正義執行
「あ、そうだ、先輩」
「あん? なんだよ」
「割のいいバイト、紹介してくれてあざーすっ」
「いいから早く着替えちまいな」
「うっす。にしても黒タイツって・・・・・・」
「まあ、そう言うなよ。伸縮性もあるし、これ、こう見えてかなり丈夫なんだよ。
ま、事故防止だな」
「へー。よしっと後はこの覆面をかぶって・・・・・・ってなんすかこれ!?
これじゃ悪の組織の下っ端じゃないっすか!」
「お前、途中から気づいてたろ?」
「へへ、まあ、そうっすね。
あ、ちょっと寒いかもなんで上にシャツ羽織ってもいいっすか?」
「好きにしろ、ほら! 行くぞ!」
「はーい」
森田は山神の後に続き、ロッカールームを出た。
山神が壁のスイッチを押すと
壁の一部、隠し扉が開き、地下に続く階段が現れた。
「すっげー!」
「ほら、早く! 遅れると怖いんだ」
長い階段を下り、ドアを開けると廊下に出た。
クリーム色の床に、白い蛍光灯。
悪の秘密組織の基地にしては市役所や図書館のような真面目で堅苦しい雰囲気だ。
いくつも並ぶドアの向こうからは
ハンマーで鉄を叩くような音やチェーンソーといった忙しない音が聞こえる。
「ほら、俺たちはこっちだ。あれだ、あのロッカーだ。それから案内図もよく見ておけよ」
「はい。しかし、掃除係って・・・・・・」
「なんだ? 不満か?」
「いや、高額バイトだったんでてっきりもっと悪い事させられるかと」
「残念か?」
山神がニヤッと笑った。
森田と山神は遊園地の着ぐるみのバイトで出会った。
パイプ椅子に座り、項垂れる森田に山神が声をかけたのだ。
バイトの掛け持ちで疲れていた森田はよく考えもせず山神の話に乗った。
尤も借金を抱えた身だ。冷静であっても結局乗っただろう。
悪の秘密組織の存在はほんのりと世の中で噂され始めていた。
そのきっかけとなった事件。
怪人とでも呼ぶべきだろうか、トカゲ人間が街中に出没し、暴れたのだ。
通行人はスマホを向け、囃し立てた。
何かの撮影かと思ったのだろう。
しかし、それも危害を加えられるまでは、だ。
ただ、その怪我人も後にマスコミのインタビューで
嬉々として怪我の具合を話していたから大した事はなかった。
トカゲ人間は駆けつけた警官にあっけなく射殺され、事件は幕を下ろしたのだ。
大した被害もなく、ニュースも警官の発砲は正しかったのか? などそっちが取り沙汰された。
果たしてあの事件は悪の組織の華々しいデビュー戦のつもりだったのか
それとも氷山の一角、悪事の一部が偶然漏れ出たのか。
そのどちらかは世間一般の人間は知らない。
しかし、この森田もそうだが大したことはないと考えていた。
警察か消防か自衛隊か。いつだって誰かが何とかしてくれる。
それは自然な考えだった。
「うっし、じゃあまずは生体管理部でゴミを回収して焼却炉に――」
――ヴゥー! ヴゥー! ヴゥー! ヴゥー!
「ちょっ、何すか今の揺れに、このサイレンと真っ赤なライト! 火事っすか!」
「違う! これは――」
銃声。
そして森田の横にいた山神が森田の視界から消えた。
「せ、ん、ぱい・・・・・・?」
森田は筆につけた墨汁が足りず掠れたような血の痕を目で辿ると
仰向けに倒れている山神を目にした。
そしてその胸には穴。
掻き混ぜられたように肉がぐちゃぐちゃになっていた。
森田は答えを求め前を向く。
そこにいたのは真っ赤なコスチュームと防弾チョッキを身に纏った
「ヒーロー・・・・・・?」
森田の独り言のような呟きに答えたのは
ガシャッっというショットガンをスライドさせた音。
空の薬莢が廊下に落ちた時、その銃口は森田に向いた。
「そこをどけ新入り!」
森田は後ろから現れた男に突き飛ばされ、壁で背を打った。
「うおおおおおおおおお!」
森田と同じく黒タイツと覆面を着た小太りの男が咆哮と共にマシンガンを放つ。
森田はただ投げつけられたトマトのように壁からずり落ち
頭を抱え、音が止むことを願うことしかできなかった。
「続け!」
「どこだ!」
「こっちだ!」
「やれ!」
遠くからの声。加勢だ。
銃弾がゲリラ豪雨のように激しい音を立て飛び交う。
「おら、立て! 新入り! 逃げんだよ!」
小太りの男に肩を掴まれ、森田は引き起こされた。
「あ、あの」
「あ? いいから早くこのドアへ入れ!」
「な、なんで俺が新入りって、いや、それよりアレは」
「あ!? 見てわかるだろ! ヒーローだよ! 俺らを皆殺しに来たんだよ!」
「ひ、ヒーロー? 皆殺し? 何で? それに俺、ただのバイトなのに」
「自分の格好見てみろよ。俺のようなベテランと新入り、見分けがつくか?
