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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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ボッ・ボッ・ボッ(没集)

 ……目を開けると、窓の外には田園風景が広がっていた。どのくらいの間眠って、どこまで来たのだろうか、などと気にしなくていいのが電車での気ままな長距離旅のいいところだ。

 両腕を伸ばし、大きなあくびを一つ……しようとしたのだが、目の前に人がいては躊躇する。と、言っても相手は子供だが。

 私を見てニヤニヤしている。典型的な悪ガキの顔だ。もしかして、眠っている間に何か悪戯されたのではないだろうか。そう思った私は口の中に異常がないか舌でよく確かめた。

 どうやら虫を放り込まれたといったことはなさそうだ。さて、それで、この子はどこの子だ?

 私は四人掛けのボックス席から身を乗り出し、辺りを見渡した。しかし、車内はガラガラ。この少年の親らしき人物どころか他に誰もいなかった。

 では、他の車両から来たのだろうか。母親と一緒に田舎の祖父母の家に向かっていたが、代わり映えのしない景色に飽きて、探検していたのだろう。

 ……しかし、まさかこの後、祖父母の家で奇妙な体験をするとはこの時、この少年は夢にも思っていなかった。その奇妙な体験とは――


「ねえ、お話を聞かせてあげようか?」


「……あー、話?」


「うん、退屈でしょう?」


「退屈しているのは君だろう。ははっ、私が話を聞かせると言うならわかるが。実は私はね――」


「ううん、僕が聞かせたいんだ。その代わり……」


 少年は手でお金のサインをした。小遣い稼ぎがしたいということだろう。厚かましいが、それは子供の良いところだと思おう。

 小銭はポケットの中にある。突っぱねて、しつこくされるのも面倒だ。それに、作家の私にとって、子供も立派な顧客だ。

 それに、もしかしたら使える話もあるかもしれない。なんてな。相手は子供だ。どうせ大した話じゃない。それは何となく保証できる気がする。

 私は了承し、少年はニカッと笑うと、それらしく咳払いをした。





「うお!」


 慌てて飛び退いたため、足を挫きそうになった。驚いた。道路に人の顔があったのだ。

 埋まっているのか? しかし、どうも変な感じが……なんだ、ただの絵じゃないか。あまりにリアルだったため、本物と錯覚してしまった。まあ、考えてみればこんなところに人が埋まっているはずがないか。

 いや、それにしても本当にリアルだ。おそらく美大生が面白半分で描いたのだろう。その男の顔は、スプレーか何かは知らないが目立たない色でグレーのアスファルトに描かれていた。

 驚かしてくれた礼に踏んでやろうか。……いや、やめておくか。子供じゃないんだ。しょうもない。


「チッ」


 顔を避け、数歩進んだ時、確かに後ろから舌打ちが聞こえた。

 私の後方には女性の姿があった。しかし、距離的に彼女の舌打ちがここまで届くはずはない。では今のは空耳だろうか?


「きゃあああああ!」


 前を向いて歩き出した後、背後から悲鳴がした。

 素早く振り返ると女性が地面にへたり込んでいた。

 サンダルを履いた足から夥しい量の血が流れていた。

 男の顔の絵は、ご馳走を頬張ったように頬を膨らませ、満足げな笑みを浮かべていた。





「って感じ。どう? どう? ねえ、どうだった?」


「……え、まあまあだな」


「どうしたの、しかめっ面でさ。あ! 怖すぎた? あはは!」


「そんな訳ないだろう。ちゃちな出来だ。ほら、お金だ。これでもう――」


「むー、じゃあ、もう一つ聞いてよ」


「おいおい……」





 ――目に悪いな。


 夜道を歩いていた男は、立ち止まって点滅する街路灯を見上げ、そう思った。だが、気にするほどでもない。足早に通過するだけだ。

 男が視線を下ろす。すると彼は妙なことに気づいた。自分の影の首が異様に曲がっているのだ。


 ――これは、どういうことだ?

