その結婚ちょっと待った!
「――では健やかなる時も病める時も喜びの時も悲しみの時も
富める時も貧しい時もこれを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓ま――」
「その結婚、ちょっと待ったああぁぁ!」
勢いよく開かれた結婚式場の扉。
その中央からツカツカと花嫁と花婿のもとに近づく一人の男。
通路を挟むように着席している双方の親族、友人
そしてベテランの神父、スタッフ等ブライダル関係者
そして花嫁、その全員が「まさかこれは!」と心の中で思った。
そう、花嫁の連れ去りだ。
ドラマや映画で見たことがある者もいたかもしれないが
現実で遭遇することはなかっただろう。
それゆえに、どうすればいいのか。
全員が身動き取れず、ただ静観するしかできなかった。
そう、この場は乱入してきたあの男に完全に支配されたのだ。
見つめ合う二人。それを見つめる観衆。
その中には花婿に対し「行け! この人は自分の妻だと言え!
何なら男らしく掴みかかり、あの男を追い出してやれ!」
といった感情を抱く者も少なくなかったが
たとえ、それで無理やり追い返したとしても禍根が残る。
花嫁との関係は? 昔の男?
そうであるならば花嫁がこの場でハッキリとNOと突き付けるのが
理想であると各々、理解し始めた。
そしてその花嫁は戸惑いつつも
どこか喜びを感じていることに自分でも気づいていた。
私を愛し、対峙する二人の男。ああ、私ってなんて罪な女なの……。
そんな風にどこかこの状況に酔いしれつつ、乱入した男の次の言葉を待つ。
一方で神父はこの状況を楽しんでいた。
ベテランゆえのマンネリ。退屈していたとまでは言わないが
こんなトラブルは大歓迎。どこか刺激を欲していた。
そう、昔ハマりすぎて自ら禁止した競馬のような熱い刺激を。
そして観衆の注目集まる中、乱入した男はというと、こう思っていた。
俺……何しているんだ?
途端、冷めた熱。そしてそれはまた汗をかく程に急激に上昇する。
それは恥ずかしさであり焦りからであった。
この状況、どうすればいい……。
まさか、連れ出すつもりで来たのに気が変わったなんて言えるはずがない。
そうとも、よく見れば見た目も全然よくないし……。
何でだろう? 結婚式だからってキッチリとキメているせいか?
前髪をピッチリ横に分けてちょっと面白い感じだし。
……いやいや、今はそんなことどうでもいい。
この状況をどう……いや、待て。そうだ。
「へっ、お似合いじゃねえか……幸せになれよ」
これだ。お似合いの二人だ。俺は身を引く。うん、このスタンスで行こう。よし――
男がそう結論を出した時だった。目の前が真っ白になり、思考が一瞬停止した。
花嫁が男の前に躍り出て、その手を握ったのだ。
それは、ここまで来たのにあと一歩勇気を踏み出せない男への救済。
そしてこの場の全員に叩きつけた問い無き答え。
舞い上がった脳細胞が暴走したことによる悪手。
結婚式費用、訴訟、人間関係その全てを置き去りにした崖への飛び降り。
花嫁のその行動に花婿は天を仰いだ。
神父は両手をぐっと握り締め、うおーっと歓声を上げたくなるのを堪える。
昔、競馬で大穴を当てた時以来の気持ちの昂ぶりであった。
一方、乱入した男の脳内では前日の夜の光景がフラッシュバックしていた。
飲み屋で友人と酒を飲んでいた時の事である。
『ホントあいつ何なんだよ!』
『まぁまぁ』
『自分の都合で俺をフッた挙句、結婚式の招待状なんて送ってきやがって!
祝儀目当てか!?』
『落ち着けって悪気はなかったんじゃない?』
『なおさら性質が悪いだろ! ……いや、でもそうかもしれないな。
何とも思っちゃいないんだアイツは……。別れるとき、俺になんて言ったと思う?
