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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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318/705

ヘンダルシアの竜

 ヘンダルシアの刺々しい山々に飛来したその竜は、赤黒い体に黄金色の眼をしていた。

 立ち並ぶ鋭い歯はぶつかり合う度に火花が散り、そして竜はその体より大きな火を吐いた。

 翼を広げ飛び立ち、その漆黒の影が一度なぞれば、大地はたちまち天然のフライパンになる。逃げ遅れた者たちがその上で音を立てながら影よりも濃い煤へと変わっていくのだ。


 その暴れようと増えていく犠牲者に、このままにはしておけないと村の住人たちは竜を退治すべく、何度目かの決起集会を開いた。話す内容ももはや固定化されている。勝算はないに等しい。だが望みはある。

 その竜が執拗にこの辺りを蹂躙するのは、背に乗る邪悪な魔法使いに操られているからだ。魔法使いを始末してしまえば少なくとも計画的な破壊活動は収まる。そしてエスカレートしていく魔法使いの要求も無くなる。その後、大人しくなるかは竜次第だ。


「もううんざりだ! そうだろう!」

「ああともよ!」

「やってやろうぜ!」

「あとのことを心配するのも飽きたしな」

「ああ、行こう!」


 住人たちは半ば酒による勢いに身を任せ、ゾロゾロと武器を手に酒場から飛び出していく。

 道すがら泥を指で掠め取り、顔に塗る。気合入れ、と言うよりかは内から終始、滲み出てくる恐怖を覆い隠すために。しかし、顔つきは確かに戦士のそれに変わった。


 黒雲に覆われた空の下。不毛の象徴のような岩山を登る戦士たちは悪天候の恩恵を受け、影に身を隠しながら進むことができた。

 竜の根城は鮫の顔の形をした巨大な岩、その上である。そして邪悪な魔法使いはそのすぐ傍だ。

 近づいて弓を射る。それと同時に斧と槍で向かっていく。それが作戦だ。そう話す戦士たちの一番後ろで不安そうな顔をしている青年がいた。


 ……上手くいくわけがない。


 彼はそう考えていた。ずっと。彼は今日に限らず、連中のその無謀な作戦、絵空事を聞かされ続けていたのだ。でもまさか実行に移すとは思っていなかった。ただの愚痴。強がりだと。

 しかし、青年はそれを反面教師にし、この行軍が始まるずっと前から作戦を練り続けていた。それは背中の大きくて古めかしい布袋にある。ところどころ開いた穴から中を覗き見ることができるが、関心を示す者はいない。青年にもその荷物にも。

 だから話そうにも機会がない。それにそれが上手くいくかは、運。つまりは神次第だ。

 青年は天を見上げた。僅かな薄日も差さない暗雲が、先行きを暗示しているようで不安になった。

 せめてため息はつかぬよう、また竜が姿を現わさないよう祈り、そのまま上を見ながら歩いていた青年は、前に進む男の背中に顔をぶつけた。

 男からぼんやりするなと睨みつけられ、青年は萎縮した。ますます作戦について言い出しにくくなったがどの道、今言ったところで無駄だ。

 彼が男の背中に顔をぶつけたのは前を歩く戦士たちが足を止めたからだ。そしてなぜ足を止めたか、それはすぐそこに竜と魔法使いがいるからだ。

 そう、いつの間にかここまで来てしまったのだ。


 戦士たちのリーダー格である男は人差し指を口の前に持って行き、皆に静かにするよう促した。

「やつだ」岩陰から指をさす。一番後ろにいる青年は背伸びをし、確認しようとするが前にいる男から肘で押された。

 魔法使いは竜の傍で焚火をしていた。リーダーは村で一番弓が得意な男に傍に来るよう手で指し示し、弓を構えさせた。他の戦士たちはその矢が魔法使いに命中したあと、すぐに飛び出せるように槍と斧をギュッと握った。

