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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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ゴブリンが現れた  戦う  逃げる →諦める

 ランナーズハイ。今夜の男は乗りに乗っていた。デスクワークで、なまった体だったがジョギング二日目にして学生時代の調子を取り戻したのかもしれない、と頬が緩む。まだまだ行ける。彼がそう思ったときだった。


 ――ん?


 ピタリと足を止めた。

 彼が走る道。横手にある林、その生い茂った笹が彼と並走するようにガサガサガサと揺れたのだ。彼が立ち止まると笹の揺れは先に行き、そして、バッと道路に黒い影が飛び出した。


 ――人。

 ――小柄。

 ――子供?


 それは街灯のやや後ろにいるため、よく見えない。目を細め、その姿を収めようとする彼。

 あんな風に急に飛び出して、自転車や車とぶつかったらどうするんだ。林で虫捕りでもしていたのか? いや、こんな夜中に? 子供一人で? 何か妙だ……何か……。

 そう訝しがる彼。急に立ち止まったため、心臓が激しく鼓動している。一先ず荒げた息を整えようと深呼吸しようとしたそのときだった。妙な臭いがし、彼は思わず咽返った。

 子供がそれにピクッと反応し一歩、街灯の下へと歩を進めた。


 あの子供……裸? 違う。あれは子供なんかじゃない。あれは……。

 ゴブリン。そう、ファンタジーかなんかによく登場するあのゴブリンだ!


 彼は目を見開いた。間違いない。街灯の下、スポットライトのように照らされたその姿。藻のような色の体にブツブツと吹き出物。 目は大きく見開かれ血走り、口からは涎を垂らしている。腰布は身に着けておらず全裸。そして耳と鼻が魔女のように尖っていてた。

 などと、観察している場合じゃない。すぐに逃げないと。そう思った彼。しかし、脳裏にある考えが浮かんだ。

 

 これは……とんでもないチャンスじゃないのか?

 もし捕まえて公表すれば、ツチノコ発見どころの騒ぎじゃない。売るにしても数億円、いや何せ世界初。もっといくだろう。キャラクターグッズ、コラボ……おいおい考え出したら切りがないぞ。


「ギィィィィ! アンダウメー!」


 彼の思考はその痰が絡んだような不快な叫び声で打ち切られた。

 完全に気づかれた。何かをわめき散らしているが、奴らの言語? それともただの鳴き声? いずれにせよ友好的とは思え――来る!

 どうどう、どどどどうする! しかも意外とデカそうだ! そりゃそうか! 遠近法!

 何かないか、何か!

 盾!

 ない!

 剣!

 ない! 当たり前だ! 現代だぞ!


 こちらに迫りくるゴブリンに慌てふためく彼。腰は引けていた者の咄嗟にボクシングの構えをした。そして


「クソッ! オラァ! シュ!」


 彼の渾身の右ストレートがゴブリンの鼻に見事命中した。数日前にボクシングの試合をテレビで見ていたのが功を奏したのだ。そもそもジョギングのきっかけもそれである。試合をした両選手に感謝、としかし、彼は喜べなかった。ゴブリンの鼻を殴った瞬間、顔に何かが飛び散ったのだ。


 血……いや、膿か? 臭っ! うおっ!


 顔を拭う彼。その隙をつき、ゴブリンが男の腕に噛み付いた。歯が腕に食い込み、ゴリッと骨が鳴る。戸惑いと、それは反則行為……などと呑気な考えが浮かんだせいで反撃が遅れ、彼はゴブリンにさらなる攻撃を許すことになった。


