頭の中の小屋
「ねえ、パパ……」
「ん? 何?」
その少女は繋いだ手の先にある父親を見上げ、目が合うと俯いた。
まだ幼いとはいえ自分がこれから言おうとしていることがどういう事か理解していた。
ぼんやりとだがその顛末も。
病院。そこに連れて行かれるのではないかと怯えていたのだ。
「……あのね、頭の中に小人さんがいるの」
それでも言わずにはいられなかった。
頭をぼんやりさせると、やがて意識が遠のき
まるで夢の世界に入ったかのように、ポツンと自分がその場所に立っているのだ。
イチゴミルク色の空間。そこに犬小屋ような小さな家が一つある。
小人の家だ。初めてそれを目にした少女がそう思うのも当然。
その屋根の上で小人が一生懸命に金槌を振っていたのだ。
最初はドールハウス程度の大きさだった。少しずつだが増築されていくのだ。
少女は元々シャイな性格だ。ただ見守るか、すぐに現実の世界に戻るかするのだが
また気になって来てみれば着々と増築は進んでいる。小人も増えた。
小学校の友達に話してみると自分だけだと気づいた。
そして直接言われはしなかったがその目が暗に言っている
『変なの』と。
自分は頭がおかしいのでは。その不安で胸がはち切れそうだった。
だが、話を聞いた少女の父親はフフッと笑うと優しい声で言った。
「大丈夫。それはね、ギフトだよ」
「ぎふと?」
「贈り物。特別な才能さ。実はね……パパも同じなんだ」
「パパも!?」
「ああ、パパのお母さん、つまりおばあちゃんもそうだったんだ。
恐れずにその小人さんに話しかけてごらん。
中に入れるよう大きなドアを作ってくれるからね」
「中はどうなっているの?」
「おしゃれなお部屋さ。まあ、それよりも素晴らしいのは本棚だね」
「本棚?」
「そう、これまで読んだ本をそこに置いておけるんだ。
中に入り手に取れば、いつでもその内容を思い出せる」
「じゃあ、学校のテストとか!」
「はははっ。そう、察しがいいね。だからギフトなのさ。記憶倉庫と言ってもいいね」
「じゃあ、パパの本棚もすごいの?」
「ああ、それはもうたくさんさ! 勿論、本だけじゃなく書類や写真。
つまりこれまで見た風景もいつでも思い出せるんだ。そっくりそのままね」
――良かった。頭がおかしいんじゃないんだ。
そう安心した少女は父親と手を繋ぎ家路を行く。
耳に残る、はしゃぐ二人の笑い声。肌なでる風の心地良さ。
夕日とそれに焼かれた空の色。手の、胸の温もり。その全てを記憶している。
そう全て……。
「……大丈夫。私、上手くやってるよ、お父さん」
あの日から十数年後。少女は弁護士になっていた。
無論、彼女が勤勉であったのもそうだが
父親の言う通り、才能を上手に活かしたのだ。
彼女はドアを、そして目を開け、仏壇に飾られた父親の遺影に微笑みかける。
彼女が弁護士を目指したのは父親の死がきっかけだった。
路上で車に撥ねられ頭を打ち、死んだ。あっけないものだった。
悲しみに暮れる少女と母親。だが、問題が浮上した。
事故死か自殺か。父親は生命保険に加入していた。
その支払いを保険会社が渋ったのだ。
幸い、雇った弁護士のお陰で保険金は支払われた。
少女はその弁護士の頼りがいのある背中を見て、憧れたのだ。
そして、自分も弱っている人の力になりたいと考えた。
「いってきまーす!」
駅まで走る彼女。まだ見習い。それゆえにハードな毎日だ。
ギフトがあるとはいえ、時間は無駄にできない。体力作りもかねていた。
駅のホームで電車を待つ間も、意識を遠ざけ海に潜るようにあの世界へ入る。
慣れたものだ。今では瞬時に出入りできるようになっていた。
そして小人たちの家も今では見上げると首が痛くなるようなほど大きくなっていた。
もしかしたら記憶が増える、長生きするに応じて大きくなるのかもしれない。
生涯の友ね……。彼らがいるからそう、大丈夫。寂しくないよ。
彼女は今一度、父の顔を思い浮かべた。
それはわざわざドアを開けて、記憶の棚に手を伸ばさなくともできることだった。
……でも、こんなツギハギゴテゴテの家じゃなくてそれこそ倉庫みたいにもっと
横とかに広げてくれてもいいのに。
彼女がそう思い、フッと笑いドアに手をかけたその時だった。
上から何かが頭に落ちたのは。
……これ、水?
雨漏り?
水道管?
欠陥住宅?
そう考えた彼女は何歩か下がり、また家を見上げた。
歪な塔のような小人の家。彼女は目線を上へ上へと這わせた。
そして気づいた。
この空間の天井が妙に赤い。
そもそもこの空間に天井などあったこと自体知らなかったが
どうやら家のてっぺんがそこに届いたらしい。
それで恐らくそこにあいた穴から漏れ出た液体が屋根を伝って落ちてきたのだ。
そう、液体。赤い……血のような。
彼女は無意識に自分の頭に手をやった。
激痛。
それは小人が楽し気に金槌を振るたびに頭の中で響くように。
ガンガンゲラゲラガンガンゲラゲラガンガンガンガンガンガン…………。




