応報
「ありがとう、みなさん、ありがとう、それじゃまた来週。ええ、ありがとう、あ――」
牧師はその青年が教会の出入り口に立っているのを目にし、言葉に詰まった。逆光のためその表情までは見えないがきっとそれを向けられた者が微笑み返したくなるような笑みを浮かべているだろう。女なら特に、だ。青空を背にしたスラッとしたシルエット。それが教会の中へ。青年は最後列の椅子の背もたれに両手を置き、機嫌良さそうに指を動かす。
献金皿に硬貨を置いて帰る信者たちはちらと青年を見ては、口角を上げ教会を出て行く。
白い肌。柔らかそうな髪。やはり人とは違う。ただ、それはあくまで他より魅力的な若者というだけで、異彩を放っているように感じているのは私だけだろう、と牧師は息を、そして唾を呑んだ。
列の最後の者が牧師の手を握り、そして立ち去ると青年はカツンカツンと靴音を響かせ牧師のもとへ歩く。
まるでスポットライトのように、教会上部のステンドグラスから差し込む陽光の溜まりに青年が足を踏み入れる。
牧師はその瞬間に目を凝らす。ある物を探したのだ。だが、何事もなく青年はまた影の中へ。そして、一歩。二歩。牧師の目の前へ。
「素晴らしいお話でした牧師様」
「あ、ありがとう」
――君は聴いていなかっただろう? 今来たばかりのはずだ。
喉まで出かかった牧師の言葉は暗く狭い、穴の底へと落ちた。そこは汚く、埃が溜まり、廃材に溢れ、暗く沈んだ顔の者たちが膝を抱えている。
牧師の頭の中にその映像が浮かんだのも言葉を飲み込んだ理由も青年がポケットから輪ゴムでとめた札束を取り出し献金皿の上にポンと置いたからだ。これが牧師が彼を異彩、いや異質に思う理由であった。
――一体、どうして君は……。
牧師が青年にそう訊ねようとした事はこれまで何度もあった。
しかし、その度に理由を知れば何かの昔話のように、この青年は二度とここに来なくなるのではと、そんな思いを抱くのだ。
着ている服は悪くはない。それなりの稼ぎがあるのだろう、しかし若い。
若くして成功した実業家? それとも親が金持ちなのか。
しかし、なぜだ。なぜポンと大金を寄付する。実際のところこのお金は大いに助かっている。割れたガラス、崩れた壁。その修復。
ボロボロだった教会はかつての姿を取り戻していた。そのお陰で、来訪者も増えた。貧しい者にわずかばかりだが食料を恵むこともできた。全てはこの青年のお陰といっても過言ではない。
だから金を前に想像し恐れた。以前の教会のその姿を。また戻ることを。
「それじゃ、牧師様。また」
青年はくるりと背を向け、コートをなびかせて去っていく。
「……ま、待ってくれ」
「はい?」
振り返る青年。差し込む光、空気中に舞う塵のその向こう。それは少年のような純粋な瞳でもあり、誘惑に長けた男性の瞳にも見える。
見つめると吸い込まれそうな、足元がおぼつく感覚に襲われた。
――訊くんだ、今日こそ……なぜ君は……。
「……い、いや、よければまた来週」
牧師がそう言うと青年はニッコリと笑い、去っていった。その笑みは少年か、それとも含みを持ったものなのか牧師にはやはりわからない。教会の外、陽光に照らされるその後ろ姿を見つめ、青年の頭上に天使の輪がないかと探すが、やはり見つけられず。静寂の中、一人取り残された牧師は考えた。
……確かにこの教会に訪れる人間は増えた。だが一方で見なくなった人間もいる。それも貧しい、家を持たぬ人間ばかり。
牧師は額に手を当て、神の姿を思い浮かべ問いかける。
神よ、悪しき想像は罪ですか? でもどうしても結び付けてしまうのです。あの青年の金の出所と彼らがある日突然、姿を見せなくなる理由。
人が見向きもしない、その痩せて汚れた皮膚の下の果実。彼はそれを取り出し……。そして想像するだけで真相を追求しようとしない私は……。
神の声は未だ聞こえない。それは私にとって救いなのかそれとも……。
外から子供の笑い声が聞こえ、牧師は目を開けた。いずれは孤児を預かることもできるようになるかもしれない。
そう思い微笑むが、それを大金と共にあの青年が提案してくるかもしれない。と、ふとそんな思いが湧き背筋が寒くなった。
牧師は今一度、縋るように神の姿を思い浮かべた。
だが、それは次第にあの青年の姿に変容していった。




