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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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クレーマー、クレーマー

 深夜の牛丼屋。店員である伊佐見は半ば機械的な動作と声で客を見送ると、腰に手を当てた。

 今、伸ばせば良い音が鳴る気がする。それが何だと言われればそれまでだが、一息つくにはちょうどいい頃合い。

 店内の客は二人。それも今しがた注文の品を提供したばかり。

 伊佐見は鼻から軽く息を吐き、腰を伸ばした。


「おい」


 突然の横槍。その声で腰が鳴ったかどうかわからなかった。いや、どうでもよかった。店員に対して「おい」という呼びつけ。それが良い客でもなければ良い用件でもないという事は伊佐見は他のアルバイトでの経験も含め、よくわかっていた。


「は、はい、どうされましたか?」


「このみそ汁よぉ……具が入ってねぇじゃねえか!」


 深夜のワンオペだ。ミスすることもあり得る。しかし、伊佐見は謝罪よりも記憶を辿ることよりも先にあることに気づいた。


「お、お客様……歯にワカメがついていますが……」


 その男はまず舌で確かめたのだろう、口をもごもごさせ、次に指を口の中に入れた。


「……このワカメは自宅から連れてきたやつだ」


「ご自宅から……」


「そうだ。大事に大事にここまでな!」


 男はそう言うとナイフについた血を振り払うかのようにピッと指についたワカメを床に落とした。

 伊佐見はそのことについて何も言わなかった。もうわかりきっていた。この男がこっちが見ていない隙に、急いでみそ汁の具だけを食べた事も。そして、クレーマーであることも。


「で、ではすぐに作り直しますね!」


 たとえ理不尽な言い分でも飲み込んでしまうのが吉だ。言い争いは不毛。

 そう考え、クルリと背を向けた伊佐見。だが、それを男が呼び止めた。


「それは違うんじゃないか?」


 伊佐見は戦慄した。そうだ。この男は言いがかりをつけるために、みそ汁の具だけを急いで食べた。元々、みそ汁の事など、どうでもいいのだ。つまり、要求は他にあるのでは、そう思ったのだ。


「誠意がなぁ……足りないなぁ!」


「せ、誠意……? ですから、今すぐに作り直させていただきま――」


「だからせえぇぇい! ……なぁ、誠意ってそういうことかな」


「……と、申されますと」


「……二万かな」


「二万……円でございましょうか?」


「当然だろう。何ならドルでもいいぞ。二万ドル! すごいな!」


「いや、それはちょっと……」


「じゃあ二万円だな」


「いえ、お金がちょっと無理と言う話で、あ! サービスで豚汁に替えさせていただくというのはど――」


「サービス!? それじゃあ、そっちが親切みたいになってるじゃないか!

甘えないよぉ! そんなご厚意ぃ! 非はそっちにあるだろ! そうだろ!

それにまた火傷でもしたらどうするんだ! 猫舌なんだよ俺はさぁ!」


「また……とおっしゃいますと、やはり具はご自分でお食べに……」


「揚げ足を取ったつもりか? おい、楽しいか?」


「い、いえ、ちっとも楽しくはありません」


「そうだな、楽しくないよな? 俺もだ。じゃあ、早く出すもんだして、俺を温かい我が家に帰らせてくれよぉ……四万だな?」


「四万!? 増え、いえ、ですから――」


「ちょっとアンタ!」


 伊佐見は安堵した。今の声の主はもう一人の客。中年の女性だ。見るに見かねて助け舟を出してくれるのだと、そう思ったのだ。


「この牛丼、つゆが入ってるじゃない! 私、抜いてって言ったよね!?」


「え、いえ……おっしゃっていないかと……」


「じゃあ、なに!? 私が嘘言っているっていうの!?」


 伊佐見は一瞬、これが夢なのではないかと錯覚した。理解が及ばなくて視界が歪んだのだ。

 頭を軽く振り、伊佐見は気を取り直すと、その女に言った。


「で、では……すぐに作り直しますね」


「つゆが苦手なのよつゆがぁ。匂いがもぉーおおおおおおぉぉぉ!

