田中
久々に田中のやつから連絡がきた。
『先日、海外出張から帰ってきた。呑みに行こう』と。
多分、自慢話を聞かせられることになる。だから会うのは気が進まなかったが、お土産があると言われたらしょうがない。
俺は畳の上でゴロゴロしていた田中に留守を頼み家を出た。
「よぉ」
「うぃ」
ざっくりとした挨拶を交わし、飲み屋の中へ。
田中。こいつとはもう随分長い付き合いになる。
「ふーっ、田中は何にする?」
「とりあえずビールだろう」
俺は田中にそう答えた。奴はさっそく「日本のビールかぁ、久々だなぁ」とこちらに聴こえるようにボヤいた。
俺は無視し、顔を逸らすと、店員のネームプレートが目に入った。
この居酒屋『田中屋っ』の店員の名もやはり田中。
そう田中。そこの席もあそこの席も座っているのは田中だろう。その証拠に田中がグラスを掲げ「田中に!」と叫ぶと、全員が返した。
「田中にカンパーイ!」
そう田中。みんな田中。田中だらけのこの町は遠い昔、気の合った田中同士が引っ越し、集まり噂を聞いた田中がやって来て、それを町おこしにまた田中が集まり……といった具合に田中だらけになったという。
「おい! 佐藤の国の奴らがまた荒らしに来たらしいぞ!」
そう言い、居酒屋に駆け込んできたあの男も田中。
何を! 許せん! と息を巻いて出て行ったのも田中田中田中たち。同じ名字は仲間意識を強くさせるのだ。
「相変わらずだなぁこの町、それにこの国は。アメリカは――」
アメリカ帰りの田中。早く土産くれよ。ペラペラペラペラ、外の喧騒も気にせず喋ってら。
「佐藤がいたぞ! 捕まえろ!」と外でどっかの田中が叫んでる。
近頃じゃ勢力争いが激しい。特にこの町は佐藤と鈴木と高橋、それぞれの町と隣接している言わば国境地帯。揉め事が多いのも無理もない。他の名字同様、淘汰されたくなければ抗うしかないのだ。
と、この前演説していたのも偉大なる指導者田中。田中、田中、田中。みーんな田中でみんな同じ。
でも平等か? 違うね。目の前のアメリカかぶれの田中はエリート会社で、田中財閥の直下の会社。俺はその末端の末端の田中印刷会社。
だからこうして飲み屋のメニューの値段を気にするのさ。ん、この田中の盛り合わせってメニュー気になるな。魚か?
「た、助けて……!」
そう血塗れで店の中に入って来たこいつは佐藤か? 田中の巣窟に助けを求めに来るなんておかしな奴だ。
案の定、田中たちに足を掴まれ店の外に引き摺られていった。
きっと火炙りだ。佐藤も鈴木も高橋もよく燃える。
アメリカバカの田中の自慢話はまだまだ続きそうだ。俺はグラスのビールをちびちび飲み、家に置いてきた飼い猫の田中を想う。
そんな俺の名字は実は東京。今やその名を失った都市同様、勢力争いに飲まれて消えた少数名字の末裔。他の潜伏中の名字と手を組み、いずれは革命を起こすのさ。
なんてな。
「なぁ……お前も一緒にアメリカに亡命しないか? この国は息苦しいよ……。
今ならスミスってクールな名字、あ、ラァストネェイムが貰えるんだぜ!」
と声を潜めつつも興奮を隠しきれないアメリカ信者の田中。
田中よ田中。
どこへ住もうとも名字が変わろうとも、大して変わりはないと俺は思うんだ。




