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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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332/705

井戸の中

 とある夜。少年野球のチームの合宿所の一室。その少年は声を潜めて言った。


「……なあなあ、寝た?」


「寝てねーよバカ。まだ電気消して一分も経ってないだろー」

「ははは、言ってみたくなるやつね」

「はいはい、寝よう寝よう。クソ疲れた」


「まあ、もうちょっといいじゃん。明日はさらに練習キツイってな」


「監督の奴、合宿だからって張り切りすぎなんだよなー」

「ああ、去年もそうだったなぁ。あの時よりは成長したけどその分、練習量も増えたからなぁ」

「当然だな。まーいずれは同じ高校に入って甲子園目指すんだ。これくらいって、そうだ。前と言えばさ、ふふっ、お前井戸に落ちたんだよな」


「え?」


「あー、あったな! 井戸の中で泣きべそかいてたやつな」

「あったあった。でも怪我はなかったんだよな。監督が強運だって言ってさ」

「ははは、そーそー。実際、怪我がなくて助かったのは監督のほうだったりしてな。責任問題とかさぁ」


「え、あったっけ、そんなこと」


「あっただろー! どこだっけあの井戸。確か結構離れた場所だったような」

「林の奥じゃなかったっけ?」

「ファウルボールを拾いにでも行ったんだろう、はぁ眠い……」


「あ、あーああ。うん、確かにあった。でもさ……おれだけ? その、他に誰かいなかったか? 井戸の中にさ」


「ははっ、お前以外に落ちる間抜けがいるかよ」

「……それ、幽霊だったりして」

「ははは、こわー」


「ははは……ちょっとトイレ」


「おいおい、漏らしたのかぁー!?」


 背中に仲間たちの野次を浴びつつ、少年は部屋を出た。

 暗い廊下を足音を立てないように歩き、そしてトイレを済ませると、そのまま合宿所の外に出た。

 胸と頭にあるモヤモヤはどんどん大きくなり、部屋に戻る気がしなかったのだ。


「何か、何か忘れて……井戸。井戸? 井戸……」


 少年の足は自然と林のほうへと向かっていた。そして、その前まで来ると、躊躇いなく中に入った。

 林の中は奥へ進むほどジメジメと嫌な臭いがした。背丈の高い雑草が腕に触れ、不快感を抱いたが、少年は足を止めはしなかった。


「何か、何かが……」


「――けて」


 声がした。


「――して」


 今にも消え入りそうな、か細い声。少年は耳をそばだて、その声のほうへゆっくり進んだ。


「――すけて」


 そして見つけた。

 恐らく井戸。トタン板を被せ、その上に石を乗せてある。そのままにして、また誰かがうっかり落ちないようにしたんだろう。少年は、これがおれが落ちた井戸? と見つめる。

 

「――えして」


 声の出どころはここだった。

 少年はどこかよせばいいのにと思うも、その手は石を掴み放り投げ、次いでトタン板に向かって伸びていた。

 まるで墓を暴くように記憶が掘り起こされていく。

 ……そうだ。あの時、この井戸の中に誰かいたんだ。

 おれの他にもう一人……。

 恐ろしい何かが……。

 そいつは井戸の中で待っていた。

 誰でもいいから、誰か、誰かって……。



「……だし、出して……出してえぇぇぇぇ」


「……ああ、ああああぁぁぁぁ!」


 月の光が井戸の底まで伸び、そこにいる者の姿を慎ましくも少年の目に晒した。

 ボサボサの長い髪。痩せこけた体。目の周りが窪み、歪な形の足。井戸の中から這い上がろうと無茶苦茶なピアノの演奏のように指を伸ばし壁面を叩いた。

 その、がりがりがりがりと爪を削る音に少年は脳を削れていくような錯覚を起こし、頭を押さえ叫び声を上げた。



「……なー、あいつ遅いな」

「大のほうだろ。さっきの話にビビって中々でないんだよきっと」

「自分から『誰かいた気がした』って振ったのにか?」


「……なぁ、井戸の中。なにかがいるとしたらどんなのだろうな」

「おいおい、まさか信じるの?」

「いるわけないだろ」


「そういう訳じゃないけど、まあいいじゃん。まだ眠れないし。良いの考えて戻ってきたアイツをビビらせてやろうぜ」

「ふふふっ、まあ化け物だよね。落ちた奴を頭から骨ごと食っちゃうんだよ」

「あー、もしくは覗き込んだ奴を引きずり込んで……」





「だし、出して。返して、おれの、おれの人生をかえ――」


 少年はまた井戸に蓋をした。先程放り投げた石を雑草を掻き分けて探し出し、それとは違う石も見つけると顔を綻ばせ、両方置いた。そして落ち葉や土、枝をありったけ上に被せた。もう誰にも見つからないように。

 すっかりと覆い隠した井戸を見つめていると一仕事終えたその満足感と疲労感からか眠気を帯び、欠伸をひとつした。今しがた思い出したこの記憶も朝には忘れ、蓋をしたまま二度と開くことはない。そう思った。

 少年はぼんやりと、どこか夢心地。おぼつかない足取りで宿舎に向けて歩きだした。

 歩きながら、スゥーと鼻から息を吸い込む。

 林の土の匂いが、陽の光をいっぱい浴びた甲子園の土の匂いに変わっていく気がした。

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