風で揺らぐ
「ここね……」
恵美は煙突のついた白い大きな建物を見上げ、呟いた。
半ば勢いに任せてここまで来てしまったが良かったのだろうか。
などと後悔してみるのはいつものこと。母は眠っているからきっと大丈夫。
だから引き返さない。でもやっぱりすぐに帰らないと……
帰りにスーパーであれ買ってドラッグストアではあれを……。
その場でゆらゆら揺れながらついたため息は
吹いた風に掻き消され、さらに背中を押され、恵美はガラス扉に手をついた。
こうなっては仕方ない、と扉を押し、中に入る。
その際、手に込めた力は自分自身が意外に思うほどであったが
すぐに意識の外へ吹かれていった。
中はクリーム色の石タイルの床に、白い壁。
中身は何かの図面だろうか壁に立てかけられた筒がいくつかと、机の上には雑然と物が。
どことなく職員室のような雰囲気に恵美は懐かしい気持ちにもなったが
何より目を引いたのは……
「どうも、いらっしゃい。製作のご依頼ですか?」
と、恵美より年下であろう男が手を後ろに組んで微笑みながら歩み寄って来た。
「製作……ええ、まあ。やっぱりお高いんですか?」
恵美は手をモゾモゾと前に組み、目を泳がせながら答えた。
「うぅーん、そうですねぇ。でもレンタルもありますので
そう無理のないお値段でご提供できると思いますよ。
と、言うか、ほとんどの方がレンタルです」
通販番組のような、下手で演劇染みたややオーバーなアクションと
言葉の節々にみられる妙なアクセントに恵美は欺瞞を感じさせる男だな、と思った。
――自分はどうなのか。
「……あ、そうなんですね、まあ……それで楽になれるのなら」
「楽。ええ、楽ね。それでお写真や声の録音などはありますか?」
「ええ、はい。ご近所さんが言っていたものを一通り……
あ、ここにはご近所さんの勧めで来たんです」
「なるほど、そうでしたか。ではもうわが社の製品はご覧になりましたか?
ふふふっ、ちょっと見ただけでは人かロボットかわからないでしょう?」
「いえ……? まだ見たことがなくて」
「そうですか? それでこの写真の方は」
「ああ、母です」
「なるほど、お母さまの性格はどのような?」
「昔は穏やかだったんですけど……その、数年前に認知症を患い、見る影もなく凶暴に
ああ、この腕の包帯も、その、母に噛まれまして。
歯だけは丈夫で困っちゃいますよね……あと、私と妹を
あ、もう結婚して家を出ているんですけど、よく比較と言うか、面倒を見ているのは
私なのに、あれこれ言って、でも電話で妹と話す時はご機嫌で、それから――」
「なるほどなるほど、ご愁傷さまです。まあ、わざわざそこを真似て作る事もないですし
穏やかな性格にしておきましょうか」
「ご愁傷? 真似て……? あの、ここは介護ロボットを販売しているのでは?」
恵美はそう言いながら男の向こう、立ち並ぶ無個性なロボットに視線を向ける。
「介護? いえ、ここは亡くなった方そっくりのロボットを製作しているのですけど」
「亡くなった……人?」
「ええ。たとえば長年連れ添った妻が亡くなり
意気消沈の父に贈りたいとか、そういった依頼を受け、製作しています」
「はぁ、それが慰めになるんですか? ロボットだと分かった上で?」
「まぁ、ご依頼主の親御さんは大抵高齢で認知症を患っていますからね。
ロボットだと分からない上に多少の不自然も飲み込んでくれるんですよ。
と言っても自信はあるんですよ。
写真データを取り込み、あの機械でガワを作成。
ここから御覧の通り、サイズに合ったロボットを取り揃えていますから
それに着せ、さらに音声や会話の癖などを入力。
あっという間に完成、お渡しできるって訳です」
「ははぁ、いつの間にか世の中進んでいるんですねぇ。
母の介護に追われ、気づきませんでした……」
――本当に?
「まぁ、うちは特に進んでいますからね。お客様に寄り添い、ニーズに合わせてね。
それで、どうします? いつもは予約がいっぱいですけど
いやぁ、ちょうど会社を大きくしたところで、うまい具合に依頼を捌けてましてね。
数日もあれば完成品をお渡しできますよ。スピードが大事ですからねぇ。
……そういえばさっき介護ロボットがどうとか言ってましたっけ」
「ああ、いえ……そうですね」
恵美は口ごもった。そして息を吸い、言った。
「その……以前、自宅の庭で座り込んでいた私に
生垣の向こうからご近所さんが声をかけて下さって、あの、母の介護に疲れ果てた私を
見るに見かねて介護ロボットを勧めて来たのかと思ったんですけど……。
あ、あの人、私と同じく認知症の母親の介護に苦しんでいたと記憶していて
でも妙だと思ったんですよ。散歩中だと言っていたあの人の隣にいたあの母親
とても穏やかで言う事も素直に聞いていてまるで……。
で、でもあの後、あの人の母親は亡くなって、ちゃんと葬式もしたって
あの散歩もいい思い出になったって……」
――欺瞞
「はい、はい、んー……迷っておられるようですがレンタルにご抵抗がありますか?
家の中とか個人情報が記録されているんじゃないかとか」
「え、はぁ、まあいい気はしないですね」
「ご安心を。この建物、煙突があったでしょう?
取り出したメモリーはお客様の前で焼却処分できるんですよ
綺麗に骨も残さず、まあ温度調整して骨を残してもいいんですけどね」
「はぁ……骨……」
――妙なアクセント
「古いものは下取りしますよ。ええ、すぐに持ち込んでいただいても構いませんよ」
「古いもの? 下取り? 持ち込む……その、何を」
――演技染みた
「はい、何かはおわかりになっているはずです。
それで、写真などは頂いても? すぐに作れるよう、準備しておきますよ」
「……知らなかったんです」
――なんて嘯く
「では確かに……っとそうそう、レンタル最終日にはお葬式サービスも行ってましてね。
お別れ会ですね。
ええ、まるで本当のお葬式のようにガワを棺桶の中に寝かせるんですよ。
子会社に葬式関連の会社がありましてね。手際は良いですよ。
気づかれることなく滞りなく。
その分、口止め料、いやご予算はかかりますがこれがまた人気でええ。
我々共はお客様のニーズに合わせて――」
恵美は帰り道をトボトボと歩いた。
すれ違う老人と中年。親子らしき組み合わせを見かける度に足を止め、目を凝らす。
あれは人間。でも、その向かう先があの建物じゃないのかと勘ぐってしまう。
頭を掠めた『姥捨て山』という言葉。口をキュッと結び、電車に乗る。
帰る先は地獄のようなあの家。
恵美はゆらり揺られながらまだ優しかった頃の母との記憶を探り、涙を一つ流した。
これは演技なのだろうか、と思いながら。




