黒色の髪の乙女の葛藤
いつもどおりの喧騒が広がる朝の教室。私は我関せずと涼しい顔でノートにペンを走らせて、始業の時を待っている……違う、いつもどおりじゃない。
「おい、どしたん? 何盛り上がってるの?」
「おお、お前昨日、ライン見なかったろ?」
「こいつがすげー美人の写真撮ったんだってよ」
「へー、盗撮じゃん」
「いいんだよそれは! いいから見ろよ!」
「お、おおお! ホントだ! 場所は……外廊下か?」
「そう! 教室から偶然見かけて、ズームして撮ったんだよ」
「確かに美人っぽいなぁ。夕日が差しているのがまたいい」
「で、この子が誰かわかるか、ラインで聞いてたってわけ。お前、心当たりない?」
「うーん……」
私だ。私なのだ。この教室で一人、物静かに席に座る私こそが、その謎の美少女なのだ。
でも、みんなは気づいていない。なぜなら私はいわゆる地味子だからだ。化粧っ気のない顔、見た目ではなく機能性重視で結んだ髪、可愛げのないメガネ。しかし、その髪を解き放ち、メガネを外し、化粧をすればその正体は……
化粧をした地味子だ。
そう、私は決して漫画に出てくるような『実は美少女でした』なんてタイプの女子ではない。ただの地味な女子中学生なのだ。もちろん、化粧をすれば少しはマシになるけど、それだけだ。決して、今のように男子たちに持ち上げられるような美少女ではない。
では、なぜこんな話になったのか。それは偶然が重なったからだ。
まずこの件が私の勘違い、自惚れということはない。あの時、窓から身を乗り出し、落ちそうになった男子が「うおっ!」と声を上げたのを確と耳にしていた。
恐らく、その彼が目一杯腕を伸ばし、写真を撮ったのだろう。そして昨日の夕暮れ時、あの外の渡り廊下にいたのは私一人だけ。
その時、私はメガネをはずし、髪を解いていた。なぜか? 髪はゴムが切れたから。メガネは汚れを拭くために外した。そして吹いた風、アングル、ズームによる画質の若干の荒れ、夕暮れ時の光加減。様々な事象が重なり、不運なことに奇跡の一枚が完成したというわけだ。
むろん、あの男子が教室で見せびらかしているあの画像だけでは、美少女確定というわけではない。でも、撮影者が『美少女を見た』と証言しているから、そのバイアスがかかり、地味な女子を写した画像が美少女の画像に祭り上げられたのだ。
これが、ただ『美少女を見た』と言うだけなら、そこまでの信憑性もなかっただろう。しかし、なまじ証拠写真があるからこうも盛り上がっているのだ。
この状況で、もしその正体が私だとバレたら……落胆、憤り、嘲笑、晒し上げ、そしてイジメへと発展。
これは飛躍でも被害妄想でもない。中学生というのは、そういうものだ。みんな、暇していて楽しい、珍しいものに飢えている。その証拠にもう熱が教室内に伝播している。女子もそんなに美少女と言うなら拝んで見たいものだという態度だ。
カメラ、ライト、ボイスレコーダー、電話、さらには虫眼鏡まで。恐らく、現代ではスマートフォン一つ探偵に必要な道具はすべて揃う。つまり、誰でも探偵になれるということ。
『あの美少女は誰だ』
急遽発足された少年探偵団による意図しない犯人探しが始まったのだ。
クラスの秀才くんが、憎たらしくもその聡明な頭脳を駆使し、美少女と共に写った手すりから、そのシンデレラの身長を計算する。さらに、髪の長さと色から容疑者をどんどん絞り込んでいく。
……が、さすがにこの私に辿り着くことはないだろう。容疑者はこの学校の全女子。校則で禁じられているわけではないけど基本、みんな黒髪だ。髪の長さはそこそこのロングだけど、これも数多くいるだろう。そのうち飽きて有耶無耶になる。先生が来て、朝のホームルームが始まれば、それでゲーム終了。お疲れ様と言ったところだろう。
「……謎の美少女は、このクラスにいるのかもしれない」
なぬ。
秀才くんの発言に、教室がざわついた。
「い、一体どういうことだよそれは!」
「そうよ! 何でそんなことがわかるの!」
「そうだそうだ!」
このクラス、ノリがいいな……。でも、所詮はでまかせだ。証拠を出せ、証拠を!
「この画像、髪を押さえている美少女の手首をよーく見てくれ」
「ん? あ!」
「そうだ。これは体育祭でクラス一致団結しようと作ったリストバンドだ」
あっ、しまった!
「しかもこのリストバンド。みんな、もう外している」
え? そうなの?
「つまり、相当仲間思いで、優しい心の持ち主というわけだ!」
「う、うおおおお!」
「いいねぇ……」
「オレ、コノミ」
違う、違う、違う。外すタイミングがわからなかっただけ。遅れているの。だーれもそういうの教えてくれないもん。クラス替えするまでは着けておくと思うじゃん?
