表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

472/705

陽炎が舞う

「心を一つにして進む! 我々――」


 駅前広場。そこで行われている選挙演説に足を止めたのは

選挙カーの上で演説しているのがテレビでよく見た顔だからじゃない。

その老齢の議員と向かい合うように踊るダンサーを見たからだ。

 相対する竜と虎……というのは言い過ぎだろう。

 誰もが知るベテラン議員と見知らぬダンサー。

ただ、ダンサーのほうを知らないのは僕の知識不足なだけで

ひょっとしたら有名な人かもしれない。

 だって、彼の踊りはまるで……なんて表現したらいいのだろうか。

 氷塊が崩れる瞬間? 鷹が獲物を捕らえる瞬間? 

目を離せない荒々しい、でも繊細な動き。

一体、なんて演目だろう? 無知な自分が歯痒い、が

そんな自分を惹きつけるのだから彼は本物だ。なんて思うのはおこがましいだろうか。

 だが、彼がすごいのは間違いなさそうだ。

他の人も同様に彼の踊りに目を奪われている。

 あの議員が人集めに彼を呼んだのなら大した審美眼だけど

それなら真向かいに置いておくはずがない。横に置くはずだ。

これでは客を奪われているようなものだ。


 ではなぜここにダンサーが? と別に不思議な話じゃない。

この駅前広場では時折、大道芸やミュージシャンの弾き語りなど

パフォーマンスが行われている。たまたま時間が重なっただけ。

議員には運がなかったというだけの話だ。

 と、言いたいところだけどあの議員もおっと目を惹くような熱量だ。

彼に負けじと声を張り上げ、この国の未来を訴えている。

 紅潮した顔。唾を飛ばし、目を見開いている。でも見苦しくはない。

むしろ活き活きと、そう活気を取り戻した古い銭湯のような。そんな感じだ。

 そう思ったのは僕だけではないようで

議員の話に熱心に耳を傾けている人も結構いるようだ。

 それに彼の踊りを見ている人も時折、議員のほうへ振り返ったりしている。

 その顔に五月蠅いな、といった不快感はない。

気になるテレビ番組が同じ時間帯に重なり、二つのチャンネルを行き来する感じだ。

 それに、相乗効果とでもいうのだろうか、足を止める人

近くによって来る人が増え、二人の熱もどんどん増していくように思える。

 ダンサーの彼は黒のタイツに白いタンクトップ。

細いけど筋肉がある。無駄なく美しい肉体にややパーマがかかった黒髪。

その前髪から鋭い眼光が時折見えて、自然と体が震える。

 彼は真剣だ。命さえかけているように思える。

 体から迸る熱が、彼の周りを歪ませているようだった。


 一方、議員もいつの間にかライトグレーのスーツの上着を脱ぎ

腕まくりまでしている。議員もまた、体に熱き血潮が渦巻いているのだろう。

その奇妙な構図に僕は写真家でもないくせにシャッターを切るなら今だな、と

何度も思った。

後々、誰かが撮った写真がネットに上がることを期待して今は彼らに集中しよう。

 

 彼が地面を蹴り、宙を舞う。何秒? 何十秒? 

そんなはずがないのに彼には翼が生えているのだろうか。

何て軽やか。あの体の中は空洞?

振り上げた足指が太陽の光に透けないか目を凝らしてしまう。


 一方、議員も声に抑揚をつけて……と、二人の熱演は時間が経つごとに増していく。

そして時折、奇妙な感覚を抱いた。そうシンクロしている。

 議員の演説と彼の踊りが時々ほんの数秒。

 荒々しく燃え盛る炎のような二人。

どちらが牽引しているというわけでもなく、お互いが相手を引き上げている。


『このままでいいのか』

『ただ見ているだけなのか』

『変えたくはないか』

『国を、未来を、自分を』


 ここは舞台だ。主演はあの二人。いつまでも続いてほしい。

時間というものが、終わりあるのがただただ悔しい。ずっと見ていたい。

そんな嘆きももうあっという間に置き去り。遠くの彼方だ。美しい。ただただ美しい。



「――未来を我らの手に! ……ご静聴どうもありがとう!」


 

 終わりの時を迎えた二人の共演。

 僕は手の皮が剥けんばかりに拍手を送った。

 そのまま見つめていると目が熱くなってきたので周りを見回すと

どうやら他の人も同じ気持ちのようだ。流す涙を拭うこともせず、賛辞を贈る。

 とんでもない瞬間に出くわしてしまった。

この感動をどうしようか。とても一人では抱えられない。

なんて、こっちまで熱く……ん……?


