粉末ジュース
世は空前のレトロブーム。昭和・平成初期の様々な物が息を吹き返した。
各社は次々と商品を打ち出し、消費者はそれを手に取りニッコリ。皆が幸せ、めでたしめでたし……とはならない。その陰。商品開発には多大な努力が必要とされるのだ。
ここにも悩める男がいた。小さな会社。彼は粉末ジュースの開発を任されていた。そうは言ってもすでに各社、特に長年のノウハウのある大手企業が跋扈している状態。とても新規参入など……なんて弱音を吐いたところで上役に唾と共に返されるだろう。
一先ず、定番であるオレンジジュースから、と取り組んだのだが生半可な味では到底敵わない。いっそ麻薬でもいれようかと思うまで追い詰められていた。
「失礼しま、うっわ! 相変わらず、すごいですね……」
「……ああ、君か」
部屋に入ってきたのは彼の助手。床にまで転がるオレンジを踏まないよう、気を付けながら彼のほうに近づく。
「すごいオレンジの数。それにその手! オレンジ色じゃないですかっ」
「たくさん食べてどれがいいか研究していたからね。もう何日家に帰っていないか忘れたよ」
「うへぇ、確かに見た目も、それに臭いもひど……くない。体臭までオレンジになったんじゃないですか?」
「ははは、水分補給もオレンジで済ませているからね。そうかもしれない。それにしても君、助手なのに随分姿を見せなかったじゃないか」
「ちょっと、サボっているみたいな言い方はやめてくださいよ! 他の仕事もありますし私は私で主任が集中できるように、せっつく上役を言い包めたりしてたんですからね!」
「ああ、そうか……すまないね」
「そんな消え入りそうな笑顔で……手詰まりなんですね。さすがに睡眠はとってますよ、ね?」
「ああ、ギリギリまで耐えてるけどね。ははは、眠ってもオレンジの夢ばかりだよ」
「ある日目覚めたらオレンジになっていた、なんてことにもなりそうですね」
「幼虫じゃなくてかい? ははは。あ」
「どうしました?」
「いや、また明日、いや明後日来てくれ。むしろそれまでは来ないでくれ」
「は、はぁ……まあいいですけど」
そしてその日、助手は言われたとおり、開発室に顔を出した。
「やぁ、来たね」
「はい、もしかして、それ……」
「完成だよ。味は間違いない……と思うんだが何せ開発者だからね。客観的に評価できていないかもしれない。さ、飲んで出来をみてくれ」
助手はその粉末を溶かして飲んだ。すると一瞬だが、確かに目の前に豊かなオレンジ畑が広がったのだ。
「すご! すごいですよ主任! 今、一瞬……幻覚剤とか入れてませんよね? あ」
「はははは、ないない。どうやらお世辞でもなさそうだし完成だなぁ……」
そう言うと彼はぐぐぐっと背筋を伸ばした。
やり切った顔。初めて見せた満足そうな笑み。
ゆえに、その腰に添えられた手の指が欠けている理由を、助手は訊ねることができなかった。




