ドアの向こう
ベッドの上で目を覚ました男はまず部屋を見渡した。
お馴染みの部屋。と、言っても自分の家ではない。ホテルの一室だ。
昨夜のことを思い出そうと記憶を辿るも、上手く行かない。
起きたばかりのせいだろうか、いまいち頭がはっきりしないのだ。
冷蔵庫には何かあるだろうか。ない。知っている。
格安チェーンのこのビジネスホテルにはよく泊まるからだ。
親の顔より、とまでは言わない。
しかし恋人の顔を見た回数を上回っているかもしれない。
床の色も備え付けのテレビの大きさも銀色のデジタル時計も知っている。
ほぼ全ホテル全部屋統一されたデザインが
いつどの場所のホテルに泊まっても安心感を与えてくれるから気に入っている。
しかし、何かが違う。違和感がある。それが何なのか……。
――コンコン
ノックの音がした。
先ほど時計に目を向けたときに時刻は確認している。
こんな真夜中に誰が?
男はまだ寝ぼけている足でドアに近づきドアスコープを覗いた。
そこには冴えない男がいた。
小柄、痩せている。ベージュのズボンに白いシャツ。
顔に覇気はない。見るからに弱そうだ。
一体なんだ。隣の部屋の客? 苦情か? 何の? 私の鼾か?
まあいい、真夜中だ。寝ていることにして無視しよう。
あんなみじめそうな男、相手にする価値もない。
男がそう考え、ドアに背を向けた瞬間
男はベッドの上で目を開けた。
「……夢か」
違和感の正体が分かった。
しかしまさかこのホテルに泊っていながら夢まで見るとは。それも鮮明に。
どれだけ自分はこのホテルに染まっているのだと男は自嘲気味に笑った。
すると
――コンコン。
ノックの音がした。
まさか、正夢? 珍しさに少々心が浮き立った男は
前と同じようにドアスコープを覗いた。
すると、そこにいたのは良いスーツを着たハンサムな男。
浮かべた笑顔。廊下の明かりでその白い歯がキラリと光る。
誰だ? このホテルの関係者か?
まあ、そうであっても夜中で寝起きなんだ。わざわざ相手にすることもない。
女なら愛想良く出てやってもいいのだが……。
そう思った男はまたドアに背を向けた。
すると
またベッドの上。そこで目を開けた。そして
――コンコン
もはや聞きなれたノックの音。
何か奇妙だ。これも夢か? 次は一体……。
男はそう思いながらドアスコープを覗いた。
そこには女がいた。あの男と同じように笑顔を浮かべている。
まさか、望んだとおりになるのか? で、あるならばもっと美人が……。
それもコートの下にやらしい下着をした女がいい。
ただし、商売女のような見た目は駄目だ。
そうだ、顔はあの女優で体はあのグラビアアイドルついでに声は……。
男はありったけの願望を思い浮かべ、ドアに背を向けた。
すると思った通り、またもベッドの上で目を開けた。
そしてノックの音がするや否や男はドアスコープを覗きこんだ。
いた。男の望み通りの美女が。
その美女は誘うような目つきでコートのボタンを一つずつ外していく。
そして露わになった豊満で妖絶な体。
男は唾を飲み込み、そして平静を保とうとした。
興奮して夢から覚める。そういった経験はこれまでも何度もあった。
だがせめて一揉みくらいは……。
男は何度か深呼吸したのち、ゆっくりとドアを開けた。
すると美女はニッコリと笑い、ブラジャーを外した。
さあ、どうする。部屋に招いてそれから。
いや、どうせ夢なんだ。もうこの場で触ってしまおうか。ああ、我慢できない!
辛抱たまらず男が女に手を伸ばした瞬間。
美女の顔から胸にかけてピシッと縦に線が入った。
そしてメリメリと音を立てて裂けた。
そこから迫り出したのは幾本もの象牙のような歯。
そして複数の細長い舌が地中から無理やり出されたミミズのようにのたうっている。
これも、夢だよな……?
男はそう、願望にも似た感情で自分に問うが
顔にかかる生臭く、生温かな息と絡みつく舌の感触が鮮明すぎた。
いずれにせよ、背を向ける間はなかった。




