置手紙
秋の終わり。曇り空の下、道を歩いていた女はふと神社に立ち寄った。小さな社には陶器の狐の置物がいくつも並んでおり、さらにその下には薄汚れたペットボトルや枯れた花、お菓子などいくつかお供え物があった。
財布から一円玉を一枚取り出すと賽銭箱に投げ入れ、手を合わせる。
冷やかしね、と女は思った。元々、信心深い性質ではない。これでは天啓などありはしないだろう。でも求めてもいない。神頼みでどうにかなる問題じゃないのだから。
女は目を開けてため息を一つした。何も考えず、ただただ耳を澄ませるも聴こえるのは神の声ではなく、冷たく鋭い風の音。木々のざわめき……と
「……手紙、かな」
音の方を見ると薄汚れた供え物の中に薄っぺらい封筒があった。形状からして多分、手紙だろう。女は辺りに人がいないことを確認すると、手に取り封を開けた。もしかしたら神様からだったり、と思いあるわけないと自嘲的な笑みを浮かべながら。
封筒の中には絵葉書が一枚あり、宛名はなかった。その内容は……
【結婚などしたくなかった。周りに押しに押され、したものの姑からは破談でもよかったなどと言われた。
他人と暮らすのはつらい。故郷に帰りたい。夫はかばってくれないばかりか会話がない。どうして私が、私ばかりがこんな目に。いっそ死んでくれたら……】
大まかに纏めるとこんなところね、と女は手紙を封筒にしまい、頭の中から文字を追い出そうと努めた。
もう一度見返したくない。読んでいる最中、悲痛な文章に顔が固くなるのが自分でもわかった。絵葉書の風景は外国のどこかのようだった。恐らく家にあった適当な絵葉書に書き綴ったのだろう、あの呪詛めいた文章を。
何のつもりでこの神社に供えたのか。願いを込めた? 旦那が、姑が死ぬように?
その生活を想像するとまるで映画を見るように脳内に場面が次々と映し出される。会話のない食卓、荒れた手。腰の曲がった姑。邪悪な笑み。
「結婚……か」
女はそう呟くと封筒をお供え物の下に戻した。そしてふと、薄汚れてしまった自分の指を眺め、顔を歪めた。あの手紙に触れた指から肌の下、奥へ奥へと染み込むように思え、手をコートで拭うとため息をついた。
それで陰鬱な気分を吐き出せた気がせず、どこかに寄っていこうかと思ったそのときだった。
供物台と社の隙間に紙が入り込んでいるのを見つけたのは。
まさかと思い、女はぐぐっーと指を伸ばし、絡めとった。指についた蜘蛛の巣と汚れをコートの裾で拭きつつ確かめるとやはり封筒だった。恐らく手紙の続きだろう。
封を開けて中身を取り出すと、今度は絵葉書ではなく四つ折りにした白い紙。広げると見覚えのある筆跡だった。
【この土地を離れ、一人で生きていくことにする。知らない土地。知らない人。不安は付き纏うけれども、それでもわずかに希望を感じる。ああ、結婚なんてするものではない。だが旅立ちはよいものだ】
ほとんど関係なさそうな話と掠れて読めない部分を省き、要約するとこのような文章だった。
「よかった……」と女は呟く。旅に出る前に手紙を供えたのだろう。うまくいくようにと。
女は丁寧に紙を折り、封筒の中に戻し入れると先の一通目と同じく風で飛ばないようにと他のお供え物の下に戻した。
ぱっ、ぱっ、と手を払い、ついでに手を合わせてもう一度お祈りをした。
今度は無心ではなく、自身と手紙を書いた人の幸福を願って。
「ああ、早く行かなくちゃ……」と女が神社の敷地から道路に出たそのときだった。
「あ、あら? そんなところでどうしたの?」
「あ、お、お義母様」
彼女が声の方に振り返ると、そこにいたのは、これから義母になる、その人だった。
「ああ、やっぱり迷っちゃった? スーパーはもう少し先よ。一緒に行きましょっ」
義母は彼女に駆け寄り、ぺちゃくちゃと喋り始めたが、彼女に耳にはまったく話が入ってこなかった。彼女は義母がその手に持った封筒に目を、意識を奪われていた。
彼の話では義母は離婚などしていないはずだ。早くに夫に先立たれたって。そして姑も後を追うように……。
「ほらほらぁ、マサキも家で待ってるわよ。早く行きましょ」
促され、彼女は義母の後に続き、歩きだした。風が吹くと木々のさざめきと落ち葉がからからと地面を駆ける音に紛れ、紙がはためく音がした。
彼女は神社のほうへ振り返り、また視線を前に戻し、考えた。
今、義母がポケットにしまい込んだ封筒の中の紙には何が書かれているのか。懺悔か、また恨み節か。嫁が来たら今度は自分が自分と同じ目に遭わせてやろうという思いの丈か。そんな風に考えるのは私が結婚に後ろ向きだからだろうか。このにこやかな笑顔の下にはどんな罪が隠されているのだろうか。この引き合わせは天啓なのだろうか、と……。