ほら! この棚動かしてドア塞ぐぞ!」
「は、はい! あ・・・・・・でも貴方はどうして俺を新入りって」
「はっ! タイツの上に何か身に着けるのは新人って相場が決まっているんだ。
しかしなんだ? そのウンコみたいな色をしたシワッシワのシャツ」
「いや、これカーキー色で」
「しっ、黙れ! 確か・・・・・・このボタンを」
「すご! ここにも隠し扉が!」
「ああ、結構あるぞ。何せ悪の組織の秘密基地だからな。おら、こい」
「でもヒーローには見つかったんすよね・・・・・・。
いや、てかあれだけ銃弾を浴びせたんだからもう倒したんじゃ?」
「お前なぁ。怪人と戦うようなヒーローが雑魚の銃撃で死ぬか?」
「いや、まぁ。でも現実はやっぱり銃を多く持ったほうが強いんじゃないっすか?」
「馬鹿野郎。それにあの煙の中だ。どれだけ当たったかわかりゃしない」
「それは貴方の銃撃のせいでは・・・・・・」
「うるせぇ、ほらこっちだ。ああ、そっちじゃない」
「どこへ行くんですか?」
「そりゃお前、外だろうがよ。逃げるんだよ! こっちは家族を養っているんだぞ!
殺されてたまるかよ!」
「そ、そうっすか。でも逃げるなら俺が最初に来た道で・・・・・・」
「通常の入り口はもう潰された。揺れがあっただろ? 爆破されたんだよ。
今から向かう出口は多分、無事だ。町外れの岩山に続いているからな」
「はあ。あ、名前は」
「俺は剛川ってんだ。」
「俺、僕は森田っていいま」
「知ってるよ。山神から聞いてた。クソッ殺されちまいやがって・・・・・・さ、こっちだ」
剛川に続き、森田は穴を通り抜けた。
その先にあったのは青い電灯の何とも寒々しい廊下。
先程の廊下と造りは似ているが、森田に夜中の病院のような印象を与えた。
「さあ、こい。あのドアに・・・・・・チッ」
「どうしたんで・・・・・・」
剛川の後ろから顔を覗かせた森田の目に映ったのは先程のヒーロー。
手にはショットガンではなく斧が握られている。
色濃くなったそのヒーローらしいコスチュームのヘルメットから滴り落ちているのが
返り血だということは容易に想像できた。
「・・・・・・奴さん銃弾は使い切ったようだが、それはこっちも同じだ」
剛川はそう言うと肩に吊り下げていたマシンガンを廊下に投げ捨てた。
反響する音。
その音が森田にこの世界にはこの三人しかいないと思わせるような孤独を感じさせた。
「お前さんはあのドアから逃げな。なあに、正面だがまだ距離がある。
それに俺が食い止めてやる」
剛川が指差す先を森田は見ようとはしなかった。
森田は剛川の顔を見つめ、その覆面の下の表情を探ろうとしていた。
それは無駄だった。剛川の体の震えがその心情を如実に物語っていた。
「お、お子さんがいるんでしょう?」
「だからこそ、新入りを見捨てて逃げたら娘に顔向けできないってことだよ。
大丈夫だ。腕力には自信があるんだ」
その自信がクソの役にも立たないことを森田は気づいていた。
恐らく何人もの戦闘員が奴に立ち向かったのだろう。
しかし、ショットガンこそ失えど、ゆっくりこちらに向かってくるその足取りからは
奴がダメージを負っているとは思えなかった。
これは戦いではない。一方的な殺戮だ。
警官にやられるような怪人を外に送り出し、バイトを募集しているような
この悪の組織とヒーローのパワーバランスは釣り合いが取れていない。
森田たちに向かって歩くヒーローが斧を一振りした。
