夫たち
ガンガンと引き戸を叩く音。パタパタとスリッパを鳴らし、玄関に向かってみれば、曇りガラスに映る影。
その家に住む女は息を整えると戸を開けた。
「あ、あなた……」
「おまえ……久しぶりだな。もう何年になるか……」
「あなたがこの家を出てってもう三十年よ……」
「三十年か。ははっ駄目な男だな俺は……済まなかった。
君を捨て、俺は本当に自分勝手な男だ……」
「いいのよもう……。待ってた甲斐があったわ。さ、上がって? 中で話しましょ」
「あ、ああ。ありがとう……」
女の夫は居間に行くと腰を下ろした。久々に顔を合わせ、さて、何を話せばいいものかと夫が頭を掻いた時、戸を叩く音がした。
「客か」
「ええ、はーい! 今行きます!」
ちょうど良い。少し考える時間ができた。
夫はそう思い、少しほっとした。しかし……
「あなた……」
「やあ、久しぶりだね……」
玄関から聞こえて来たのは何やら覚えのある会話。
はて? と顔を向けると居間に男が入ってきた。
「え、あ、どうも……」
「どう……も」
「あの、貴方は?」
「彼女の夫ですが……」
「私もなんですけど……ああ、もしや貴方が前の旦那さん?」
「と、いうことは貴方が俺の次の旦那?」
「ええ、貴方が出て行ってから三年後? でしたかね。私が彼女と結婚したんです」
「ははあ、なるほど。少し安心しました。
彼女は一人寂しく暮らしていたというわけではなかったんですなぁ」
「ええ……でも私は彼女を置いて出て行ったんです」
「な、そ、そうですか……まあ、俺にそれをとやかく言う資格はありませんし……ん? また誰か……」
玄関の戸が叩かれる音がし、二人の夫は顔を見合わせ、耳を澄ました。
「あなた……」
「……ごめん。今更」
これはもしやと二人が同時に口を開きかけた時、一人の男が居間にやってきた。
「あ、ど、どうも……」
「どうも……」
「どうも……」
「あの、お二人はもしかして」
「元夫です」
「元夫です」
「ぼ、僕もなんです……」
三人目の夫は安心したのか、この奇妙な状況に笑うしかなかったのか笑みを零した。
「しかし、奇妙なタイミングですな。まさか別れた夫が三人同時に顔を合わせるとは」
「ええ、あ! ちょっと待ってください」
「ど、どうしました……」
「いや、もう一人くらい来るんじゃないかと」
「そんなまさか……」
と、三人は笑ったがまた戸を叩く音がした。
「あなた! 全くどこ行ってたの! 心配したのよ!」
「……どうも今度は彼女の一番の夫らしいですな。あの熱量」
「ああ、私の時もあれくらい声を張り上げて欲しかった」
「僕なんて流れ作業のようでしたよ」
「ほーら、おいでおいで! 台所にいきましょーね!」
と、妻が犬を抱きかかえ廊下を歩き、居間の入り口を横切った。三人は苦笑い。しかしどこか和やかな空気にまたほっとした。
「なんだ、犬でしたな」
「はははっ、まったくそれにしても犬優先か。まだ茶も出してくれてない」
「仕方ありませんよ。だって僕ら逃げちゃったんですもの」
「ふふふ、しかし、あれですね。三人と一匹、彼女から逃げたということは
もはや彼女が悪いということになりませんかね」
「はははっ! 引っぱたかれますよ! だがまあ気持ちはわかる。
夜な夜な怪しげな呪文書をみながらブツブツ言っているのを見たら逃げたくなるものでしょう」
「ほう、呪文書? 私は怪しげな像でしたよ。彼女、毎日祈りを捧げていました」
「えっ? それってあの祭壇の?」
「祭壇?」
「ええ。押し入れを改造して祭壇を造っちゃったみたいなんです。それを見て僕、怖くなっちゃって」
「うへぇ、それは逃げたくなるわな。しかしまだ謎が……」
「ええ、なぜ我々がこうも一度に集まったのか」
「やっぱり彼女の怪しげな力……僕らどうなるんでしょう?」
「そりゃ一網打尽……」
「そんな! 逃げましょう!」
「そんな馬鹿な……いや、お二人とも待ってください。
どうやら私は気づいてしまったようです……ほら、カレンダーの日付」
「え?」
「あ!」
「そうです。お盆。つまりは……そういうことです。思い出してしまいましたよ」
「あ、ああ……そうだった」
「はは……そう言えばどこか夢うつつな気持ちでした」
「ああ、でも気づいたお陰か頭がハッキリしてきた。彼女に謝らないとな。
好き勝手やって結局おっ死んじまったんだから」
「やれやれ、まったくです。健康には気遣っていたのにまさか死ぬとは」
「健康? あの、お二人ともどういう死に方か覚えていますか?」
「俺は心臓が急に」
「え、私も心臓が」
「……僕もです」
「それって……」
そう同時に言い、顔を見合わせた三人の前に妻が現れた。その手にある犬の生首からは血が滴り落ちている。
「偉大なる我が主よ。ここにある三人の夫の魂を捧げます。どうかどうかお姿をお見せくださいませ……」
戸を叩く音がした。




