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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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324/705

遠き春の亡霊

「学級崩壊……」


 認めたくはなかった。だが不思議なことに実際、口に出してみればいくらか胸がスッとした。一度は言ってみたかったのかもしれない。


「……いや、ないな」


 そう言い、自嘲気味に笑った伊角は、視線を暗い職員室の天井から自分の拳へと下ろす。

 そして、椅子から立ち上がり、教室に向かった。



 ある日。高校の国語教員である伊角は教壇に立つと、ふと見かけない顔があることに気づいた。

 クラス名簿を見るにどうやら転校生のようだ。高校生にしては大人っぽい。髪型がオールバックだからだろうか。通った鼻筋。大きな目から放たれる鋭い眼光。クラスの女子生徒の視線もチラチラとその男に向けられている。

 だが、他の生徒同様、伊角が受け持つ古文の授業には興味がないらしい。選択制で不人気なこの教科には、やる気のない生徒が自然と集まる。

 それでも淡々と授業を進めればいい。たとえ黒板に腐った蜜柑が飛んでこようとも。不良共の品性の欠片もないヤジが飛ぼうとも。

 伊角は足元に落ちた蜜柑を見つめ、そう奥歯を噛み締めた。

 こいつらは腐っている。そして私も……。

 歯の間から漏れた息。時間の経った精子のような臭いだった気がした。


 それから何日かたったある日の午後。職員室でテストの採点をしている伊角のもとに生徒が訪ねてきた。

 これは珍しいことだった。質問に来ようなどという気持ちを持った生徒はあのクラスにはいない。ましてやそれが一番の問題児の堂島だったから伊角は心底驚いた。

 伊角はとりあえずこの場にいない教員の席の椅子を引き寄せ、座るように促した。頷いた堂島が腰を下ろすと、椅子がギシッと軋んだ。

 堂島は大柄の生徒だ。親がヤクザとの噂がある。強面。その鋭い目つきで、わからない問題を聞きに来たというよりかはいい点をつけろと脅しに来たというほうが納得だ。いや、テストや内申点を気にするようなやつじゃないか……と、目を向けた伊角はどうも堂島の様子がおかしいことに気づいた。オドオドし何かに怯えて、耳が垂れた大型犬のようだった。


「……なあ、先生。あんたは気づいているか?」


 確認、というより懇願しているようだった。同志であって欲しい、そういったような。


「いや、何がだい?」


 伊角の問い返しに、堂島は手で自分の顔を撫でつけ、歪めた。そして言い渋る。自分でも認めたくないように。


「……アイツ。妙なんだ」


「あいつ?」


「あの転校生だ!」


 あの転校生とは彼のことか。黒髪オールバックの、名前は……。

 伊角は生徒名簿に目をやった。そうしなくても名前は覚えていたが、記憶していることを知られたくなかった。さも無関心であるように装いたかった。あの生徒は何か……そう何か奇妙だったが、それを認めてしまえばまた何かが揺らぐような、初めて目にした瞬間からそんな直感がしていたのだ。

 伊角は背もたれに体重を預け、言った。


「葦土のことか?」


 その名を聞いた途端、堂島は貧乏ゆすりを始め、ポケットから煙草を取り出した。伊角は咄嗟に周りを見回し、この職員室内にいるのは自分たちだけだと確認をしただけで、堂島を制しようとはしなかった。

 堂島は最初の一吸い。大きく吐いた煙が室内に溶けるのを見届けると言った。


「……先生、クラスの生徒が消えているのに気づいているか?」


 確かに出席は減っていた。だが、それは何も不思議なことではない。学校をサボッてディズニーランドに行ったと授業中に堂々とお土産を配る生徒もいたくらいだ。特に気にしてはいなかった。そう思おうとしていた。だが、誰が来ていないか大体把握していた。伊角は名簿に視線を落とす。


