体を返して
……ん、なんだ、あれは、天井?
変、いや、あ、ああああああ!
何だ、この体は!?
視界が! 色が! なぜこうもあれこれ考えられる! 知識が! 溢れ出るようだ!
ああああああ! 妙な気分だ! 痛い! ああああ頭が痛い!
私は押し寄せた情報の波に溺れ、床に向かって嘔吐した。
結果、いくらかは気分が良くはなったが頭は痛いまま、息を荒げる。
と、その私に駆け寄る黒い影。
あれは……私だ。私だ! 私の体だ!
ゴキブリ。私たち種族はそう呼ばれ人間と果ての無い戦い、生存競争をしている。
実のところはほとんど一方的な虐殺だが
私たちは種を絶やさないようにと精一杯生きているのだ。自分たちに……誇りを持って。
しかし今、立場が入れ替わった。私が人間……ん? そうだ、入れ替わったんだ。
と、いう事はあのゴキブリがこの体の元々の持ち主である人間か?
ははあ、成程。体を返してくれと拝み倒しに来たわけか。だが、文字通りの立場逆転。
今度は貴様が恐怖する番だ。じわじわとなぶり殺してやる……。
……なんてできるものか。元の体を望むのは私も同じところ。
今のようにあれこれ思考できるのは実に面白いが
やはり私はゴキブリという種族に、そう誇りを持っているのだ!
この体に馴染み、この人間の肉体に刻まれた記憶がはっきりしてきた今
入れ替わった理由がわかる……。
この人間は疲れ果てている。会社、上司、仕事。まだ私は深く理解が及んでいないが
これら言葉の響きに本能的に嫌悪感を抱くことからして相当苦しめられているようだ。
今の暮らしがつらい。入れ替わりたい。たとえそれが人間でなくても。
そう考えていたようだ。
ああ、この人間の記憶と共に感情が流れ込んでくるようだ。
なんと哀れな生き物だろう。
地上を支配していると思いきや、その実、なんと不自由なのだ。
雫ほどの水。欠片ほどの残飯。
それを見つけただけで我が身は喜びに打ち震えるというのに。
この世に生まれ落ちてサバイバルの最中
仲間と集う喜び、出会った異性と新たな命を紡ぐ尊さ。
……替わろう。
今、貴様がどんな感情を抱いているか私には知る由もない。
だが、何にせよその体は貴様には過ぎたものなのだ……。
私が入れ替わりを強く望むと、これまでで最大の頭痛が私を襲った。
ブラックアウト……そして……。
戻っ……た?
触覚、良し。
足は……うむ、六本。
おおおおおお、間違いなく私のパーフェクトでビューティフルなボディだ。
……と先程の名残かまだこのようにあれこれ思考することができる。
それも時間が経てば消えてなくなり
また本能のままに暗闇を歩き、餌と異性を求めるのだろう。
だが、それでいい。シンプルこそが……あ、あれは! 我が種族のもう一つの天敵!
アシダカグモ!
逃げ……ん? 奴は何をしている?
足を伸ばし、まるで懇願するかのように――
思考に囚われた私はいとも容易く捕まってしまった。
人間。その右手には私、左手にはあの蜘蛛が。
そして人間、いや、あ、あ、あ、奴は大きく口を開け、あ、あ、あ、私たちを――




