパーパワーで救う夢でも……はははっ馬鹿馬鹿しい。だがようやく笑えた。




 飛行機の揺れは口から光線放つ前の怪獣の身震いのようであった。

 この飛行機がいつ、この下の海に墜落するかわからない。空中分解までのカウントダウンはあってないようなものだった。

 私は操縦桿を握り、右へ左へと飼い猫のご機嫌を窺うようにバランスを取る。

 高度を下げ、予定の空港へと向かう。

 幸運なことに亀裂が生じたのは、このフライトの終了間際だった。

 最悪、海へ不時着も考えられるが操縦室のドアを叩き、駆け込んできた客室乗務員のキャメロンの話では壁面に乗じた亀裂から穴が開き、乗務員のキャシーと乗客数名が外に投げ出されたらしい。

 キャシーは手で亀裂を押さえていたというから無謀、無意味と呆れるか勇敢と称えるべきか悩んだ。


 ……が、無事空港にたどり着いたときには彼女の尊い犠牲を称える気になっていた。

 副機長と握手を交わす。そして拍手の音。これはドアの向こうから。

 客室、乗客が私を称え、今、指笛まで聞こえた。

 これに留まらず、これから私は乗客乗員の命を、残念ながらその全てではないが救った英雄としてメディアに取り上げられるだろう。

 そう、全てが上手く行った。駆け付けた消防士が、管制官が、乗客が拍手で――



「……長……機長?」


「ん、ああ、今行くよ」


 空港の窓から空を見上げ朝見た、いや、ここ三日連続で見た夢を思い返していたライアンは我に返り、何となしに帽子に触れた。

 予知夢。彼は前にも見たことがあった。

 子供の頃、フレークの箱からお目当てのオモチャが出て、それを片手に家から飛び出した時、牛乳配達のトラックに撥ねられた。その夢を三日連続で見たのだ。

 そしてある朝、フレークの箱からお目当てのオモチャが出た瞬間、あれがただの夢でないと確信し、家から飛び出したあと、道路の前でピタリと足を止めた。

 結果、撥ねられることはなかった。予知夢により、事故を回避したのだ。

 しかし、不思議なことが起きた。

 牛乳配達のトラックもライアンの前でピタッと止まったのだ。

 運転席の配達人と目が合った。

 言葉は交わさなかったが彼の目はこう言っていたようにライアン少年は感じた。

『夢と少し違うな。まあ、何にせよ良かった』

 彼はアクセルを踏み込み、車を走らせた。トラックの壁面に描かれた牛のキャラクターが見えなくなるまでウィンクしていた。


 あの牛乳配達員。もしかしたら彼も予知夢を見ていたのでは。

 彼もまた子供を撥ね殺すという人生の危機が迫っていたのだから、何らかの直感が働き、その夢を見たのかもしれない。

 と、ライアンが今になってそんな突拍子もない仮説を立てたのは先程、客室乗務員のキャシーが今日は休むとの連絡が入ったからだろう。

 彼女も予知夢。機内から放り出される夢を見たのかもしれない。

 それはいい。仕事を休み、予知された死から離れようとするのは当然の反応だ。

 だがこれにより、ズレが、未来に影響があるのではないか? 飛行機の総重量。あの奇跡の着陸は絶妙なバランスの上で成り立っている。

 ……なんてな。キャシーが休んだのはただの偶然。子供の時のもそうだ。不安から仲間を、予知仲間を作ろうとしている。

 ……予知仲間。はははっ。馬鹿な。予知夢など大人になった今も、本当に信じているのか?

 それに、だとしてもキャシーの代わりの者が乗るはずだ。変化はない。

 尤も、念のため機体のチェックは再三、頼んでおいた。問題自体起きないだろう。まあ、これまで事故が起きた機体もチェックはしていただろうが。

 ライアンは帽子をきつく被り、やや硬い笑みを浮かべ、歩きだした。




「え、嘘!」


 赤信号で止まったタクシーのドアを開け、夫は道路に転がるようにして飛び出した。

 そして流れるように……土下座。


「頼む! この旅行は無しにしてくれぇ!」


 夫は見ていなかったし聞こえてもいなかっただろうけど、その言葉を聞いた私の口からまず出たのが小さな笑いだったから今更取り繕って怒る気も無くした。

 眠っていたことには気づいていたけど、どんな夢を見たのだろうか。

 ……ああ、例の悪夢だろうか。仕方のない人だ。

 まあこの先、喧嘩、何か言い争いになった時に、この件を持ち出せば優位に立てるでしょう。夫婦生活というものはきっとそうやってうまくやっていくものだ。

 私は夫に微笑みつつ、さらに恩を着せようと携帯電話を耳にあてた。



「え、キャンセルですか? はい、あ、いいえ。構いません、はい――」


 コールセンターにて、エイミーは受話器を置いたあと、妙な気分になった。

 飛行機の予約キャンセル自体は当日であってもそう珍しい事ではないが、自分が受け付けた電話だけで三回。それも連続でだ。

 同じ飛行機の予約キャンセル。それもどの人も怯えたような声の調子だ。

 一人は旅先で雷に打たれる気がするとか、もう一人は「馬鹿なことを言っていると思うだろうけど」と前置きしていたが、旅先でやる予定のスカイダイビングでパラシュートが開かないとか、またある人は「車にひ、轢かれる、あ、頭を潰される!」と怯えた様子で話していた。

 仮に本当に未来に起きることだとしても、どれも気をつけてさえいれば避けられなくはない気がするけど、気が気じゃないのだろう。旅行自体を取り止めれば安心というのは分からないでもない。

 

 エイミーがため息をつくと、また電話が鳴った。エイミーは受話器に手を伸ばす。

 三コール以内に取るのが鉄則だが、手は受話器に近づくにつれ、動きが遅くなる。

 また同じ飛行機のキャンセル電話。それもまだまだ続く。

 彼女はそんな予感がしていた。

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