「ええと最近休んでいるのは太田、池谷、千賀、小俣、あとは――」


「吉野と、それに勝崎もだ」


 勝崎……堂島とよくつるんでいると聞く生徒だ。


「アイツ、葦土の仕業だ。アイツが全員殺したんだ!」


 煙草を持つ堂島の指が震え、煙がちらつく。どうにも嘘をついているようには見えなかった。


「……待て、今思い出した。お前と葦土、それに勝崎と遠野はお仲間だって聞いたぞ」


「……ああ、そうだ。奴は……きっかけは忘れたが、そうだ、自然と俺たちの仲間になった。元々そういう雰囲気がある奴だなと

思ったし、楽しい奴だった。根性もある。だが……奴は俺たちとは根本的に違うんだ」


「まあ、女の子にモテそうだしな」


 伊角がそう言うと、堂島に睨まれ、伊角はすまんすまんと言うように手を軽く上げた。


「違う、とは?」


 伊角は自分がカウンセラーになったつもりで話を聞こうと考えた。あくまで冷静に聞き役に。たとえその態度を堂島が気に入らなかったとしてもだ。踏み込みすぎず、いつでも離れられる、そんな立ち位置を確保する。

 だが伊角は無意識の間に体は背もたれから離れ、前のめりになっていた。


「たとえば、俺が『アイツが気に入らない。ぶっ殺してやりてぇ』って言っても、まあ実際に本気で殺すつもりはない。せいぜい殴り倒すくらいさ。そこまで馬鹿じゃない」


 伊角は「馬鹿じゃないというのはどうだろうな」という台詞を飲み込んだ。


「でもアイツは違うんだ。『どう殺すんだ?』って俺に聞き返してきたんだ。本気だ。あの目は。それで、それで……」


「まさか、本当に殺したのか?」


「違う! お、俺は、違う……。ただその場で盛り上がっただけだ。空想だよ。火をつけて殺す、色々、ほら痕跡が残らないようにって」


 火をつける……伊角の脳裏に何日か前のニュースが蘇った。


「あのスーパーの警備員――」


 伊角がそこで言葉を止めた。堂島が落とした煙草に目を奪われたのだ。堂島の指の震えは瞬く間に全身に回った。

 床に落ちたタバコは幼子が手を伸ばすように幽かに白い煙を上げていた。拾おうとしない堂島の代わりに伊角が拾い上げ、灰皿に押し付けた。ジジッという音がした。伊角は何故だか生き物を殺したような気分になった。床に落ちた灰を踏みつけ散らすと、より悪いことをした気分になった。


「……で実際に見たのか? 葦土が人を、その、殺しているところを」


「い、いや! 見てない! 本当だ。その場にいもしなかった! ……でも、あいつの仕業だ。あの警備員が死んだって教室で話題になったとき、葦土のヤツがニヤッて俺に笑ったんだ」


「それだけか……」


「証拠とか言い出すなよ。あいつだ、あいつがやったって俺にはわかる、いや、わからせられたんだ……」


「それで、お仲間の遠野はなんて言っているんだ?」


「ああ、あいつは葦土の野郎に心酔してる。まともに話になりゃしねえよ」


 葦土に嫉妬しているのか? この言葉も伊角は飲み込んだ。恐らく答えはイエスだ。だが、それだけでこんな話を作り上げて葦土の評判を落とそうとするはずはない。考え付かないか、考え付いたにしてももう少しマシな話を作るだろう。


「でも何で私にその話をするんだ? 他に――」


「誰を頼れって言うんだ。クラス担任に話しても意味はねえよ。葦土と俺はクラスが別なんだ。それにあいつは評判がいいらしい。無駄だ。選択授業のクラス担当のアンタが一番ちょうどいい関係だ。それに、これはアンタにも関わりがあることだ」