「ああっ! つっ! うぅぅぅ!」


 ゴブリンは犬掻きのように爪で彼の顔や首を引っ掻き、彼はその痛みに叫んだ。

 だが、その叫びが吹っ切れる切っ掛けになったのか怒り、熱、そして闘争心が一気に体内を駆け巡った。

 彼は腕を噛まれたまま、前に倒れこみ、ゴブリンの頭を地面。そのアスファルトに何度も打ち付けた。

 たまらずゴブリンが悲鳴染みた声を上げ、その口が彼の腕から離れたところで勝機を見出した彼は馬乗りになり、ゴブリンを両手で殴りつけた。無我夢中。時間もわからない程に。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 気づけばゴブリンはピクリとも動かなくなっていた。血がジワジワとアスファルトに滲んでいくのが見え、彼次第に手に痛みを感じ始めた。

 目を凝らすと折れたゴブリンの歯が拳に刺さっていうのが見えた。そのうちの一つがポロッと道路に落ち、ビーズのような音がした。

 静寂の中、激しい心臓の鼓動と荒い呼吸。それは彼のものだけ。ゴブリンは死んでいるようだった。

 彼はフラフラと立ち上がると、道路の端に嘔吐した。嫌な臭いは吐瀉物からだけではなく自分の手や体全体からしているように思え彼は嫌悪感を抱いた。

 臭いだけではない。ゴブリンとは言え、人型の生き物を殺した。あの肉の感触。血と膿のぬめり。人間の悲鳴にも似た声。伸し掛かる精神的負荷が彼にこの場から一刻も立ち去りたいと思わせた。


 彼は一先ずゴブリンを林の奥へと引きずり、隠した。死体でもかなりの価値はある。ここまでやって誰かに横取りされたくはない。自分の獲物だ。そう考えた彼。あるいは自分の罪を人に見られたくなかったのかもしれない。

 いずれにせよ、確実に隠すために埋めることなどは思いつかず、ただこれ以上、あれこれ考えたくなかった。アパートの部屋に帰って風呂に入りたかった。


 彼は林から出ると、歩き出す前に一度だけ後ろを振り返った。

 確かゴブリンは群れで行動する。もしかしたらこの林の中に異界と繋がる穴でもあるのではないか。

 吹いた風が笹をざわめかせ、汗で冷えた彼の体を撫でた。ブルッと身を震わせた彼はその後一度も振り返ることなく家に帰った。


 それから数日の間、彼はうなされ会社、ゴブリンの死体の回収はおろかベッドから出ることもままならなかった。 

 ゴブリンの肉の感触。血と膿にまみれた自分の拳。悪夢か現実か、あの夜のことが絶えずフラッシュバックしていた。


 そしてある朝。

 少し体調がマシになるも、だるい気分の中、彼はテレビのリモコンに手を伸ばした。人恋しかった。声、姿が見たい。


 だが、そこにゴブリンが現れた。


『と、今お伝えしたニュースなんですが、スタジオの皆さん、いかがですか? おや、嫌そうな顔をされてますね』

『いやー、だってこの写真、気持ち悪い、あ! うふふ、そんなこと言っちゃ悪いですよね。あらやだごめんなさいね、でも、この鼻うわー、嫌ですねぇ』

『はははは、確かに吹き出物が、これなんて言ってましたっけ蟻塚? 積み重なってうわぁ……』

『そんな呑気でいいんですか! 全身に吹き出物、変色、それに凶暴化、極めつけは原因不明! 治療方法もわかっていないんでしょう!? 大丈夫なんですか!』


『ははは、外国の話です。我が国の検疫は万全、優秀ですから怯える必要はありませんよ。ん? どうされました?』

『あはは、いやぁ、ほら似てませんか? あれに、えーっとゴブリン!』

『あ、確かに! 息子が見てるアニメとかに出て来たわ、あはははは!」

『まったく……まあ、よく似てますがね』


『ははははっ! 本物だったりするかもしれませんねぇ』

『ははは! いませんよぉ、現実にゴブリンなんか』

『あははははは!』

『当然ですよ、ふふん』



 彼はテレビを消すと、その黒い画面に現れたゴブリンを見つめた。

 彼が鼻を掻くと、そのゴブリンも鼻を掻いた。

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