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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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鏡の中の俺         :約1500文字

 跳ねた髪を撫でつけ、不満そうな顔。そして、大きなあくびを一つ。間抜け面でぼんやりしたあと、ハッとした顔。

 そうだ、悠長にしている時間はないぞ。会社に遅れる。鏡に背を向け、慌ただしく洗面所を出る。


 ……と、ここまでが俺の役割。今日もいつものように時間に追われて出勤だ。まったく、『俺』ながら学ばない奴だね。

 そう、俺。鏡の中のこの俺は、鏡の外の『俺』とまったく同じ動きをする。それが俺の仕事であり、生きがいなのさ。

 主である鏡の外の俺が鏡に映らなくなれば、あとは待機時間。自由に過ごしてオッケーと言えば聞こえはいいが、実際のところ、退屈なものさ。洗面所を出た先、鏡に映らない空間は灰色で薄暗い世界。コンクリートに囲まれた地下シェルターのような場所だ。壁には赤いランプがついていて、その下にはドアがある。どこの鏡に繋がっているかは、向こうの俺次第ってわけ。

 さて、まずはいつもの持ち物チェック。……お、あったあった。外に出る日はスマホを持っていくから、暇つぶしができる。休日、スウェット姿を一度映しただけの日は、俺も次に映るまで同じ姿のままだから、もう退屈で仕方がない。

 おっと、もう会社に着いたか。いや、駅構内のトイレか。

 赤く光ったランプの下のドアをくぐると、そこは駅構内のトイレだった。

 寝癖が気になったんだな。なーに、色気づいてんだか。ほら、行った行った。でも、ほんの十数秒の仕事でも手を抜かないのが俺さ。


「お疲れ」


「……っす」


 去り際、隣の洗面台にいた男に軽く声をかける。彼は唇を動かさず、返事をした。そういや、前にも会ったことがあるな。そのときもそうだった。向こう側の自分に気づかれないよう、うまく返事する奴だなと思ったんだ。

 他の鏡の中の住人と出会うことは滅多にない。まあ、そうだよな。男だからっていうのもあるが、二人以上で同じ鏡に映る機会なんて、そうそうないからな。

 銭湯やバレエ教室とか、まあ、あるにはあるだろうが、主の俺は無趣味だ。だから、俺も暇でしょうがない。

 主な仕事場である洗面所に何か小物でも置いてくれれば、こっそり遊べるんだがな。

 一度でいいから面と向かうだけじゃなく、じっくり話してみたいもんだ。ただ待つだけってのは楽じゃないんだぜってな。


 鳩時計みたいに、定期的にあくびをしながら出番を待つ。今日は意外と出番が多いが、会社のトイレや飲食店のトイレなど、どれも短い仕事ばかりだ。

 直らない寝癖を気にする一日を送り、帰宅したのは夜。


 いつも死にそうな顔して帰ってくるんだ。俺は本当は仕事ができる喜びでいっぱいだが、あいつの真似をして白目を剥かなきゃならない。……って、なんだ? その顔は。珍しいな。やけにニヤニヤしてる。そういえば、他の鏡にちょっと映ったときも、今日はやけに機嫌が良かった。

 当然、鏡の中の俺も、そのニヤついた顔と動きを真似するが……おいおいおいおい、こいつは驚いた。

 女が鏡に映った。

 付き合ってる女なんていないどころか、こいつは昔から縁がないタイプのはずだが、この女はまさか……。

 二人は仲良さそうに洗面所を出ていく。リビングに向かったのだろう。

 俺は女と二人、洗面所から待機場へと戻る。たぶん、次に彼女が映るのも洗面所の鏡だ。だから、ここにいるのはいいんだけど……。


「……えっとあの、君は?」俺は訊ねた。


「彼の意中の子」


 そう言ったあと、彼女はそっと俺の耳元に囁いた。


「彼女、同棲する気あるみたいよ」


 ……おいおいおい、俺よ。なんだよ、やればできるじゃないか。

 本当によくやったぞ、俺。


 いつか鏡の向こうの俺と一緒に、笑顔でガッツポーズしたいと俺は思った。

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