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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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309/706

結末警察にご注意を

 霧が出てきた。ようやく俺にもツキが回ってきたのかもしれない。

 肌に纏わりつく汗ばんだインナーシャツを摘み、パタパタさせるとゾッとするような寒気が背筋を撫でた。寒い。もう冬の兆しが見え始める頃だ。それでも脇から出た汗が皮膚を伝うのを感じる。

 動揺している。……ははっ、当然だな。

 俺はボートに横たわる彼女に目を向けた。蛹のような形のブルーシート。その中、彼女が目を大きく見開き、俺を見ている。

 そんな映像が頭に浮かび、俺は体ごとそれを振り払った。ボートが揺れ、波紋が生じ、今度は声が甦った。


 ――貴方は臆病者よ。それに小心者で嘘つき。だから女を殴るのよ。


 彼女が俺に投げつけてきた言葉だ。耳の中で反響している。その後の悲鳴も添えて。

 ……ああ、もう十分漕いだ。岸から離れたこの辺りに沈めればきっと誰にも見つからない。ここまで目撃者もなし。今、岸には……霧で見えないな。まあ、いたとしてもそう、この霧が俺を隠してくれる。

 ロープにコンクリートブロックを三つ結ぶ。これでいい。さあ、準備できた。持ち上げて、と揺れるな。気をつけなければ。

 さあ、お別れ……何か妙だな。ボートの揺れが収まらない。いや、それどころか激しくなっている。湖が大きく波立っている。風? いや、そんなレベルじゃない。

 俺はボートの縁を掴み、身を小さくした。まるで地震。そうなのか? いや――


 警笛の音がした。肌がビリビリ震えるほど大きい。

 やがて霧の中に濃い影が見え、そしてそれはゆっくりと姿を現した。

 巨大な船。客船だろうか。波はいよいよ秩序を知らない子供のようにボートの中に入り込み、ボートは右へ左へと激しく揺れた。

 有り得ない。船なんて、ただの湖だぞ。幻覚だ、恋人を勢いで殺してしまったんだ。ショックのあまり、幻を見てもおかしくはない。

 そうだ、冷静になれ。目を閉じて十数えるんだ。そうすれば全てが元通りに……。

 ……八、九、十。ははは、ほら、揺れが収まっている。


「お兄さーん、乗りますかーい?」


 幻聴。そうに決まっている。もう一度だ。数え――


「何してるのよ、乗りましょうよ!」


 馬鹿な――彼女の声が聞こえ、俺は目を開けた。

 彼女が縄梯子から振り返り、俺に手を振っている。幻覚だ。それも狂気に満ちた幻覚。

 俺はブルーシートに目を向けた。だが、もぬけの殻。そこに彼女はなかった。

 生きていた? いや、生き返った? しかし、だとしたらなぜ俺に微笑む? 彼女は覚えていないのか? あの一部始終を。自分が俺に殺されたことを。


「ねぇってばー!」


 彼女が船の上から俺を呼んでいる。ゾッとするような明るい声。いつぶりだ?

 と、俺は記憶を辿るのと同時に縄梯子を掴んだ。ボートに入り込んだ水が俺の尻を叩いて促したのだ。

 このボートはもうすぐ沈む。このままここにいても溺れるだけだ。

 俺は縄梯子を上がり、船に乗り込んだ。


 船上デッキはパーティの真っ最中のようで華やかな服装の男女がグラス片手に笑っていた。

 その中を縫うように走る子供たち。彼女は笑顔でその背中を追いかけていた。彼女は子供好きだ。俺との間にも欲しがっていたこともあった。……華やかな日々だった。こんな船のような。

 ……だが過去のことだ。この船も恐らく幽霊船だろう。そうとも、今の彼女に相応しい場所じゃないか。

 目を細めれば船を飾るイルミネーションの電球がぼやけて見える。彼女の姿はそこに滲むように溶け合い、笑い声は楽器隊の演奏と混ざり合う。

 予定に狂いはない。彼女は置いていこう。この船に。この湖に。

 避難用の小型ボートがある。俺はそれでこの船から離れるとしよう。それも幽霊ボートだろうが、今こうして俺は船の上に乗っているわけだから、どういう理屈かは知らないが実体はあるのだろう。

 行けるところまで行ければいいさ。途中、消えたとしても泳いで岸を目指す。ああ、問題ない。


 そう決めた俺は小型ボートに近づいた。だが、伸ばしたその手を彼女が制した。


「ダメよ。そんなことしちゃ。あなたは本当に、はぁ……」


 彼女はまるで悪戯をした子供を諭すようにそう言った。これもある意味、懐かしい彼女の態度。何も知らないくせに人を見下し、こうだと決めつけるような。思い出が甦り、俺は無性に腹立たしくなった。


「……黙れ、死人め。俺は、俺は生きている! お前はここの連中と仲良く船旅を楽しめばいい」


 俺は彼女の手を払いのけ、そう吐き捨てた。そうとも彼女は死人だ。その肌は酒を飲んだ時のように、ほのかに赤みが差しているようだったが関係ない。彼女は死んだ。死んだんだ。


「……ふふふ、生きている? 本当にそうかしら? だってあなた……沈んでいるじゃない、あはは! あははははは!」


「何を……」


 言葉は続かなかった。吐血したかのように口から零れた水が阻んだのだ。これは一体……そう思った瞬間、俺は水の底から水面を見上げていた。

 ……そうだ、彼女をボートから捨てるときバランスを崩してボートが転覆。そのまま彼女の下敷きになるように俺は……。

 いや、まだだ、まだ取り返せる。こいつを押しのけて、上へ……クソ! 彼女を縛ったロープが絡まって……。


 黒ずんでいく意識の中、警笛のような音が耳の奥に響い



 ――ドンドンドン!


