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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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スパイの記憶

「ん、あれ? ここは……え」


「やあ、目が覚めたかね?」


「あ、はい……あの、訊くのが何だか怖いんですが、その」


「訊きたいのは『どうして僕はこの薄暗い地下室のような場所で椅子に縛られているのですか?』かな?」


「はい……」


 その通りであった。目覚めたての緩慢な脳に滲むような不安感。

ただ、彼はそれに浸る間もなかった。

そして、その不安の土壌に新たに疑問の芽が顔を出すその前に

目の前の男が手を広げ言った。


「周りをよく見たまえ、ここにあるのはそれだけじゃないぞ」


「え……うわ! そ、それって」


「そう、拷問道具だよ。鋸にメスに電動ドリル。

これは見慣れないと思うが歯茎に刺して電気を流す道具だ。

各種、取り揃えてある。因みに私のお気に入りは――」


「だ、誰か! 誰か!」


 彼はそう叫んだ。その声は僅かに反響した気がした。

 誰かに届いた気も、助けが来ることも想像できなかった。

少なくとも、自分が無事でいる間には。

 男はやれやれといったように息を吐く。


「無駄だよ。どうして猿ぐつわをしていないと思う?

叫んだところで外には聞こえないからさ」


「な、なぜ、僕が、こ、こんな目に」


「君が敵国のスパイだからさ」


「スパイ!? そんなはずは、だって……あ、あれ?」


「ふふふっ、気づいたかね? そう、君には記憶がない。そうだろう?」


「な、あ、あれ? どうして? 自分の名前も思い出せない……」


「ふぅー、どうやら敵国のスパイは全員、歯の中に強力な忘却薬を仕込んでいるみたいでね。

スパイだとバレた時、情報を渡さないように自らガチッと噛んでというわけさ。

君は街中をぼっーと歩いているところを警官に保護された。

誰かにバレそうになったか、ふふん、単純にミスで薬を飲んでしまったかは知らないが

記憶喪失の症状の人間は皆、ここに送られてくるように医療機関等に手を回しているのさ」


「う、で、でも待ってください! 何も覚えていないんです!

スパイじゃないかもしれない! 追われてるでもなく、街中を歩いていたんでしょ?

ほら、事故や何かの……」


「無駄だ。外傷はないし、君のその記憶喪失の特徴は

これまで捕らえたスパイと酷似しているのだよ。

それに全く覚えていないのなら君自身、スパイでないと言い切れもしないだろう?」


 男の説明に彼はぐっと押し黙った。完全に納得したわけではない。

ただ、もし間違いでここに連れて来られていたとしても

もはや結果は同じなのではないか、と彼は思った。

そして先を想像すると恐怖した。

しかし、訊かずにはいられなかった。そうでないと僅かな希望に縋り。


「そ、それで今から僕を……」


「拷問……しないよ」


「え? え、え?」


「ふふっ、嬉しそうだね。先人たちに感謝するといい。かなり強力な薬のようでね。

どれだけ痛めつけようが何しようが

記憶を取り戻させることが一度としてできなかったのだよ」


「じゃ、じゃあ何を……」


「この装置を使うのさ」


 男はそう言うと彼の頭に手に持ったその装置を取り付けた。

彼はやや圧迫感を覚えた。そして一度引っ込んだ恐怖心も。

そのせいだろうか、脳はまるで狭い水槽を撹拌したように酷く濁り始めた。


「な、何を! なに、あ、あ、しょ、処刑! こ、これは、で、電気椅子……。

あ、あ、いやだ、いやだ! 僕は違う! スパイじゃない! いやだ!」


「ふふふっ暴れてはいかんよ。まあ、確かに電気椅子によく似ている。

その頭に取り付けた装置から電気を流すことができるんだ。

まあ、流すのは質問の後、それも一瞬だがね。

だがそうすると、脳の記憶をつかさどる部分を刺激し

君の口からパッと答えが飛び出すのだよ。うん、膝蓋腱反射のようなものだね。

まあ、君はショックで自分が何を言ったかわからないだろうがね」


「は、は、は、い、痛みは……」


「愚問だね。さあ、君の母国の情報を吐いてもらおう……か!」


「う、うあっ!」







「いやいや、大したものだ」


「まだ……生きている、ことに、ですか……? 

あれから……何分、何時間、経ちました?」


 彼は眠ろうとしては起こされを繰り返されたような感覚がしていた。

疲労感はピークを何度迎えただろうか。どれだけの時間、短いような長いような

アイスピックで刺されたようなあの痛み、痒い所を掻く感覚。

 矛盾。ただこれは夢ではなく現実だということだけは彼にはわかっていた。


「ざっと二時間と言ったところかね。私が褒めたいのは君の忠誠心だよ」


「何を、答えたか、覚えていないのですが……

結局、僕はスパイなん、ですか……?」


 もはやどうでもいい気がしていた。ただなんとなく彼は笑った。


「ふふっ、そうとも、それは君も認めたことだ。

しかし、情報については一切話そうとしないのだ。

つまり、心の奥底までプロテクトしているわけだ。

いやいや、大したものだ全く……合格だよ」


「ごうか、合格……?」


「ああ、ほら、皆、入って来てくれ! さあさあさあ!」


「いやー、おめでとう!」

「君は素晴らしい」

「うむ、実に誇らしいよ」

「君は最高のスパイだ!」


「な、なんなんですかこの人たちは……」

 

 ドアからゾロゾロと人が入ってきて、彼はその拍手の音で

目の前がぐるぐると回る気がした。まるで蝙蝠のようだ、とも思った。

そしてどこか心地良かった。


「ふふっ、いいかい? これはテストだったのだよ。

記憶を無くし、その脳、心の奥深くを探られても機密を渡さないかどうかのね」


「わけが……」


「つまり、君の母国はここだったというわけさ。

これは最終テスト。これより、君には敵国に侵入し、機密を探ってもらう。

さあ、どうだ、やれるかね? うん、やれるね? 君はスパイなんだ。我々のね。

いいかい? 君は我々のスパイだ。さあ、やれるね? やれるだろう?」


「は、はい……必ず……やり遂げます……僕はスパイ……はい……」



 意識が朦朧とする中、彼はそう答えた。

割れんばかりの拍手が、賞賛の声が彼の脳を、電気信号を混濁させる。

ぼーっとするその様子を別室で見ていた国の高官たちが呟き、ニヤッと笑う。


 記憶が全くないのなら、上書きして利用するまでさ、と。

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