迎え
梅雨時の涼しい夜だった。
何かの気配を感じ、私は目を覚ました。
すると、ベッドで寝ている私の顔を覗き込むように
ぼんやりと黒い靄のようなものがあるではないか。
不審者、泥棒、変質者。そう思い、悲鳴を上げようと息を吸い込んだ時
その黒い靄の向こうから声が……いや黒い靄そのものが言った。
「迎えに来た……」
肺に溜め込んだ空気が白い息となって口から出て行った。
凍えるような寒気がした。目の前にいるのは人間ではない。死神だ。
「……こ、今度、子供が結婚するんです。
で、できれば孫の顔も見たい……ど、どうか、あ、後回しに……」
私は頭の中で念仏を唱えながら、また亡き母に祈りながら
震える声でそう言った。懇願するように。
だがきっと願いは叶わない。
必死になればなるほど手から零れ落ちていくものだ。
「そうか……」
黒い靄はそう言うと、集まっていた虫が散るように消えていった。
手足にじんわりと血の気が戻ってきた。
私は天井を見つめたまま、短い呼吸を繰り返した。
これは夢ではない。寝ぼけていたわけでも。
安堵と焦燥が同時にこみ上げてきた。
日々を大事にしなければ。
私はそう決意し、そしてまた、気絶するように眠りについた。
以来、死神は現れない。
私はついに孫にも先立たれ
そして今もまだ、病院のベッドの上で死ねないままだ。