青の電灯の下。飛び散ったのが墨汁のように見えたがそれも血だろう。
その仕草から森田はヒーローの感情を感じ取った。
楽しんでいる。
出口を塞ぎ、そして奴は狩りを楽しんでいるんだ。
きっとあのヘルメットの下では笑っているに違いない。
そう思った森田の脳裏に山神の死に様が蘇り
そして
頭の中で何かが切れる音がした。
「ん、おい! そっちは逆だ!チッ!」
森田は剛川の指し示した方角とは逆方向に、つまり後ろに向かって走り出した。
剛川も後ずさりしながら続く。
森田の頭の中に蘇ったのは山神の死に様だけではない。
山神が案内図の一箇所を指さし
『ここは一見の価値あるぞ』と言っていたその場所を思い出したのだ。
荒い息遣いと足音が響く。
森田は目的の扉に手をかけ、開けた。
「こ、これは」
階段の上からその全貌が見下ろせた。
いくつもの並ぶ水槽の中に入っているのは異形の怪物たち。
生体管理部。
後でこっそり中に入れてやると言っていた山神の得意顔を思い出し
森田は胸が締め付けられるような感覚がした。
完成品かどうかはわからない。だが迷っている時間はなかった。
部屋の奥にある大きな赤いレバー。
それを引けばどうなるか直感的にわかった。
階段を駆け下りながら
悪の組織と言うのはまったく単純だ、と森田は笑った。
「ぐぼ!」
レバーに手をかけた時、階段から剛川が転がり落ちてきた。
そしてヒーローがゆっくりと階段を下りる。
「足止めは十分でしたよ !剛川さん!」
剛川に向けて言ったわけではない。
狙い通りヒーローの注意が自分に向いたことが森田はわかった。
森田に向かってヒーローが走り出す。
そしてヒーローが部屋の中央に来たとき、森田はレバーを引いた。
割れる水槽。
一瞬、まさか破棄するための? 自爆スイッチ?
と森田は思ったが
「ガアアアア!」
「ギ・・・・・・ギギ」
「グルルルルルルル」
「ブアンバアアアン」
水槽から出た十二体の怪人が寝起きのせいか
不機嫌そうに(これは森田の主観だが)起き上がった。
下っ端の出番は終わりだ。
森田はその場で硬直し、自分の存在感を消すことに努めた。
まず動いたのがヒーローだったのが森田にとっての幸運だった。
ヒーローは手にしていた斧の峰で近くにいた魚怪人の頭をスイカのように割った。
もし、それがなければ森田と倒れている剛川が怪人たちの標的になっていたかもしれない。
倒れる魚怪人。
それを合図に怪人たちが一斉にヒーローに飛び掛った。
そして森田もまた動き出す。
走り、向かう先は床に伏している剛川だ。
「さあ、行きますよ! 剛川さん!」
呻き声で返事をする剛川。もしかしたら意識がないのかもしれない。
森田は剛川の腕を自分の肩に回し、階段を上り始める。
チラリと後ろを振り返るとヒーローが素手で鳥怪人の首を引き千切るのが見えた。
やはりヒーローは特別に強いのか?
どうか、あの鳥型だけが弱すぎただけのことでありますように。
森田は誰にでもなくそう祈った。
階段を上がりきり、廊下に出ると剛川が意識を取り戻した。
「だい、大丈夫だ・・・・・・お前は先に行け」
「でも!」
体を密着させたから森田にはわかっていた。
剛川のその黒タイツを濡らしているのが汗でないことが。
「後から行くさ」
覆面をとった剛川がニッと笑った。
青い電灯の下でなくとも青白い顔だろうと森田は思った。
そしてその言葉が嘘であるとも。
「そんな顔すんな。ここで死んだフリしとけば奴さん、お前を追うだろう?