 

 男は疑問に思い、首を左右に曲げてみた。しかし、影に変化はない。これは光の角度のせいだろうか? と、男は影を見つめ、考えた。しかし、わからない。彼は気にしても仕方ないと思い、歩き出そうとした。

 その時だった。男の影の隣に、うっすらと別の人影が現れ始めた。

 それは、街路灯が点滅するたびに徐々に浮かび上がるように濃くなっていき、そしてその手は男の影の首にかかっていて……。





「どう? どう?」


「……ひどい出来だ」


「またダメー?」


「金はやる。ほら、もう行きなさい」


「もう一個聞いて!」





「ああ! 部屋の傷なら消しちゃうんで!」


 内見に訪れたアパートの部屋で、壁の傷を眺めていた私に大家さんがそう言った。


「いえ、別に気にしては……」


 私はそう言ったけれども、呟く程度の大きさだったから大家さんの耳には入らなかったようだ。大家さんは慌しく部屋の中を歩き回っている。

 私は壁の傷にそっと指を這わせた。……懐かしい。兄と私も家の柱に背の高さの線を引いたことがある。まあ、あれはマジックペンだったから、傷はつけなかったけど。


 壁をポンと叩き、部屋の奥に進む。

 窓は開けられていた。暖かな日差しと風が体を通り抜ける。

 いい出迎えだ。よし、この部屋にしよう……ん?


「ああ、消しちゃうんで! へへ、大丈夫、大丈夫」


 大家さんが何か言っているけど、私の耳には入らなかった。

 フローリングにつけられた傷。それはまるで逃げる相手を空振りしながらも、包丁で執拗に切りつけたような……。





「どう? 今度は人間が怖い系だよ」


「……どういうつもりだ?」


「不満だった? まー、今の話は主人公が不幸な目に逢わないもんね。あとはねー、女の子に取り憑いた悪霊を霊能者の祖母が引き受けるんだけど、死ぬ間際に祖母の気が変わって返されちゃうお話とかねー。深夜、横断歩道に猫がうずくまってるかと思って近づいたら、それは黒い布で、触ったらトラバサミが腕をガブリなんてのも、あとあと、赤ちゃんポストからミキサー音! それからね、マッチングアプリのメッセージのやり取り中、やたらと自撮り写真が送られてくるんだけど、それがパラパラ漫画みたいに徐々に顔色が悪くなっていってね! 最後に送られてきた写真は目を見開いた死に顔で、メッセージにこの子と死後婚をし――」


「やめろ!」


「どうしたの?」


「それは私が考えた、それも没にした話だ。これまでお前が話したやつ全てな」


「えー、じゃあ何? 僕があなたの頭の中を読んだとでも?」


「それか、全て夢だな」


「えー! あ、でも、このお金は返さないよ!」


 少年はそう言うと前の車両に走って行った。そう、夢だ。考えても見れば、これは外国の列車じゃないんだ。この国で見ず知らずの相手に子供がちょっとしたサービスで金をねだろうとするはずがないじゃないか。

 ……まあ、それなりに楽しめたがな。夢の中の出来事を創作に用いることはよくあることだ。これも何かに使えるかもしれない。目覚めたらメモをとらないとな。


 ぐぐぐっと体を伸ばし、先ほどし損ねた大きな欠伸をした。その瞬間、窓の外の田園風景が素早く黒に塗り潰された。轟音。トンネルに入ったのだ。

 それにしてもまだ目覚めないな。この夢にまだこれ以上の展開はあるのか?

 あの少年はまだ存在しているのだろうか。

 そう思った私は席から身を乗り出し、前の車両を見た。

 少年の姿はない。目を凝らし、さらに奥の車両を見つめた時、それは起きた。


 白い車内灯、それが奥から順に消えていく。


 これから何が起きるのか。そしてこれは本当にただの夢なのか? 電車に乗り、創作のネタ集めのために心霊地に向かっていたように、奇妙な現象を求めるあまり、それが呼び水となり、私は奇怪な空間へと足を踏み入れてしまったのでは?

 そして、闇が私の目前に迫った時、電車がトンネルを抜けた。

 太陽の光が暗い車内に差し込む。

 しかし、弱い。

 曇りだろうか。いや……これはまさか……。


 電車が駅のホームに停車した。

 ドアが開くと同時に私は逃げるように外へ飛び出した。そして真紫色の空を見上げ、私は叫んだ。


「電車から降りたら異界か! 何番煎じだ! くだらない! 没だ没! 没! 没! 没! 消えろ! 消え失せろ!」


 私は錯乱したかのように天に向かって叫び散らしたが、脳は意外にも冷静だった。恐怖で冷え切っていたのだ。ここは夢ではない。では、次に何が起きるのか。自然と話の展開の予測を立ててしまう。

 ……嗚呼、三流とはいえホラー作家の性か。登場人物の非業の死を望んでしまう。たとえ、それが自分自身であっても。


 そして、天が私の叫びに応えたのか空が揺れた。いや、それだけじゃない。地面も揺れ、二つは引き寄せあうように急激に接近し始め――


 ――パタン


 絵本を閉じたような音を最後に、何も見えず、聞こえなくなった。

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