 弓がしなる音。それが青年に風に揺られる首吊り死体の音を連想をさせた。


 そして……。

 矢が放たれた。


 だがそれは直前で偶然か直感か、僅かに身動きをした魔法使いから外れ、竜の体に刺さった。

 襲撃に気づいた魔法使いは立ち上がると同時に杖を向け、弓の男を魔法で攻撃した。

 弓の男は膝から崩れ落ちた。穴という穴から血を流し、あっけなく死んだのだ。

 戦士たちが恐れ慄いているうちに、魔法使いは竜の背に素早く乗ると空に飛び立った。

 神をも恐れぬ竜の咆哮が轟く。地獄の炎を浴びせんと、戦士たちがいた場所へと旋回する。だが、戦士たちはとっくに背を向けて走り出していた。

 最後尾はやはりあの青年だった。息を荒げ、ひた走る一行に竜が火を噴く。戦士たちは右へ左へと岩陰に隠れ、難を逃れるが、それも一時しのぎ。

 竜が空から地上に吐いた火の玉はゆっくりと下降しつつ、影を追い払った。晒される戦士たちの怯えた表情。戦意は影を潜めていた。魔法使いが唱えた呪文により村人たちはまた一人、また一人と倒れていく。竜の咆哮が肌を震わせる。轟音とともに岩は砕かれ、また焼かれていく。気の触れたような悲鳴と、助けてくれと力なく呻く声。それを泣く泣く置き去りに一行は隠れながら走った。


 この辺りで一際大きな岩陰に身を隠すと、口から出るのは荒い息と絶望の言葉。村人たちは無謀だったとお互いを責めた。


「なにが竜退治だ!」

「なんだその顔の模様は!」

「なにが戦士だ! お前なんて狩りにも出たことがないくせに」

「そういうお前はいつもくっついているだけだろう!」

「言い出しっぺは誰だ!」

「お前か!」


「……こんな時に仲間同士で争っている場合じゃない!」と青年は手を広げ、制した。

 ぎょっとし、黙る一同に彼はようやく自分が練った作戦を口にした。一同はしばし考えたあと、互いを見合い、そして頷いた。


 全員が納得したわけじゃない。「これこそ無謀だ」とぼやく声もあった。だがそれは誰にも届かない。皆、自分の荒い息の音で聞こえないのだ。

 彼らは走っていた。ゴツゴツし、開けた山肌を。

 ゆえに竜が一同を見つけるのは容易かった。その背を追い、火を吐き、戦士たちを空からまた一人、また一人と焼いた。

 戦士たちは振り返らずに走った。一目散に、彼らはその先にある洞穴を目指していたのだ。

 戦士たちは次々と洞穴の中に飛び込んだ。竜もまた後を追って下降し、その首を穴の中に突っ込んだ。そして肺を膨らませ、中の闇も人も全てを焼き尽くそうと口を開いたときだった。

 縄が竜の首を絞めた。その縄は青年が手に傷をつけながら森の茨を幾本も編み合わせ作ったもので、輪を洞穴の入り口に合わせるように内側に設置しておいたのだ。竜は洞穴に首を突っ込んだと同時に自らその輪に首を通していたのだ。


「せーのっ!」


 戦士たちは一斉に縄を引いた。竜が暴れ、口の中で火花が爆ぜる。だが棘が喉に食い込み火を吐くことができない。

 魔法使いは暴れる竜の背から振り落とされ、地面に叩きつけられた。それを逃す戦士たちではなかった。全員が頷き、一人が暴れる竜を危なげにかわし洞窟の外へと飛び出す。

 あの青年だ。それに気づいた魔法使いが青年に杖を向ける。しかし、体を痛めたのかもたつき、そして狙いが逸れ閃光が青年の頬を掠めた。

 もし、青年が物怖じしていたらあっけなく殺されてしまっていただろう。しかし、青年もまた臆病者のままではなかった。

 青年は槍を魔法使いの心臓めがけて突き刺した。竜さながらに暴れて悶え苦しむ魔法使いを見下ろしつつ、さらに槍を捻り、奥へ奥へと深く押し込む。

 魔法使いはぐっ、と血を一吹きすると、それきり動かなくなった。

 勝利に酔いしれる暇はなかった。

 青年は槍を引き抜くと竜の背中に飛び乗り、そして何度も槍で突いた。竜の皮膚は硬く、槍の先が欠けていくが、それでも死んでいった仲間、そして今なお竜を押さえ続けている仲間のことを思うと、腕を振り下ろすことを止めはしなかった。


 やがて竜は動かなくなった。戦士たちの手は棘に肉を引き裂かれ、血まみれだったが、そんなこと気にせず抱き合った。後に、それは仲間の証として語られ、褒め称えられた青年は、やがて村の長となった。





 これはある地方に伝わる、実話になれなかった童話だ。竜ははぐれた戦闘機のことを指していると思われる。魔法使いはそのパイロット。

 そして実際には村の住人はそのほとんどが殺害、蹂躙され尽くした。

 村の、恐らく少年がその慰めにこの物語を書いた。

 そしてその少年は青年になることができなかったのだ。

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