 僕は、おいおいおいやれやれ勘弁してくれよとコミカルな反応がしたくなった。

そうでもしてバランスを取らなければ人目をはばからず号泣してしまいそうだからだ。

 どうやらまだ終わりじゃないらしい。

議員が選挙カーから降りて、彼に歩み寄るじゃないか。

 群がろうとする議員の支援者たちも周りのSPもどこか遠慮がちな動き。

 議員がどこへ行くのか、何をするのか察し、そして望んでいるからだ。

 その感動の場面を拝みたくて。

 議員は視線の先の彼へ一直線に進む。

 一瞬、揉めるんじゃないかという心配は

邪推、冷やかし、低俗な笑い、蚊帳の外の嫉妬で恥だ。

議員のその顔から「邪魔しやがって!」といった怒りは窺えない。

 

 ダンサーの彼は疲れ、息も絶え絶えだが

議員が向かってくることには気づいているようだった。

 顔を上げ、待っている。

 握手だ。議員が手を伸ばす。

 見逃せない瞬間。最高の一枚だ。

僕は涙を拭い、瞬きをしないようグッと身構えた。


 そして、僕は度肝を抜かれた。多分、議員もだ。


 彼が自分のタイツの中、股間に手を入れたのだ。


 まさか自分のモノに触ってから握手をしようというのか。

 嫌がらせ? それとも彼流の礼儀? お笑い?

そんな台無しな、いや、ただの癖。ポジションが気になっていただけだろう。

 実は僕も気にはなっていた。

尤もそれは踊りが終わり、意識がこの世界に帰還してからの話だが。

確かに彼のモノは少し嫉妬心を抱くほど大きく……。


 ――違う。


 彼がタイツから引き抜いた手には小さな……銃。

 一瞬の出来事だった。でも僕にはよく見えていた。多分、他の人にも。

 青空を刺すような銃声。その銃弾は議員の喉に命中、貫いた。

悲鳴が飛び交い、地面に落ちたお菓子に群がる蟻。

それが踏みつけられたように逃げ惑う人々。

 その中で僕はまだ瞬きもせず、その光景を見続けていた。

 不思議なほど冷静であり、周りの景色が良く見えたのだ。

 議員はその場に倒れ、喉を手で押さえてはいるが

溢れる血は熱弁ふるっていた口からも止めどなく流れ出ていた。

目を見開き、口をパクパク動かす姿はまるで陸に落とされた鯉のようだった。


 追撃はなかった。すぐにSPが取り押さえたからというよりは小さい銃だ。

銃弾は一発だけしかなかったのかもしれない。

踊りが終わってもなお彼の体から迸っていた熱気はそこでようやく冷めたように見えた。

 僕はそれでわかった。

 彼は待っていたのだ。

 あの議員が自分の方へ向かってくるのを。

 彼は舞った。全身全霊、命を懸けて。議員を惹きつけ、そして殺すために。



 僕がより確信を持ったのは後日、ニュース番組を見てからだ。

 彼の動機と共に次々明らかになる議員の素性。

暴対法により今は縮小したがヤクザとの癒着の過去。

カルト紛いの宗教団体と懇意にしている現在。

 そして彼は過去、その両方の団体から被害を受けていた。

 彼の父親はヤクザの利権争いに巻き込まれ、殺され

そして彼の母親は失意の余り、カルト教団にハマった。

 ダンサーとして有望だった彼は産み落とされた二つの悲劇に蝕まれ

羽を失い、体が空っぽになってしまったのだ。

 

 この事件は連日、取り沙汰され大きな議論を呼んでいる。


 間違いとは。

 教団に伏し、凶弾に伏したあの議員が奮った熱弁は

これまでの全ては嘘まみれだったのだろうか。


 正しさとは。

 あれだけ人の心を打つ芸術的踊りでも

人を、世の中を動かすのは暴力なのだろうか。


 結論は出ないだろう。

そのうち芸能人の不倫のニュースにでも染められ、前と変わらない日々が戻る。


『ただ見ているだけか』


 ふと浮かんだ言葉はあの議員と彼、どちらのものだっただろうか。

彼のあの熱気はこの世の中に対する怒りではなかっただろうか。


 彼は牢獄でも舞うのだろうか。

 僕は想像する。

 冷たい床、格子状の窓から差す日差し。逆光で彼の表情は見えない。

 彼が指を、足を広げ、踊ろうとする。

誰のため、何のために。何を表現する? 喜びかそれとも……


 あの日見た彼の周りの陽炎は見る影もなく

想像上の彼の踊りは人形のようにひどく無機質なものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