「関わり……関わりって? 何か、ああ、さっきした生徒が消えているって話か」


 堂島が頷く。


「いいか? 消えているのはアンタの生徒ばかりだ。狙われてんだよ。消えたってそれほど不思議じゃない不真面目な連中の集まりだからな」


 伊角はふーっと息を吐いた。


「……仮に葦土の仕業だとしても、一体何のために?」


「知るかよ! 異常者の考えることなんてよ!」


「私からすれば蜜柑を投げつけてくるのも異常だがね」


 堂島は、うっと身を引いた。少しばかり後悔の念が見え、伊角の胸が少し、すっとした。


「誰か他に話したのか? この件を」


「いいや」


「親には?」


「はっ。話せるかよ」と堂島が鼻で笑った。


「……それで、私にどうしろと?」


「それは、何か手を考えてくれよ!」


 まるで大きな子供だ、と伊角は思った。高校生もまあ子供と言えるが、とも。そして肘を机に置き手を顎にやった。

 さて、警察に相談してみるか? 問題児の堂島がするよりは親身に話を聞いてくれるだろう。

 しかし、証拠はない。それなのに自分の学校の生徒を殺人鬼扱いするのは頭のおかしいやつとも思われかねない。問題にもなる。いや、大問題だ。警告、最悪の場合、クビ。

 伊角がちらと堂島を見た。堂島は後頭部を掻き、床を見ている。落としたタバコを今さら探しているのかもしれない。

 ……適当に宥めて帰すか? あいつらが今後何人消えたところで静かになる分には授業が進めやすくていい。

 ……なんてひどい考えだ。関わりたくないんだろ? そうだ、私は恐れている。奴を……葦土を……。

 私が教室に入り、奴の姿を見つけたその日から胸焼けのようなものが治まらない。

 私は奴を知っている。

 奴も私を知っている。

 奴の姿を目にしたのは間違いなくあの教室が初めてなのに、だ。これはデジャヴではない。認めれば全ての根底が揺らぐ。奴は……。

 考えた末、口を突いた言葉は伊角自身、意外に思うものだった。


「私を囮にしてみるか」



 夜、伊角は教室で一人、時間が過ぎるのを待った。黒板に鼻を近づけると、まだいつだかの蜜柑の香りが残っているような気がした。

 伊角はため息を一つすると先程の堂島との電話の内容を思い返した。


「それで、来るんだな?」


『ああ、ばっちりだ。やつはノリノリだったぜ』


「そうか……何と言って私をおびき寄せたと葦土に話したんだ?」


『ええと、アンタが女子のスカートの盗撮をしたところを俺が見たって言って、それを理由に教室で待つよう脅しておいたって具合に』


「……あまりいい気はしないな。葦土はなんて?」


『バットを喉に突っ込んで殺してやろうって。教卓に座らせ、次の日やってきた生徒の悲鳴を聞くのが楽しみだってさ。あいつ、誰か来るまで教室に隠れて待つつもりかな? アンタを殺したあとに――』


 伊角は目を剥き、顎が外れて教室の天井を見上げる自分の姿が頭に浮かんだ。

 きっとズボンは血と小便で濡れているだろう。臭いもひどいはずだ。木の教卓に染みて、どかしたら色が変わっている。そしてその臭いと痕は何しても完全には消えない。それが、そんなものが私が生きた証になるのだ。


「クソだ……」


 伊角は項垂れるように黒板に両手をつき、大きく息を下に向けて吐いた。

 ボイスレコーダーは持っている。もう何度も動作確認はした。殺す寸前、きっといい気になり滔々と語るだろう。これまで何人殺したか、どう殺したか。多くは私の生徒たちだ。聞かせたいに決まっている。そして涙で顔をグチャグチャにして命乞いする様を見たいはずだ。


 伊角がまたついたため息。それは教室のドアが開いた音に掻き消された。伊角はすぐに顔を上げ、その方向を見た。


「よぉ、せんせぇ」


 教室の後ろのドアからバットを持った葦土が入ってきた。その背中に続く堂島。一瞬、伊角は職員室での堂島の相談含め、全て葦土が仕組んだ罠だったのではと思い背筋が凍ったが堂島の目が俺は味方だと強く訴えていた。