白米! 白米が食べたぁああい! 真っ白なやつぅ! はぁぁぁ食べた過ぎて目が回るわ!」


「あの、目が回るのは、そんなに頭を振られるからかと……。

あと『つゆなし』と言っても、当店では、つゆ少なめという意味でして

それに牛肉には味が染みていますから、そもそも全くのつゆなしというのは……」


「えええ! そんなこともできないの!? もう食欲失せたわ。これはもうアレね、お金ね」


「返金でございますか? 少々お待ちを」


「五万円ね」


 伊佐見は絶望した。今、ここにいる人間は自分一人だけだ。そこにいるのは二体の化け物。話が通じず、害をなすならばそれはもう腹をすかせた野生の熊やライオンと変わらない。本能のまま。自分がどう思われているのかも、わかっていないのではないだろうか。


「もーうー、早くしてぇ。おなかすいちゃったわぁ早く帰りたいのよぉ」

「おい、そっちよりこっちに対応するのが先だろ! それが道理ってもんだろ!」


「あ、あの! ですから自分、バイトですしその、店のお金を勝手にというのはちょっと……」


「じゃあ、どうするのよぉ! お金返ってこないのぉ!?

私のお金、飲み込まれたままぁ? 私は飲まず食わずなのにぃ!?」


「あの、お客様。飲まず食わずと仰いましても少し食べておいでのようですし

あの、券売機のボタンを連打されましても……」


「そーだよ! 俺もみそ汁だけで全然食べてないのによぉ!」


「あ、やっぱり食べたんですね……と、ですから連打されましても……」


「……」

 ――カチカチカチカチカチカチカチ

「……」

 ――カチカチカチカチカチカチカチ


「あの、当店の券売機での連打勝負はお止めいただけますでしょうか……」


「もう! あれもできないこれもできないで何ならできるのよ!」

「そーだよ! 奇しくも汁が招いた二人の悲劇! どう決着つけるんだよぉ!

俺たちは汁に踊らされたままなのかぁ!?」


「あの意味がよく……」


「おぉ! みそ汁よぉ!」

「ああ、おつゆぅ!」


「あの、店内で踊らないでください……それに勝手に騒いでいるのはお二人でしょう」


「お前、ちょいちょい攻めに転じてくるな」


「いえ、すみません……」


「もーうーいいわよー早く六万円ちょうだい」

「そーだよ。俺も疲れた、七万な」


「八万円ね」

「九万だ」


「十万」

「十一」


「あの、競われても、お支払いはできませんって……」


「はぁ……じゃあ、いいや。今回は特別に牛丼大盛り二個で許してやるよ。勿論持ち帰りな。」

「私もそれでいいわ。大盛り二個。つゆは多めでね」


「つゆは苦手なんじゃ……」


「これを機に克服するのよ」


「それはご立派な考えで……」


「いいから早くしてくれよ! 俺今日、滅茶苦茶具合悪いんだよ! ああ、腹が痛くなってきた……」


「なぜ牛丼屋に……」


「いいから早くして! お金か牛丼!」


「ええ……」


「『ええ』だってよ、えええええっ~!」

「『ええ』がえええ!? よ! ええええええっ!?」


「あの、自分の真似ですか……? おやめください……」


「あの、じゅぶんの真似でとぅかぁ?」

「おやめくどぅたいー」


「はぁ……」


「はぁ、ため息つくのもわかるよ? お前も一人で店を任されて大変だろう……。

さあ、だからこそ、そろそろこの問題は終わりにしようぜ」


「そもそも、いえ、はぁ……まあ、じゃあはい……」


 牛丼持ち帰り大盛りを二個ずつ。伊佐見はもうそれで帰ってくれるならと、言うとおりにした。


 そして二人の背を見送ると、ただ大きく、ため息をついた。

 今、体を伸ばせば全ての骨が鳴るような気がした。




「……上手く行ったわね」


「へへっそうだな、明日の朝ごはんゲットだ。ガキども喜ぶぞぉ」


「ふふん、心理学の本を読んで大正解だったでしょ? 

テクニックを活用、スマートに要求が通ったわぁ。人生賢く、得に生きなきゃね」


「だな……でも俺らのあれ、ただのクレーマーだった気も……」

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