楽しかったけど正直、遊び止まりかな。
やっぱり結婚するなら普通にちゃんとした人とがいい……だとよ!
普通って何だよ畜生! 俺はなんなんだよ! スッパリ切り捨ててさ!
ははは! もう俺を覚えちゃいないかもな!
金欲しさに手当たり次第、適当に送って来たんだろ!』
『……それでお前は? お前はどうなんだよ?』
『え?』
『相手がお前の事を何とも思ってないとして、お前自身は相手をどう思っているんだよ。
どうでもいい相手にそこまで怒りが湧いてくるか?』
『いや、それは……』
『まだ愛しているからムカついているんだろ?
……行けよ。明日、思いを伝えに行けよ!』
『い、いや、お前が熱くなるなよ、なぁ落ち着けって……』
『いい、行け! 行けええええ! 飲め! 飲めええ!』
『……おお。おおおおう!』
『おおおお!』
『うおおおお!』
……アイツのせいだ。この異常行動は酒と友人に焚きつけられたからだ。
しかし、どういうつもりだこの女。まさか連れ出してほしいのか? 俺に?
その爛々とした目は何だ……?
そうか、コイツ……この状況に、自分に酔ってやがる!
完全に俺のことを自分を連れ去りに来た騎士とでも思っているんだ!
こっちの酔いは完全に冷めたってのに、なんてかみ合わないんだ!
クソ! いっそ連れ出してやるか?
んで、捨てて知らん顔するんだ。はははっ、それもいい復讐だ。
……なんて、やっぱり無理だ。そんな酷いこと、できるはずがないじゃないか。
愛してたのは事実なんだから。
それに最悪、式を滅茶苦茶にしたと訴えられるかもしれない……って
肝心の花婿さんはどこを見ているんだ?
ん? 天井? 神か? ああ、俺も見つけたいね。そして助言を求めたいよ。
神父さん、アンタはどうだい? 何か聴こえるかいって何だその握った拳は。
いや、行け! 行け! じゃないよ。絶対嫌だぞ俺は!
……そうだ、まだ引き返せる。俺はまだ何をしに来たか言っていない。
実はフラれた事を恨んでいて結婚式をぶち壊しにしてやろうかと思ったけど
お似合いの二人を見てやめた。うん、やっぱりこれで行こう。
この手を振り解いて、いや、まず優しく手を添えて言うんだ。
君たちはお似合いだって……。
と、男はそこまで考えたが、実行に移すことができなかった。
式場内に「オオゥ!」と声が上がった。
花嫁が男に口づけをしたのである。
まさにドラマのワンシーン。クライマックス。名場面。
神父はイヨゥシ! と腕を振り、花婿は溶けたアイスのように顔が弛緩した。
そして男は……。
この……最低女め!
仮に俺がお前を連れ去る気だったとしてもお前からキスしてどうする!
花婿の気持ちはどうなる? こんな大勢に恥をかかせる気か?
ふざけやがって……。
花嫁を睨む男。その時だった。
ついに花婿が動いたのだ。
先程披露した絶望の表情から怒りが覗いていたことに
この式場にいる者は誰一人として気づいていなかった。
熱き血潮が蘇ったその体、その腕で花嫁と男を引き剥がしたのだ。
彼は男を見せた。そう見せた。
式場内で「ホワォ!」と声が上がった。
熱い口づけ。
まさに衝撃的、そして刺激的。言葉はなかった。いらなかったのかもしれない。
花婿と男は熱く、抱き合ったのだ。
熱く燃え上がり愛し合うその二人を見て、花嫁は逆に冷静さを取り戻し
目を丸く見開き、言った。
「いや、そもそもアンタ誰!?」
その後、この場面を目撃したことで、今回の結婚式を担当したブライダル関係者は
同性愛者の結婚式プランを思いつき、斜陽となっている結婚業界で同社は業績を伸ばし
神父は禁じていた競馬をまた始めることになる。
そして二人は花嫁を置いて式場を後にしたのだった。




