浮かび上がる古傷
その青年は真夜中、本を読んでいた。
寝付けずに未読の中から適当に手に取ったのだがなかなか面白い。
これでは却って目が冴えてしまうではないか。いやいやあと数ページ。
きりがいいところで……と、読み進めていたが、はたと手を止めた。
飛行機の音だ。
こんな夜中に珍しいな。セスナだろうか。
そう大きくはなさそうだけど……まあ、べつにどうでもいいか。
青年はそう思い、意識をまた本に戻した。
しかし、その数秒後。驚きで体が跳ね上がるほどの轟音。
地の底から巨大な鬼が拳を突き上げ、地上を揺らしたかのような衝撃に
何事かと思った青年は家の外へ飛び出した。
頭によぎるは墜落の二文字。先程の飛行機の音からの連想。
しかし、煙は見えない。夜だから目立たないだけだろうか?
どうやらご近所さんも耳にしたようで窓から顔を出し
キョロキョロと辺りを見回しているが見つけられない様子だ。
煙は? 火は? 一体どこに落ちたのだろう? 犠牲者は?
考えているうちに青年の足は自然と家から離れた。
野次馬と思われるのは良い気がしないが
このままでは気になってしまい本も読めない、寝付けない。青年はそう考えた。
歩き始め少し経つとサイレンの音が聴こえてきた。誰かが通報したのだろう。
近所の家のテレビの音だとか気のせいでも勘違いでもない。
やはりあれは小型飛行機が墜落した音で間違いなさそうだ。
サイレンの音の方へ向かって歩いていると
一軒家の前に止まっている一台のパトカーを見つけた。
パトカーの前に警察官が立っている。
それにそこの住人だろうか、何かをしきりに訴えている。
青年は周りの野次馬と一緒になって聞き耳を立てた。
「確かに落ちたのよ! うちに!」
そう年配の女性は言うが、煙は見えない。警察官もまぁまぁ、と困った様子だ。
しかし、確かに窓ガラスは割れている。
それにあの音を思い返せば、墜落地点はこの辺りのような気がする。
青年はいつもと何ら変わりない夜空を見上げ、また首を傾げた。
『ゴーストシップ。ご存知ですか?』
翌日のテレビ番組。
鼠色のジャケットを着たコメンテーターの男性が得意気に話している。
『幽霊船ですよ。でもね、飛行機にだってある。
レーダーに映った、実際にパイロットがボロボロの戦闘機を見たなんて実例は
これまでいくつも挙がっている! 勿論、信じられないでしょう。ですが!
昨夜、この国で……いいえ今も世界中で起きている見えない飛行機の墜落事故!
この地図につけた印をご覧ください。
これは判っている範囲ですが、かつてこの国で飛行機が墜落した場所。
まだ全て確認はとれていませんが
この場所のいくつかで轟音が起きたという報告が挙がっている!
それも現在から過去に遡るようにね!
これはもう疑いようがないでしょう! そう! 再現されているのです!』
話している内に興奮したようだ。青筋立て、顔を赤く染め、唾を飛ばしている。
それをアナウンサーの女性が引きつった笑みで宥めた。
青年はテレビを消し、ふぅと息を吐いた。
中々面白い説だけど日常を崩すほどの話じゃない。もう大学へ向かう時間だ。
また昨夜のような大きな音がしたら困るが
飛行機事故なんて今までそんなに多く起きたことはないだろう。なんてことはない。
青年はそう考えた。
だが時間が経つにつれ、事態は思わぬ方向へ動いた。
爆撃事件発生……音だけではあるが。
そう、飛行機の墜落だけじゃない。
地上に落とされた爆弾、その音までも再現されたのだ。
これはさすがに大騒ぎになった。何せ音だけとはいえ爆弾。
窓ガラスが破れるどころか振動で家が壊れるほどだ。
鼓膜が破れるなど人体への被害も出ている。
そしてこれはまだ起きていないが、かつて空襲があった地域、それに原子爆弾。
音だけとはいえその被害を想像すると……。
そう考え、人々が怯えたのは当然の事。
被害が予想される地域の住人は一斉に避難を開始した。
各々が歴史を紐解き、過去を遡り対策を講じる。
青年も中学・高校時代の歴史の教科書を引っ張り出しページを捲っていた。
不謹慎かもと思いつつ、どこかワクワクするような楽しさを感じていたその時、青年はふと思った。
自分だけが気づいたとは言わない。誰でも知っていることだ。
飛行機の墜落、爆弾の落下。地表に落ちたものの音が再現されているのなら
……隕石は?
それも恐竜が絶滅したほどの隕石の音は一体どれほどの……。
だが青年も、誰もまだ考え付いていない。
どうしてこのような現象が起きているのか。
腕にとまった蜂が針を突き立てようとしているのを目の当たりにした時
一瞬でも想像しないだろうか? その痛みがどれほどのものかを。
過去の経験、似たような痛みと照らし合わせはしないか?
裁縫針、コンパスの針、薔薇の木の棘。
払いのけたりできない、体が動かない状態で焦らされているのなら猶更だ。
誰も想像が及んでいない。
自分たちが過去を思い返しているように地球そのものも過去を思い返していることに。
遠くから迫りくる巨大な隕石を目にして……。