 響くノックの音。僕は思わず椅子から転げ落ちそうになった。

 インターホンがあるのにわざわざドアを叩くなんて、あまり良い要件とも人物とも思えない。このまま無視しようか?

 そう思っていたらなにやらガチャガチャと音が。まさか、無理やり……っと思ったのも束の間。ドアが勢いよく開けられ、軍服のようなものを着た男がずかずかと入り込んできた。


「な、なんなんですか!」


「私は結末警察です。あなたにはそのお話の結末を変えていただきたい」


「え? え? 結末警察? ははは、な、なんでそんな必要が……それにそんなこと言われる筋合いな」


「この銃を見てもですか? それに夢オチなんてよくある手法でしょう? ありがちもありがち。結末を変えることに何を躊躇するんです? そもそもあなた、使いすぎなんですよ」


「い、いいじゃないか別に……収まりがいいんだから……」


「言い訳なんて聞く気はありませんよ。で、どうするんですか? 変えていただけるんですか? ダメなんですか?」


「か、変えるといっても、どうすれば……」


 僕の質問に答えず、無言で圧をかけてくる男。お前が考えろ、作者なんだから当然だろ? とでも言っているようだ。いや、まあそうなんだけども、なんて身勝手で無礼な奴だ。でもあの銃……本物? わからない。だけど、少なくともオモチャには見えない、か……。


「……・じゃ、じゃあ男は生きていて、本当に幽霊船に連れさられちゃうっていうのは?」


 男が首を横に振る。ダメか。まあ、そうだろうな。


「じゃあ、そもそも男は女に返り討ちにあっていて、その死の間際に見た夢……ってまた夢オチかダメだな」


 うんうん唸る僕を男は黙ったまま見つめる。こんなに悩んでいるのにアイディアを出してくれそうにない。せめて銃を下ろしてくれれば落ち着いて考えられそうなのに……。そうとも、銃口を向けられた状態でいいアイディアなんか……銃口。暗い穴。暗い、暗い……。


「……あー、じゃあ、これは?」


 華やかな日々だった。こんな船のような。

 ……だが過去のことだ。この船も恐らく幽霊船だろう。そうとも、今の彼女に相応しい場所じゃないか。

 目を細めれば船を飾るイルミネーションの電球がぼやけて見える。彼女の姿はそこに滲むように溶け合い、笑い声は楽器隊の演奏と混ざり合う。

 予定に狂いはない。彼女は置いていこう。この船に。この湖に。


 ……本当にそれでいいのか?

 彼女が追いかけていた子供を抱きかかえてこちらに笑いかける。そうだ、子供と笑うあんな妻の顔が見たかったんじゃないか。

 俺は、ああ、妻になんてことを……


「妻?」


「修正です。恋人より関係を深くしておきます。妻は子供を欲しがっていたけど、夫はそうではなかったのが揉めた原因ということに」


「成程、では続きをどうぞ」



 俺は、ああ、妻になんてことを……。

 そう思った瞬間、意識が遠のき、気づくと俺はベッドの上にいた。



「また夢オチですか?」


「いいから黙って!」



 気づくと俺はベッドの上にいた。

 全て夢。とてもリアルな……子供を抱きかかえる彼女の笑顔も。

 だが、あの船。……そうだ、船旅も悪くはないな。誘ってみようか。全てをやり直すにはまだ遅くはないだろうか。

 彼女は、隣で寝て……ああ、そこにいたのか。まだ夜中だろう、俺を見つめて何を。


 彼女に声をかけようとしたとき、口から溢れた水が言葉を阻んだ。濡れた寝巻きが肌に張り付く。ひどく体が重く感じられた。立ち上がろうにも足に力が入らない。まるで膝より下がマネキンの足と挿げ替えられたようだ。

 彼女に助けを求め、手を伸ばす。しかし、彼女のその手には包丁が握られていた。


「沈んで」


 彼女の冷めた声。俺は言われるがまま、ベッドに沈んだ。

 そうか、水じゃない……血だ。背中が冷たい。恐らく血がベッドにまで染みている。

 黒ずむ視界。まるで暗い湖の底に沈んでいくような感覚を抱き、俺は警笛の音が聞こえないかと目を閉じ、耳を澄ました。

 あの彼女ともう一度船の上で。今度は手を取り、一緒に踊る場面を想像して……



「まあまあですね」


「まだ! もう一捻りいれます!」




「……やった、やったわ」


 手が震え、私は包丁を落とした。

 ううん、震えているのは手だけじゃない。足も。とても立っていられない。これが殺人。肉の、死の感触。

 ……でもまだ終わりじゃない。これからこの死体をブルーシートに包んであの湖へ……



「と、こんな感じで」


「ループを示唆ですか……まあいいでしょう」


 男はそう言うと銃をしまい、出て行った。

 良かった、何事もなく……と、熱が冷めないうちに。

 僕は椅子に座りなおし、今考えた話の推敲を始める。


「……いや、待てよ。結末警察って何だ? 唐突の上に、あまり疑問に思わなかったことといい、まるで夢の中みたいな……」


 ――ガチリ


 撃鉄を起こす音が耳の奥に響い

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