塗り重ね
……退屈だ。仕事、それに人生は順調だがそれゆえに刺激を求めている。
何かないかと思いはするが、新しい事に手を出すのは億劫で
なにより、危険な事、怪我をするような真似は避けたい。
これが老いなのかとも思い、少し落ち込みもするが
しかし、大人というのは冒険心を抑え、やはり日々、安定を心がけ
昇進もそこそこに、給料は多くなくてもいいから責任や部下など抱えたくはない。
けれどもやはりどこか憧れが……。
と、いつもそんな風にウダウダと考えていたからだろうか
露店の占い師に声を掛けられ、素直に椅子に座ったのは。
「ああ、占い師じゃないよあたしは。まじない師さ」
何を占ってくれるのか訊ねた俺に老婆はそう言った。
「まじない……つまり呪いか。なんだ、俺に恨んでいるような人はいないよ」
「ふぇふぇふぇ。なーに呪いと言っても良い呪いもあるもんさ。
心を満たしてくれるようなねぇ」
老婆はそう言うと俺を見つめた。
その目は片方、白く濁っているが、こちらの心の内を見透かすような
そんな力強さがあった。
まあ、その風体が作り上げた雰囲気が俺にそう感じさせているだけだろう。
しかし、それで何かが変わるのならと俺は老婆に頼んだ。
俺の心を満たしてくれと。
「ラウムチアブブビブブルルカカチチブ……」
すると老婆は何やら呪文を唱え始めた。
聴き取れない。適当に言っているだけかもしれない。
それにしても、どうせなら具体的な願い事を言うべきだったかも。
そうだ、昇進とか。現実的な……なんて真面目に考えるのもな。
やはりどうせインチキ……ん、なんだその菫色の粉は。
「カカブブララライルカルララ……フッ!」
「うお!」
何を!? クソッ、目が……。まったく、やはり余計な事など……なんだ?
波の音? それに潮の匂いが急に……
――長!
なんだ、誰の声……。
「船長。船長!」
「どうしたんですかい? キョトンとして」
「そうですよ船長! 客船を襲うんでしょう?」
「いやいや、この前、宝の地図を見つけたと言ってたじゃありやせんか!
そこに行くんでしょう!」
目を開けるとそこは青く雄大な海。それに大きな帆。軋む木の音、揺れる船体。
これは……海賊船だ。そうか、俺は船長なのだ。
子分共がマヌケ面並べて俺の指示を待っている。
そうだ。俺が行く先を決めるのだ。
ごく普通の会社員をやっていた気がするが、会社員? まあ、夢だったのだろう。
「よし! 野郎ども! そのまま全速前進だ!」
おお、これが俺の声か。野太く力強い声。
いくつもの修羅場を潜り抜けて来た戦う男の声。
自分の声なのに初めて聴いたような感覚。ああ、体全体が痺れるようだ。
子分共が俺の命令を皮切りに従順に働き始めた。ああ、良い気分だ。
財宝、女、血沸き肉躍る戦いが俺を待っている。
俺はこの海の全てを手に入れる男だ……。
……と思っていたが、どうにも楽しい生活ではない。
敵の海賊や海軍に追われ、成果がなければ不平不満、文句を垂らす子分共。
金がなければ女に相手にされず、子分の中で一番、体格のいい奴が
ナイフをいじりながら俺を見つめる日々。
船長とは、上に立つ者とは想像以上に大変だ。
落ち着ける場所はこの船長室だけだ。
酒を飲みながらこの前、手に入れた宝箱の金貨を数えるのが唯一の楽しみ。
いや『この前』ではなく『かなり前』だな……。
あの頃は子分共も可愛げがあったなぁ。
このままではそのうち反乱、下剋上もあり得る。
労働組合に団交……ってなんだそれ? まあいい。とにかく首を切り落とされかねない。
かなり惜しい気がするが、命には替えられない。
この金貨を配って、ご機嫌でも取るか……ん? なんだこの金貨?
