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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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鉢合わせ

「ただいまー」


 夜。春香は帰宅した。一人暮らし。ペットもいない生活。

それでも「ただいま」と挨拶するのは彼女の癖。育ちの良さが窺い知れるというもの。


 が、しかし。今この部屋には春香の他にも人間がいる。

 

 ストーカー? 

 空き巣? 

 変態?

 

 答えは全てイエス。

 だが一人がその全ての属性を担っているわけではない。偶然のめぐり合わせ。

しかし、時にそれは必然、引き寄せられるかのように起こるのだ。

 身を沈め息を潜める男たち。

 少々振り返ろう。春香がこの部屋に戻ってくる前の事を。


 正也という男がいた。彼は春香が住むこのアパートの隣人。

顔を合わせればにこやかに挨拶するが、二人の関係性にそれ以上の進展はなかった。

 だが、その正也の内部では着々と春香への思いが構築されていたのだ。

 まさにバベルの塔。天に住まう女神、春香へと到達するために作り上げられた塔は

ついに自制心と言う大気圏を突き抜けた。

 そして、天の采配か正也はこの日、アルバイトを終え

アパートの前へ歩いて帰ってくると春香の部屋の窓が僅かに開いていたのを発見。

 

 動悸とモノの膨張は正也を突き動かすエンジンのようであった。

 夕焼け空の下、ベランダからベランダへ

人目を気にしながら素早く侵入し、辿り着いた楽園。

 目を閉じ、鼻から息を吸い込み、深く、深く呼吸した。

 古びた木造アパート。部屋の間取りは同じだ。

所々剥げたフローリングの床。押し入れ。恐らく元々は畳の和室だったのだろう。

大家が全室、半端なリフォームをしたのだ。

 そこまでは同じ。ただ悲壮感滲み出ている正也の部屋との差は家具。

白いラグマット。白いテーブル。小さなタンスこれも白。白枠の姿見鏡。

所々に造花だろうか可愛らしい小さな花瓶に差してある。

ユニコーンの置物があってもいいくらいの清潔感。


 さあ、物色だ。


 と言っても正也が欲しているのは下着の類ではない。

なぜならいつでも手に入れることが出来る。

現に春香は二階とは言え不用心にも下着を干しているのだ。

 こうして侵入したのは風になびくそれが

闘牛士のように煽り立てたせいと言っても過言ではない。

 だが我慢。外干しの下着が無くなれば、まず疑われるのは隣に住む自分。

少なくとも僅かな猜疑心を植え付けることになる。

 ゆえに正也の狙いは手帳、日記の類。つまりは彼女の情報。

わずかでもいい。紙切れ一枚でも。SNS。アカウント情報。

あわよくばパスワードといった機密情報の奪取。それが彼が自分に課した任務である。

 

 ……が、放棄。ベッドに飛び込み「あぁ……」と歓喜の息を漏らす。

そして蠢く。芋虫のように。己の欲望をただ満たす……その時だった。

 

 ドアが開いた音。


 気のせい。隣の部屋……いいや、違う。

 鍵が閉まった音。

 帰って来た。

 忘れ物。

 頭の中を言葉たちが駆け巡るその中、脳から指令が下る。


 エージェントよ、そこは危険だ! 早く隠れろ!


 正也は流れるようにベッドの下に潜り込んだ。

自身の荒い息がベッド下に溜まった埃を動かす。

手でパッと口を塞ぎ、動悸を抑えることに努めた。


 しかし、帰って来たのは春香ではない。


 空き巣である。

 

 春香の部屋はその空き巣が以前から狙いをつけていた部屋の一つ。

春香の行動パターンを把握しており

この日、春香が出かけたのを見計らいピッキング。容易く部屋に侵入した。

 

