山の怪物
むかしむかし、その山にはたくさんの熊が棲んでいた。熊たちは木の実を食べ、川で魚を捕り、歌うたい、豊かに暮らしていた。
……だが、その山には見る者が震え上がるような、恐ろしい怪物もいるという噂もあった。
実りの多い山には、当然熊も多い。となれば、熊を狩ることで生計を立てる者もいる。
猟師の大五郎がその一人だった。大五郎は山の近くにある小さな小屋で一人暮らしをしていた。猟銃を手に山へ入り、熊を仕留めると、その皮を剥ぎ、胆を取り出して木箱にしまう。それを背負って山を降り、二束三文で売り、生活していた。彼には家族がおらず、他にできる仕事もなかった。不器用で孤独な男だった。
ある日、いつものように山の中を歩いていた大五郎は、思わず息を呑んだ。
「怪物……」
その言葉が自然と口をついたのも無理はない。巨大な熊と大五郎はばったり会ってしまったのだ。
肝が冷えるとはまさにこのこと。身を隠すことも逃げることもできない至近距離だった。
大五郎は冷静に、ゆっくりと猟銃を構えようとした。すると、熊が震えた声で言った。
「俺はもう歳だ。もうすぐ死ぬ。だから、ここであんたに撃たれても構わないが、できるなら家族に別れを告げたい。二日だけ待ってくれ。そうすれば、あんたの小屋の前で死に、俺のすべてをくれてやるさ」
正直なところ、この距離まで気づかないとは油断していた。普段なら、奴らの声を聞きもらさないのに。銃があっても、真正面から戦えば勝てるかどうかはわからない……。そう考えた大五郎は黙って頷くと、熊はゆっくりと背を向け、重々しい足取りで去っていった。
二日後の朝、大五郎は小屋の前で死んでいる熊を見つけた。約束を守るかどうか疑わしかったが、熊は誓いどおり命を差し出したのだ。
大五郎は熊の皮を剥ぎ、胆を取り出した。そして肉を手に取ると、にやりと笑った。
普段は山から肉を運ぶのが手間で、熊の肉を食べることはほとんどなかったが、今回は違う。大五郎は喜んでその肉を鍋にし、たらふく食べた。
翌日、大五郎は死んだ。熊は毒草を腹いっぱい食べ、その肉に毒を染み込ませていたのだ。
しばらくして、大五郎が姿を見せないことを気にした村の知り合いが小屋を訪れ、彼の死体を見つけて引き取った。
村人たちは大五郎の死に驚かなかった。彼は無口で陰気な男だったが、たまに口を開くと『おれは熊の言葉がわかるんだ。だから奴らのねぐらも、どこで遊んでいるかも全部わかるんだ。やつら、歌なんか歌ってやがるときもあるんだよ』と自慢げに語っていた。当然、妄想だ。だから、ついに正気を失い、毒草を自ら食べて命を落としたのだと村人たちは考えたのだ。
こうして恐ろしい怪物は死に、熊たちはずっと平和に暮らしましたとさ。




