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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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333/705

死を呼ぶ画家

 ある夜。青年は天を仰ぎ、大きく息を吐いた。興奮で震える足と手。その指先は赤く染まっている。目を閉じ、頭の中に響く悲鳴に意識を集中させ、笑みを浮かべる。

 そして、目を開けるとまた視線を正面に向けた。


 ――うん、完成。いい出来だ。


 顔をズタズタに切り裂かれ、路地裏で息絶えた哀れな女……の絵。モデルは青年の元カノ。フラれた腹いせに描いたものだ。なんとも陰湿だが、分かった上でやっていること。こうでもしないと腹の虫が治まらない。つい数時間前、電話で一方的に別れを告げられた上に着信拒否までされたのだ。

 モテないわけじゃない。いずれまたすぐに誰かと交際を始めるだろうが、こうもぞんざいに扱われるのは初めてのことだった。

 しかし、描き終わってみればこれが中々。芸術に昇華されたじゃないかと満足感に浸る。幾分か心がスッキリし、その反動で陰湿な自分を少し恥じたがしかし、相手に実害がないのだから別に構いはしないだろう。何がどうなるわけでもあるまい。


 ――嘘だろ。


 と、彼は思っていたのだが元カノが死んだ。それも目にしたテレビのニュースによると、あの絵どおりに路地裏で顔をズタズタに切り裂かれ、殺されたというのだ。


「ふーん、なるほどねぇ。その時間帯は友人といた、と……」


 警察が怨恨を疑うのは当然のこと。彼が住むアパートの部屋を訪れた刑事らは、終始挙動不審の彼に少々眉をひそめたが、彼には元カノが殺されたとされる時刻にアリバイがあったので、すんなり帰っていった。

 可能性の一つというだけで、もともとそうは疑っていなかったのかもしれない。

 しかし、去り際に刑事の一人が疑いの目を向けてきたことに彼は気づいていた。もっとも彼自身も自分を疑っていたから無理もない。

 あの絵。これは本当にただの偶然なのだろうか? 別人格による殺人……いや、そんな兆候今までなかったし、アリバイがあるからそれはない。それに正直、そこまですることじゃない。じゃあやっぱり偶然……。でも……。

 考え抜いた末に彼はまた筆を手にとった。気晴らしの意味もあっただろう。今回、彼が描いたのは動物で元カノ同様、ズタズタに切り裂かれて息絶えている。そして、そのモデルは隣の家の犬だ。

 その家の前の道路を人が通る度にパニックになったように吠え立て、青年を苛立たせていたのだ。

 仮に死んでも心は痛まない……はず。いや、馬鹿馬鹿しい。あるわけがないんだそんなことは。絵を描き終えた彼はそう考え、自嘲的な笑みを浮かべた。


 しかし翌朝、彼は隣の家の犬が死んだことを知った。飼い主がそれこそパニック状態で警察に話しているのが窓の外から聞こえてきたのだ。

 彼が窓から外を覗くと、この前、家に来た刑事とちょうど目が合った。

 彼は反射的に窓の下に身を伏せ、そして頭を抱えた。

 馬鹿なことをした。今、刑事に見られたことじゃない。元カノの件はアリバイがあったが今回は違う。二つの事件は似すぎている。そしてその二つとも自分には動機がある。これでは疑ってくれと言っているようなもの。

 刑事のあの目……。共犯者がいる。あるいは元カノの件は別として犬は手口を模倣して殺した。

 彼は刑事にそう思われた気がしてならなかった。


「…………できた」


 だから彼はまた絵を描いた。モデルはあの刑事。前に描いた二つの絵と同じく、顔をズタズタに切り裂かれた絵だ。

 前回同様ただの気晴らし……の色合いは薄く、ある可能性。それを信じる気持ちの方が色濃かった。

 自分の絵には人を殺す力があるのだと。

 これは呪いの絵。悪霊が描かれた人物に向かい、そして……なんて馬鹿馬鹿しい。それならば自殺と見られるはずだ。悪霊に取り憑かれた誰かが絵のとおりに殺しを実行したと言えば筋が通らなくもないが、その誰かとは誰だ。絵を見た者ならば納得できるが誰にも絵を見せていないのだから、やはりしっくりこない。

 しかし、もし本当に何者かが自分の絵の通りに殺しをしていると言うのなら刑事に向かわせれば返り討ち、逮捕されると考えた。

 とは言ってもやっぱりただの偶然。描き終えた彼は馬鹿馬鹿しさと自分のうぬぼれ具合に笑った。


 だが、刑事は殺された。それも彼の家の近くで。

 それを知った彼はというと、ほっとしていた。

 どうやら自分を疑い、張り込みをしていたらしいが昨晩は絵を描いた興奮のせいか、一連の事件のストレスのせいか一睡もできなかった。ゆえに意識が途絶えたことはない。つまり、別人格が体を支配して殺しをしていた、というわけではないということ。そして……。

 彼は絵に視線を向けた。


 ――偶然じゃない。


 絵に描いたとおりに人が死ぬ。それが自分の能力だと確信を得た彼は身震いした。恐ろしさと、そして喜びに。

 偉そうな顔で講釈垂れるコメンテーター。国会で居眠りする政治家。近所の人。顔を知っているその人間の命が今、自分の手のひらの上にある。

 別にむやみやたらと人を殺すつもりはない。ただこの先、人生で出会う嫌な人間、邪魔な人間その全てを殺せると思うと、その解放感に彼は鼻を大きく膨らませた。

 笑い、そして彼は絵の具を買いに家を出た。まだ補充の必要はなかったが、絵の前にいると陰にある罪悪感を知覚してしまいそうだったのだ。


 外の空気に触れ、また少し運動した効果もあったのだろう。帰り道は頭の中は穏やかに、やや夢心地でもあった。


 ――あ 


 しかし、アパートの部屋のドアを開けた瞬間、彼の脳内は泥を塗られたように、おおよそ楽しいことなど考えられはしなかった。

 誰かいる……長身の、多分女。顔はこちらに背中を向けているからわからない。絵を見ているのだろう。そしてその手にあるあれは……。

 間違いない。あの女が絵の怪物。殺人の実行者。悪霊。

 しかし、なぜ今現れたのか。人を呪わば何とやらか、それとも次の獲物を早くと催促に来たのか。

 青年は声を出そうと口を開いた。緊張のあまり乾いていたせいか、ただ喉からひび割れたような音が出ただけだったが、女を振り向かせるには十分だった。


「……ようやく、邪魔者が、全部、いなくなった。ねぇ、私のこと、覚えてる……? それとも、さんざん、浮気した挙句、ゴミのように、捨てた、女のことなんか、忘れた……?」


 女は途切れ途切れにそう言うと笑みを浮かべた。

 その瞬間、彼は全てを理解した。

 恋人。吼える犬。そして自分を見守っていた刑事。そして次の絵のモデルとなるのは……。

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