 さあ、物色だ。


 とはいえ、期待はしていない。暮らしている場所で聞かずともその経済状況が分かる。

 だが、金持ちの家に侵入することには危険が伴う。

こういった小粒な仕事を積み重ねていく方が結局、安全に稼げる。

 と、鼻歌混じりに仕事をこなしたいところだが隣の部屋の住人は外出していないかも。

油断は禁物。そう考えた空き巣は慎重に、物音を立てないようにと部屋の中を歩く。


 だがその隣人、正也はこの部屋にいる。

 そしてそれが空き巣と知らぬ彼はベッドの下で密かに興奮していた。

 意図せず訪れた彼女と二人きりの時間。それも彼女の部屋で。高鳴る鼓動。

だが、それと同時に不審の芽もすくすくと育っている。

 なぜ、自分の部屋なのにそんなに静かに動いているんだ? と。

 ベッドの下からではその様子を窺い知ることはできない。ただ息を潜めるばかり。

 彼女……だよな? 湧き上がる疑問。

 声だ、声を聴ければ確定する。そう思い耳を澄ます。


 が、音がしたのはベランダの方から。

 ミシッと何か重いものがぶら下がったような音。

 さらに、外に吊るされているハンガーから何かがむしり取られた音。

 そして、窓が開いた。


 空き巣の男はその物音に猫科の獣のように俊敏に動いた。

風呂場。空の湯舟の中に。そしてそっと蓋を閉める。

 窓からダン! と降ろされた足。そのグレーの靴下には毛玉がついている。


 さあ、変態の登場だ。


 他の二人にもそれが春香ではなく侵入者であることは自明の理であった。

 だが、どうする? 出て行って「やめろ! 犯罪だぞ!」とでも叫ぶか?

「馬鹿な。お前が言うな!」と返されるのが関の山。

カンガルーの喧嘩のように一発おっぱじめるのも御免だ。

ただ過ぎ去るのを待つ。それが賢明。

 しかし、この変態。そう変態なのだ。金目の物も個人情報も必要ない。

花の蜜に誘われた蝶のように引き寄せられたその下着こそ

グレーのスウェットのポケットの中にしまえど、目的は春香の悲鳴。

 最近この辺りに出没する変質者である。

部屋に入り込んだ蠅の如く、我が物顔で部屋を歩き、冷蔵庫の中を物色。


 今は夕暮れ時。春香は高校時代の友人と久々に会い、夕食を楽しむ予定だ。

それをこの変態は知らないが、勢いとはいえ上手く上がり込めたのだ。

こうなればいくらでも待つつもりであった。

若い女性に裸を見せつけたい。路上ではなく、その者の部屋で。

 突然の思い付きだったが新たな試みに心躍り

ベッドの上に寝ころび、家主のごとくリラックスする。

その下で正也は心臓を吐き出しそうなほど

激しい動悸に見舞われていたが、知る由もない。

 また、空き巣の方も同様だ。

このまま、こっそり出ていきたいところだが、場所は風呂場。

蓋を動かせば音が響くのは避けられない。

そうなればあの変態が(空き巣はそれと知らぬが)

すぐさま駆け付けるのはわかっている。

 