「お・ま・たぁ」


 自信たっぷりな物言いだった。手に塩を持ち、ナメクジを見下ろすような。そんな嗜虐性のようなものが覗えた。

 と、伊角は、おや? と思った。遠野も一緒に来ると思っていたが姿がない。


「遠野なら死んだよ」


 月明かりだけの暗闇の中、堂島の目が丸く見開かれるのを伊角は見た。そして、堂島が葦土に蹴り飛ばされるのも。

 堂島は教室の後ろに整然と並ぶロッカーにぶつかり、派手な音を立てた。そして呻き声。蹴られた位置からしてみぞおちに入ったらしい。


「俺をハメようっていうんだろう? そこのデブが遠野に電話したとき、俺も横にいたんだよ。遠野はそのあと殺してやったがな。おっと、今の録音したかい?」


 バレていた。堂島と立てた作戦、その全てが。遠野は葦土に心酔していたと聞いていたから作戦内容は話さないようにと伊角は堂島に言い含めておいたが、友情かそれとも説得できると考えたのか電話していたようだ。

 いざとなれば力づくでとも考えていたが、堂島があれではその希望も泡となって消えた。

 伊角はボイスレコーダーを床に叩きつけた。たとえ、こんなことしても葦土なら複数持っていることを考えるだろうが、少しでも誠意めいたものを見せたかった。


「一体、なぜこんなことをするんだ?」


「楽しいからさ。それが大事だろう? 人生短いんだってな。特に青春ってヤツは早漏みたいにな」


 まるで自分は違うと言いたげだった。腰をうねる様に振りながらバットを片手で器用に回す。もうお楽しみを我慢できないかのように歪んだ笑顔を浮かべ、そして葦土は机の上にヒラリと乗った。


「アンタはそれにいつ気づいた? 悔いのない高校生活をしたかったっていつ思った?」


「お前は……お前は私なのか?」


 もう抑え切れなかった。のたうつような心臓と乾いた喉が痛かった。手足の先に汗をかいているのがわかる。しかし冷え切ってもいる。ありえないことだ……空想。だが……。


 葦土はニヤッと笑った。正解だといわんばかりに。


「もっと嬉しそうにしろよ。俺はアンタの理想だぜ? 背が高く、面が良く、頭の回転も速い。運動神経も言わずもがなだ。そして、女にモテる。もう何人もアンタのクラスの女とヤッたぞ。まあそのあと全員殺したがな」


 感想を聞かせてやろうか? と付け加え、葦土は笑った。


「有り得ない、有り得ないことだ……有り得ない……」


 伊角の目の前にいる男、葦土は伊角が不遇の高校時代にしていた妄想。理想の自分の姿そのものだった。


「でも俺はここにいる。ああ、なぜかって? えー、アンタの抑圧された思いから膿のように押し出された種が、数十年経ってようやく花開いたのかもしれないし、アンタが手を合わせて祈った神社の神様が願いを叶えてくれたのかもしれない。

もしくは怪しげな呪文を唱えたアンタのクラスの生徒が引き起こしたことかもしれないし、つまり理由なんざどれでもよくて、まあ俺は今、この瞬間ここにいる。それが大事だ。アンタが母親の穴の中から出てきたのも、そう大した理由があるわけじゃないだろう?」


