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雉白書屋短編集  作者: 雉白書屋


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嫌な風

 暗い夜道。台風が近づいているのか、ひどく生ぬるい空気だった。さざめく木々の音も湿気を帯びているように感じる。


 ――早く帰ろう。


 その青年が足を速めたのは何も天気を心配したからだけではない。この辺りには……出るらしいのだ。ちょっとしたタイミングで耳にした心霊話。今になって蘇り、何度、頭から追い出そうとしても粘つくように離れはしない。もはやその事までも霊の仕業に思えてていた。


 ――嘘だろ。


 目にした瞬間、動悸が激しくなったのが彼は自分でもわかった。正面。こちらに向かって歩いてくる女。風がその長い髪を弄び、顔は見えない。ヒールの音がやけに響く。

 外灯の下。光の円の中で影が手を叩いている。風がヒュウウと声を上げ、木々が囃し立てるように揺れ動いているのだ。

 山と田んぼの間の一本道。逃げ場はない。いや、横に行こうと思えば行けるが、追いかけられでもしたらと思うと背筋が凍る。

 が、実際は汗でべたついていた。ゴクリと唾を飲む青年。

 

 引き返すか? それも全速力で横を通る? でも、そこまでしなくても・……そう、幽霊なんているはずないじゃないかという思いもある。そうとも、有り得ない。子供じゃないんだ。そんなに怯えてどうする。


 青年は自分にそう言い聞かせ、また歩き出した。堂々と、しかし、女に視線を向けずに。下を向き、自分の歩幅が狭まっていることに気づき、何を馬鹿な、と強がりから笑みを浮かべてみるも震え、よろけそうになる。

 一方、女は変わらず、カツカツカツカツと、ヒールの音を鳴らし近づいてくる。

 あと数メートル……。

 あと……。


 すれ違った。無意識に呼吸を止めていた青年は、息を吐くとともに緊張が解け、まず顔が緩んだ。

 なんだ、何てことはな――

 青年がそう思いかけた瞬間だった。

 ヒールがカカッと鳴り、女の頭がぐりん、と青年の目の前に躍り出たのだ。


「う、うわああああああああ! あああああーっ! あああああー!」


 青年は走りだした。上げた悲鳴は二度息継ぎ経てもまだ途絶える気配がなかった。それは耳にぶつかる女のヒールの音を散らすためでもあった。

 ――追って来ている。

 ――振り切れそうにもない。

 ――体が重い。

 

 青年の頭に浮かぶ言葉たち。それらは青年が上げた「ひっ」という短い悲鳴とともに消え失せた。

 肩に女の手が置かれたのだ。

 そして、またも女は青年の顔の前に頭を突き出す。まるで自分の顔を見せたいように。さらに体が重くなる。逃がさないという強い意志。

 振り乱した髪、その奥に隠れた常軌を逸した目。それを見る事。それはきっと終わりを意味するのだろう。つまり……死。そう考えた青年は足を止めた。


「い――」


「うわあああああああああおおおおおお!」


 青年は拳を握り、力任せに女を叩いた。しかしそれも無駄……ではない。女が悲鳴を上げている。攻撃が通じていると手ごたえを感じた青年はさらに声を上げ、女に立ち向かう覚悟をした。


「うおおおおらああああああ! おおおおおおお! おっおっおっおおおおおううううおおおお! ああああおぉぉぉぉ……」


 雄叫びが途絶え、肩で息をするのが精一杯になった頃。女は青年の胸から崩れ落ち、アスファルトの地面に倒れた。


「か、勝った……」


 青年は確認するかのように、そうボヤいた。そう、勝った。勝ったのだ。

 青年は空を見上げ星空からの祝福に微笑み返す。

 もう幽霊話など恐れはしない。みっともなく逃げ出すこともない。勝った。勝ったのだ。

 ……だが、青年が今一度心の中でそう強く思い、一歩踏み出した瞬間であった。

 勝った……などと思うこと。油断。それが一番危ない時では。そう頭に浮かぶのが早いか否か、胸の辺りにぐっと何かに引っ張られる感覚に青年は息を呑み、そして反射的に視線を下げた。その最中、脳内で巻き起こる思考の渦。

 ――ああ、見てしまう!

 ――女の顔!

 ――黒い目!

 ――開いた口から出てくるしわがれた声!

 ――蠢く髪!

 ――そして、死。



「あっ……」


 青年は上着のファスナーに引っ掛かっていた女の髪の毛をそっと外すと、家に向かって一目散に走り出したのだった。

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