「このクラスで該当する女子は……まだ登校していないようだが」
「え、誰のことだ?」
「西園さんだろ。髪の長さ、美人、性格良し」
「ま、おれは初めからそうじゃないかと思ってたよ」
「彼女なら確かに」
「おはよー!」
「お、ちょうど来た、う! 西園さん、その髪!」
「あ、嬉しい、いきなり気づいてくれた。って当たり前か。そうバッサリ切ったの」
「まさか、容疑者から外れるために……」
「容疑者?」
いや、いつの間にか本当に犯人探しになってない……?
「待って! 彼女にはアリバイがあるわ!」
このクラス、本当にノリがいい。彼女の友達が堂々と説明し始めたよ……。
「……なるほど。犯行時刻より前に一緒に下校したとなると確かに無理か。いや、帰ったと見せかけてまた戻れば……」
犯行って何? 何をしでかした事になっているの私?
「ふーん、なるほどね。じゃあ私は美容院のレシートを提出するわ!」
「おおー!」「おおー!」「おおー!」「おおー!」
「やるな。これは撮影時刻、美容院にいたという証明になる。……無罪だ」
「と、なると私に濡れ衣を着せた真犯人は誰かっていうわけね……」
とうとう犯人って言い出した! どうしよう? 自首する……?
『実はその美少女は、私です……!』
『うるせー引っ込んでろブスがよぉ! 空気読めやカスゥ!』
……こうなることは目に見えている。でも、結局このまま真実を暴かれたら……。
『おめーかよ! とっとと名乗り出ろや! ボケェ!』
頭を上履きでスパコーン! って、詰んでいる……。どちらにせよ、私の学校生活は終わりだ。このまま見つからないことに望みをかけて……あっ! 危ない危ない。リストバンドを外しておかなきゃ。クラスのこの空気、ボディチェックするなんて言い出しかねない。
……よし、あとできることは……こっそり髪を切っちゃう? まだ、注目を浴びていない今なら……。
「このクラスでこの髪の長さは……この体育祭の集合写真から見て、あと四人か」
遅かった! 数に入れられちゃった! でも大丈夫、私は地味でブス……あれっ、涙が。ええい、挫けるな。自分に誇りを持て!
「んー、あと三人じゃない?」
「あ、そうか……」
お、ブス過ぎて省かれたの? 今度こそ涙が……まあ出ないけど。
「君かい? 白橋さん」
「え、私?」
白橋さん満更でもない顔をした。まあ確かに、残る三人の容疑者の中では一番美少女だ。
「で、でもほら、私、リストバンドをつけてないよ?」
「慌てて外したのだろう。思ったより事が大きくなり、名乗り出るのが恥ずかしくなったと考えれば不自然ではない」
「おめーだろぉぉぉ! 美少女はよぉ!」
「落ち着け! 俺が聞くから!」
「すみません、ダケさん……」
おいおい、今度は勢いのある若手刑事と落ち着いた先輩刑事か? このクラス、どうなっているの……いや、本当に。何か、何か変だ……。
「で、アンタなんだろう? 外廊下の美少女は」
「違う、違います! 私じゃない! みんな、信じて!」
「アリバイ、証明できるのかぃ?」
「そ、それは……できない……けど……」
「決まりのようだね。犯人は君だ」
「違う! 違うわ!」
「往生際が悪いわ!」
「そうよそうよ!」
「認めちまえよー」
「言えよ! 自分は美少女ですってよおおお!」
「でも、ちがうのに……」
みんな妙な熱に浮かされてさ、どうかしてるよホント……でも、それは私も同じか。……まったく、仕方ないな。
「やめて! 美少女は私なの!」
私はメガネを投げ捨て、髪を解いて椅子の上に立った。
静まり返る教室。みんなが私を見ている。終わりだ。でもいいんだ。自分の罪を他人に擦り付けるわけにはいかないもの。……いや、罪ってなんだ?
「お、おい、マジかよ」
「嘘でしょ」
「え? え?」
「そんなことあるの?」
え、何この反応……。実は私、自分が気づいてないだけで本当は美少女だったとか?
「い、イヤアアアアアア!」
え? え? 本当になんなのこの反応!?
「え、今……」
「ああ、椅子が勝手に動いた……」
「ね、ねえあの席って……」
「みと、認めない……秀才である僕は幽霊なんて非科学的なものはあばばばばば」
え、幽霊? 幽霊って、あ。私ってそっか、もう死んで……。
「……ない、え、あれ?」
あれ? ここ、部屋? あ……夢か。そうだ……私、今度のクラスの演劇の脚本を頼まれていたんだった。どうりで途中から夢特有の変なノリに……はぁ……。
……あー、でも使えたり?
タイトルは……【黒色の髪の乙女の葛藤】で決まり!