これだけやけに輝いている。それにデザインも他と違うな。
「私は幸運の金貨」
「うおっ!」
突然、金貨に彫られた女が喋り、危うく手から落としそうになった。
女はニコッと微笑み、机の上のランプの灯りに反射しキラリと光る。
「貴方の心からの願いを一つだけ叶えるわ」
「ほ、本当かえっとじゃあ――」
「船長! 砲撃です! 敵船が!」
「船長! 早く指示を!」
「船長ー! ちょっと倉庫室に来てくださいよぉ」
慌ただしい声。大砲の音。そして今の衝撃は船体に穴があいたのだろう。
もううんざりだ……。願い、俺の願いは……。
「どこか、もっと野蛮じゃない生活ができたら……安心安全で、もっとそう、未来的な」
「ええ、いいわよ」
「うおっ!」
金貨の女がそう言うと金貨が眩いばかりに輝き出し、俺は目を閉じた。
目を開けると俺は椅子に座っていた。
いや、移動している。どうやら動く椅子らしい。乗り物だろうか。
見上げれば空飛ぶ車がせわしなく動いている。街中。遥か未来のようだ。
技術の進歩がすごい……。と、そんなことはわかりきったことじゃないか。
俺は海賊だった気がするが、うたた寝、夢を見ていたのか。
今は……そうだ。買い物を済ませ、家に帰る途中だったのだ。
俺の部屋は何てことはない、狭い部屋だった。
世界はあれこれ発展しているのにロボットなどはいない。
一応、家電それぞれに自動機能だのはついているがどれもポンコツだ。
金がないらしい。らしいってなんだ。知っているじゃないか。
そんな俺の唯一の楽しみはこのゲーム。
カプセルの中に入り、ゲームの世界に没入することができる。
体にチューブ繋ぎ、排泄も栄養補給も一週間程度ならこの中で処理できる。
そうそう、栄養液を買いに行ってたんだ。
自宅まで配達してもらう方が楽だが今日はセール日。
店頭でまとめ買いすると安くてお得だからな。
……これでよし。さぁ、準備ができた。いいぞ。何せ現実は退屈だ。
宇宙に建造されたこのコロニーの中では
乗り物も天候も人さえもコントロールされ事故や事件などは滅多にない。
殺しも略奪も許されるのはゲームの中だけだ。安心安全などクソ食らえだ。
さあてと起動して……よし。この現実からおさらばだ……。
ふふ、ははは! いいぞ、銃の反動。鼓膜に響く銃声。
すべてが愛おしい……はずなのになんだか虚しい気分だ。
気づけばどうやらログインしてからもう五日経ったようだ。なんか、どうにも……。
「もしもし」
「ん、なんでしょうか?」
ボロいマントを羽織った男。さては情報屋だな。
ここでは単純な撃ち合いの他にもこういった者になりきってプレイする事を好む奴もいる。
「何かお悩みのご様子……」
「ええ、まあ。少し……まあ口に出すと余計に、なんで嫌なんですが
少々、飽きてきてしまってね。何かいいイベントやら情報をお持ちで?」
「ええ、ふふふっ。この鍵でこの先にある扉を開けてみてください。
あなたが望む素晴らしい世界が待っていますよ」
男は鍵を渡すと報酬も受け取らずにどこかへ去って行った。
中々粋な奴だ。礼は今度会った時にしよう。
今はこの扉、ふふ、ワクワクするな。どんな場所、どんなイベントだろう?
退屈しない、未知なものがいいな。飽きず、やり込み要素とかあって……よし、開いた。
うっ、眩しいな……。
目を開けるとそこは……
「ここは……なんだ?」
思わず漏れた声。それは箒にまたがり、頭上を飛んでいく女の風を切る音に掻き消された。
女だけじゃない。男も、それに人間とは思えない奇怪な生物も箒に、空飛ぶ馬車に乗っている。
目まぐるしく変わる音楽、喧騒が蔓延る街中に俺はいた。
煮込まれた鍋から突き出るのは六本指の腕。
その匂いに誘われたのか薄暗い路地裏から出てきたネズミは
人間のように背筋を伸ばし、二本足で歩いている。
「ここは魔法使いの世界か……」
と、ぼやいたが、そんなことはわかりきっているじゃないか。
何を言っているんだ俺は? これから昇級試験を受けに行くんだ。
合格すれば使用できる魔法も増える。一人前にならねば。
……と思っていたが、名家出身の奴に目を付けられ、どうも楽しくない日々が続く。
ああ、魔法使いになど生まれなければ……なにかそう、多くの者から慕われるそんな存在に……。
俺は人気歌手だが……
ワシは仙人……
社長……
俳優……
貴族……
軍人……
海賊の子分……
狼……
「――カルララ……フッ! ふぇふぇふぇ……はぁ……」
まじない師をやってかれこれ長い気がするけど……なんだかなぁ……
なにか、他の人生があったのではと思う。そう例えば……
「あ、おばあちゃん、やっぱりここにいた! もー黙って抜け出しちゃ駄目でしょ?
施設の人たちみんな心配してるわよ!」
「え、ああ、ごめんねぇ……」
施設……そうだったかなぁ……あたしゃ、まじない師で……それもなんだか違う気が……しっくりこない……まるで別人の人生を……別……昔、似たようなことがあった気がする……思い出せない……それになぜか以前からずっとこんなことを続けてきたような気も……するような……しないような……するような……しないような……