 葦土はタンタンタンと机から机へと渡り歩き、教卓の上に飛び乗った。そして伊角に顔を近づけ、ニヤリと笑う。

 息が顔にかかる。無臭。何もなかった。温度さえも。伊角は転ぶように教室の前のドアに向かった。


「おいおい、生徒を置いて逃げるのかよ!? 先生ぇ!」


 しかし、葦土は教卓の上から飛び降り、容易くドアの前に先回りした。

 伊角はドア付近にあるゴミ箱に抱きつき、横倒しにした。


「おいおい尻を向けて何してるんだい、先生? おおっと、これを下から入れるのもアリだな。あぁ悩むなぁ」


 葦土のケラケラと笑う声。伊角は振り返ると同時にゴミ箱の中から手にした腐った蜜柑を投げつけた。

 葦土がそれをバットで打つ。蜜柑は教室の窓へぶつかり床に落ちた。窓についた汁が下へと伝う。


「ははっ! せめてもの抵抗か? 気は済んだかーい?」


 葦土はバットを振り下ろした。鈍い音がした。次いで激痛。伊角の脛裏の骨が砕かれたのだ。


「ほらほらほらほら先生! がんばれがんばれ!」


 葦土はさらに伊角の背中、尻を打ちつける。

 骨を砕かないような力加減。ぐぅ、と声を上げる伊角は自分が追い立てられたウサギのような気持ちになったが、逃げることはおろか体は無意識にダンゴムシように丸まった。

 ――前にもこんなことがあったな。

 ふと、伊角の頭に高校時代の自分がよぎった。何も成長していない。そう思うと落胆の色が胸の奥から表皮へと滲み出るようだった。腐った蜜柑のように。


 葦土の手が止まった。伊角がその理由を探ろうと自然と耳を澄ますと葦土のやれやれといった、ため息が聞こえた。

 そしてもう一つ。その荒い息遣いは堂島のものだった。顔を上げた伊角は堂島が抱きつくようにして葦土に抑えているのを目にした。


「デブはなあ体温がぁ、不快なんだよ!」


 あっさりと拘束を解いた葦土は堂島を引き倒し、顔と胸を蹴りつけた。

 その様子を見ていた伊角は、どこか感動のようなものが込み上げていた。

 堂島を嬲る、葦土のその顔、その姿。自分が思い描いた理想だった。暴力で暴力を制する自分。つらい、冬の時代。いじめっ子などという表現では生温いほどの連中の暴力にさらされたあの日々。屈することなく、逆に連中を踏み躙る己を何度も思い描いていたのだ。

 ――だが、今それは堂島に向けられるべきものじゃないだろ。

 そう思った伊角は目を閉じた。体の痛みが、暴力の音があの日々の匂いまで鮮明に蘇らせ、胸を抉った。


 葦土の動きがピタッと止まったのが伊角にはわかった。そして、バットが落ちた音。カランカランと夜の教室に響く。


 伊角は目を開けた。

 葦土が自分の指を眺めている。


「おい、おいおいおいって!」


 深海に沈む缶が水圧で潰れていくように葦土の人差し指が変形していく。

 次いで親指、中指、手のひらと潰れていく。

 伊角がイメージしたとおりに。


「だから、おいおいおいおいおい! 俺が理想だろ? なあ、上手くやれるさぁ。アンタのためだよぉ。アイツらに消えて欲しいと、授業が進みやすくなればと思っていたろ? ああ、怯えてもいたじゃないか! 昔を思い出すってよぉ!」


「……青春の亡霊め、消え失せろ」


「おい……あぐっ! ……がぁ! ……ふぐ!」


 葦土の腕が、足が体が折りたたまれるように捻れる度に葦土は悲鳴を上げた。よろけ、体をくねらせ膝をつき、外れた顎の奥の穴から出る怒号は耳を劈くような奇声へと変化した。

 その見開いた目は伊角を見つめている。あの日の不良共よりも遥かに威圧感があった。

 だが伊角は目を逸らさなかった。そして葦土がバスケットボール、野球ボールと丸まって縮み。ピンポン玉ほどの大きさになると、ただ教室の中を跳ねて転がった音だけを出し、それもやがて消えた。


 伊角は横たわる堂島に近づき、肩を貸したが、足の痛みで呻き、結局二人とも崩れ落ちた。


「アンタ、超能力者?」


 堂島が訊いた。

 伊角は答えず、ただ笑った。


「そんなになる前にやったらよかったのによ」 


 堂島が拗ねたようにそう言った。


「腐った蜜柑みたいだろ?」

 

 伊角が月明かりに照らされた自分の腕の痣を眺めそう言った。


「はぁ? なんだそりゃ」


「ふふふっ……なあ、今思えばやっぱり私じゃなく、お父さんに頼めばよかったんじゃないか」


「はあ? 親父に頼んで何ができるよ。ただのくたびれた会社員だぞ。まあ、アンタもくたびれた先生だったがな」


 堂島はボソッと人は見かけによらないってやつだなと付け加えた。


 なんだ、親がヤクザと言うのはただの噂だったのか。

 目の前の大柄の男がただの歳相応の子供に思えて伊角はまた笑った。

 胸に溜まったものを全部吹き飛ばすような快活な笑い声だった。

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