囮だよお前さんはな」
「そんな顔って・・・・・・俺、覆面つけているからわからないじゃないですか」
「馬鹿野郎。新人なんてお見通しだよ」
剛川はクックックと笑い、それきり黙った。
森田は鼻をすすると覆面を脱ぎ、その場に放り捨てた。
生体管理室は死屍累々だった。
「グルルラアアアア!」
今、怪人最後の生き残りである鰐怪人がヒーローの右腕に噛み付いた。
これがこの日、ヒーローに与えた最もダメージらしいものだった。
だがヒーローは噛まれた腕をそのままに、床に鰐怪人の頭を叩きつけ
更に左手の指をその目の奥まで滑り込ませた。
「おい」
ヒーローが声の方を向く。
そこにいたのは森田だ。
その手にはヒーローが怪人たちとの戦いの最中に落とした斧が握られている。
森田は雄叫びを上げた。
屈んだ状態のヒーローが体勢を整え
叫びながら斧を振り上げ向かってくる森田を迎え撃とうとしたときだった。
右腕に鰐怪人の歯が減り込んだ。
まだ生きていたのだ。
そしてモデルである鰐のそれらしく回転を加え、肉を僅かに裂いた。
腕が引きちぎれるほどの威力はなかった。
だが、グンと引き込むだけの力はあった。
体勢を崩したヒーロー。鰐怪人を引き剥がさんと踏ん張り、ぐっと振り上げた頭。
その首、ヘルメットの隙間に斧の刃が滑り込んだ。
瞬間、森田が感じたのは冷凍生肉だった。
硬すぎる。喉だぞ?
ヒーローとはやはり特別な、そう、強化人間だとでもいうのか?
不思議ではない。何せ怪人を相手にするんだ。
正義の組織で改造手術でも施されていてもおかしくはない。
そして違和感と言えばもう一つ。
そうだ、こいつを見たときから俺は何かを・・・・・・。
森田の思考に割り込んだのは剛川の顔、あの消え入りそうな笑顔だった。
「う、うおおおおお!」
森田は咆哮した。今考えることはただ一つだけだ。
足に力を、そして腕、その手に全てを込めた。
そして斧が肉に沈んだ。ズプリズプリと奥へ。
ヒーローが痙攣する左手を斧に伸ばす。
森田はそれが触れる瞬間、斧を一気に引いた。
零れだす血は薄暗い室内のためか、どす黒く、森田に下水を思わせた。
ヒーローが森田に向かって歩を進めようとするが
鰐怪人を僅かに引きずっただけでその伸ばした指が届くことはない。
その様は鎖に繋がれた犬のようであった。
そして森田は再び斧を振り下ろした。
何度も何度も。その僅かな動きが斧を振り下ろしたことによる振動であると
気づくまで、そう何度も・・・・・・。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
もう僅かにも動かなくなったヒーローを見つめ
森田の胸中に渦巻いていた感情は当人にも理解しがたいものだった。
幼い頃の憧れ。その死。
それを導いたのは己。勝利の高揚。
森田は背を向け、階段を上り始めた。
この感情に名前をつけるには森田はまだ若すぎた。
「剛川さん! 外ですよ!」
夕暮れに差し掛かった太陽の光は包むような温かさとは違い
どこか淋しく、すこし攻撃的でもあった。
夕日の眩しさに目を細め、次に顔を逸らし森田は剛川を見つめる。
剛川は森田の肩に腕を回し項垂れたまま、返事はなかった。
「大丈夫、まず人を見つけて救急車を、ああ、この格好じゃまずいかな?
いや、どうせ世間には悪の組織は知られてな・・・・・・」
いくつもの影が森田に向かって伸びた。
そしてその先にいるのは森田が抱いた違和感の正体。
「ブルー、ピンク、イエロー、グリーン・・・・・・ホワイト、パープル、オレンジああ・・・・・・」
まだまだいた。しかし森田はその先を口にすることができなかった。
絶望の中、頭に浮かんでいたのは幼き頃のテレビの映像。
戦隊モノのヒーロー。
森田は剛川をゆっくりと下ろし、そして吼えた。
夕日を浴び、戦友のためにヒーローたちに一人、向かって行くその姿を
人は何と呼ぶのだろうか。