 鉢合わせ。


 損はすれど得するとは思えない。空き巣は相手が変態であることも

その目的も知らない以上、同業者だと考えた。

 腕っぷしに自信はない。そもそも大きな音を立てるのはマズい。

悔しいがここは譲り、相手が仕事を終え出て行った後、自分も出よう。そう考えた。

 ゆえに三者は動けず、動かず。そのまま日が落ち、終末時計は進んだ。


 そして、ついに春香の帰宅。

 正統なる部屋の主。ただいまの声と共に鍵が閉まる音。それが始まりの鐘。


 暗い部屋。変態がベッドから立ち上がりスウェットをパンツごと足首まで下ろした。

その瞬間ポケットから零れ落ちた聖杯。春香の下着である。

暗闇の中、ぼんやりと白色が浮かぶ。

 それを目にした正也は全てを察した。

ベッドの上に居座り続けた未だ足しか見えぬこの男。その目的。女神の身の危険。

 正也はとっさに腕を伸ばした。

「あっ」と声を漏らしたのは二人。

 春香と変態。

 春香のスマホがピロンと鳴り、春香は素早くスマホをポケットから取り出し画面を見た。


 そして変態の方は視界がぐわんと変動したことに声を漏らした。

 両足を引っ張られ、突然の余り、受け身も取れずそのまま倒れる。

その先にある折り畳みの木製テーブルに顎を打ち、意識が遠のいた。

 そして、そのまま子供が怖がるベッドの下の怪物の如く

正也は男をベッドの下に引きずり込んだ。


 一方、空き巣。

何かあったのだと察し、いったんここから出て混乱に紛れ、逃げようと考えた。

 風呂場の蓋をどけ、棺桶のドラキュラの如く目覚めの時。

 しかし、不覚にも足が痺れていた。

全体重をかけ、顔をタイルの床に打ち付け、意識が朦朧とした。


 ここで春香、さすがに不審に思った。今の音は? 隣……だよね? と。

 まさか侵入者が一人ならともかく三人いるとは思うまい。

隣の部屋の物音と考えるのは楽観的でも何でもない。 

 それでも猜疑心を手放さなかったのは賢明。

 眉をしかめつつ、部屋の中へ一歩足を踏み出したその時であった。

 呼び鈴が鳴った。

 その音一つで疑念はポーンッと弾け飛び、高揚する春香。

 ドアの向こうにいるのは誰か知っている。たった今連絡してきた相手。

最近、近所に変質者が出ると話したら送り役を買って出てくれた優しい人。

 軽く深呼吸し、ドアを開ける。


「やあ」

「う、うん。どうしたの?」


「やっぱり……コーヒーさ。お言葉に甘えようかなって」

「う、うん……。あ! ちょっと待って! 部屋片づけたいから……。

ああ、ほら! こっち見ないで。そのまま外見ててよ」


 春香が男をぐいと外に押し込み、その流れで自分も部屋の外に出てドアを閉める。

男も満更ではない様子。


「玄関も散らかっているから見ないで」

「でもどうせ通るんだから」


「いいからぁ」


 ドアの向こう。聞くに堪えない男女のやり取り。

そう、春香が今日会っていた高校時代の友人とは男。

春香は春香で甘酸っぱいドラマを繰り広げていたのだ。


 その間、空き巣が風呂場からなんとか這い出る。

鼻血を手で押さえ、逃げるために窓の方へ。

 一方、正也もベッドから這い出る。

逃げたい。だが、今にも目を覚まそうとしている変態をこのまま置いて行くのは危険だ。

どうにか窓から出せないか? と、ひとまずベッドの下から引っ張り出す。

彼女が今まさに部屋に男を引き入れようとしていることを知らないゆえの思考。

 

 そして、三人の男はついに出会った。一人は気絶、床でのびているが。


「と、とりあえず隣の俺の部屋に!」


 暗闇の中、正也が空き巣に囁く。一瞬の逡巡ののち、空き巣は変態の両足を持った。

 正也は窓を開け、自室のベランダに向けて足を伸ばす。

ドアの向こうでは二人のイチャつきが終わろうとしている。もう時間がない。

 室外機の上に着地、しなる音にしなる骨。雪崩のように変態をベランダに引き入れる。

 そして、空き巣もそれに続きベランダに着地。

 三人は正也の部屋の中に駆け込んだ。

 荒げた息の中に安堵が混じる。

 顔を見合わせ、笑顔が漏れる。


「もー入ってきちゃダメってばっ」

「いいよ、手伝うよ」


 と、壁の向こうからする仲睦まじい二人の男女の声。

 それを聞いた正也は全てを察し、項垂れた。

 それを見た空き巣もまた察し、正也の肩に手を置いた。

 目覚めた変態は胡坐をかき、そして目を瞬かせ何度か頷くと

あの意識朦朧の中、手放さずにいた春香の下着をそっと正也の手のひらに置いたのだった。

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